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わたしは0.75倍速で生きていく。1年の始まりに考えるフィンランドの「自分と向き合う」習慣

こんにちは!どさんこ大学生RUNAです。
 
とうとう、2023年に突入しましたね。
今年は、どのような年になるのでしょうか?
 
ここ数年止まっていたコトがどんどん動いているように感じます。
ぎゅうぎゅうのバス、楽しそうな表情の人でいっぱいの観光地、日本語以外が聞こえてくる駅…。その景色や環境が、変化を教えてくれているようです。
 
周りの様子が変わり、人が動いていることを実感すると、慌てている私がいました。遅れないように、早く何かしなきゃ、動かなきゃ。理由のない不安で頭の中があふれていました。
 
そんな時、以前参加した「フィンランド式生き方キャリアデザイン講座」のことを思い出しました。
 
理由がないと、立ち止まってはいけないのか?
歩きだすよりも、走り出そうと焦っている自分と向き合いながら…
これまでエラマで学んできたフィンランドの自分と向き合う習慣を見つめ直すと、日本にいる私でも、この1年実践できると感じたことがありました。

わたしを振り返る時は、いつですか?

2022年の年末になると、今年の漢字が発表され、その1年の世の中のありさまが発表されます。また、普段の会話でも、「今年見ておもしろかった映画は?」など、今年1番のモノゴトについての話題が飛び交うようになりました。
 
そして、よむエラマでも「今年読んで『豊か』だった本」が年末に公開されました。
私も参加したいと思い、たくさん考えてみたものの、それが分かりませんでした。
 
今年を彩ってくれたモノゴトはたくさんあるはずなのに…なぜだろう?
そう考え込んでいると、私は「振り返る時間」が、自分の時間の中に出たり入ったりしていて、習慣になっていないと気づいたのです。
 
小学生の時は、夏休み一行日記や絵日記が宿題として出されました。
中学生の時は、部活日記の宿題、学校の行事の感想を書く宿題がありました。
高校生の時は、定期試験や模試などの反省点を書く宿題がありました。
 
学校では、休みの日・イベント・試験と、さまざまなモノゴトについて振り返ることが求められてきました。その時、自分がどんな気持ちだったか、過去の自分を見ることができます。しかし、今、講演会などで感想を求められることはあっても、それは任意です。
 
「ご自由にお書きください。」
見たもの、聞いたもの、感じたもの、考えたもの…その全てへの思いは、その時その時のモノだから、整理していなければ、消えてしまいます。
 
何気ない小学校の夏休みの思い出を今でも覚えているのは、「宿題」としてですが、その時の気持ちを書き起こせていたからかもしれません。
今は、思い出さなくても良いと思っていても、それが自分にとってかけがえのないものだったと気づくことさえできなくなってしまう。
 
「いつか振り返る」の「いつか」という時は、人生の中に存在しないようです。
 
「人って、記憶で出来てるでしょ?」というドラマのセリフがありました。
これまでの思い出と、出逢いを私はどれだけ記憶できているのか?
 
思い出というぬくもりがこれからも存在し続けられるように、「振り返る」を自分の時間に組み込みたいと思うのです。

フィンランドの自分と向き合う習慣・文化

「振り返る」を自分の時間の中に!そうは言っても、なかなか自分の習慣は変えられません。
 
そんな時、「フィンランド式 生き方キャリアデザイン講座」でのお話を思い出しました。
そこでは、フィンランド国民の幸福度が高い1つの理由として、自分と向き合う習慣・文化が挙げられていました。

「サ道」「サウナー」「サ飯」という言葉を、サウナにそれほど詳しくない私でも知っているほど、近年の日本でもサウナの人気が高まっています。
しかし、講座の中で知ったフィンランドのサウナは、私が知っているサウナとは違うものでした。
 
フィンランドの日常で欠かせないサウナ。
それは、自己内省の空間として、自分と向き合う時間をつくれる場所だったのです。
また、リラックスの場、ビジネスの場、憩いの場でもあります。
 
サウナと水風呂を行き来していると、「整う」という境地に達する。
よくこの言葉がテレビのサウナ特集で流れていますが、その「整う」がイメージできませんでした。
 
しかし、フィンランドのサウナの空間は、自分と向き合うという意味での「整う」場所として存在しているのかもしれません。
 
フィンランドのサウナを体験したいと思っても、簡単にはいけません。
また、近くにサウナが入っている銭湯や温泉はありませんでした。
 
では、サウナ文化を自分に当てはめられる場所やものは何なのでしょう?

心の灯火を消さないように「私と向き合う」

温泉

子供の頃から、大好きなのが温泉に行くことでした。
とくに、冬の露天風呂は、空気は冷たいけど、身体はあったかくて、空は澄んでいる。
なんだか、時間がゆっくり流れているような気分になります。
 
普段は、じっくり眺めることのない空の景色や、鳥たちの様子、森の静けさをしっかり心で感じていました。
それは、水のおかげなのか、芯から温まっているおかげなのかは分かりません。しかし、温泉に入っている時は、何かをじっくり見つめることが出来ました。
 
そして、温泉には行けなくても、家で「お風呂」に入ることも出来ます。
 
水道水を安全に飲める国が世界で15カ国しかないほど、「飲める」水はごくわずかです。このような状況の中、貴重な水を入浴にも使うことのできる日本の環境はありがたいと思います。
 
家のお風呂の時間も、ただ身体をきれいにするためではなく、動いてくれている自分の身体の状態を見つめ直しながら、自分と向き合う時間にしていきたいと思いました。
 
 (よむエラマ内のサウナと温泉についての記事は以下です。この他にもサウナに関する記事がありますので、ぜひ読んでみてください。)

キャンドル

長くて暗い冬を毎年迎えるフィンランドでは、キャンドルの消費量が世界一と言われています。
暗いのに、キャンドルの光だと見えづらいのでは?
明かりは生活を便利にしてくれるものだと思っていました。しかし、キャンドルの火を見ていると、そうではないことを実感しました。
 
夜ではなく、まだ太陽が昇っていない朝にキャンドルに火をつけてみたことがあります。
電気はつけずに、ゆらめく光だけを眺めていると、少しずつ眠りから覚めていました。
そして、ゆっくり、ゆっくり落ち着いた気持ちになっていました。
ただボーッとしているだけでも、こんなに心地良い時間があることを知ったのです。
 
また、ある時キャンドルをつけました。
その光をゆっくり見つめることが出来ませんでした。知らないうちに違う方向を見て、不安なことを思い浮かべていて、すぐに消してしまったのです。
不規則な炎のゆらぎと同様に、自分の心がゆらいでいて、落ち着いていないことが分かりました。
 
このようにキャンドルに火を灯すだけで、不思議と安らぎを得られたり、心の動きがわかったりしました。キャンドルの時間も、自分と向き合うステキな時間になりそうです。

0.75倍速で生きる

今回、私を「振り返る」時間について考えていると、ある共通点があることに気づきました。
それは、「ゆっくり・じっくり」の時間が必要だと感じていることです。
 
時代の変化と共に価値観が変わっているはずだけれど、毎日駆け足で過ごすことをしなければならないような、そんな気持ちをずっと持っています。
 
初めて東京の駅を歩いた中学生の時、歩く人たちを見て、驚きました。
「なんであんなに早足で歩いているのだろう?」
そう思って歩いていると、「そんなゆっくり歩いていたらダメだよ」と周りにいた人に言われました。そのことが今でも忘れられない思い出として残っています。
 
それから街中や駅では、周りのスピードに合わせて早く歩かないといけないと思うようになりました。
 
「Kiitos.」という雑誌で「0.75倍速で行動しよう」という話題が取り上げられていました。
倍速視聴が定番化した現代と逆行しているような行動ですが、私にとってはこれだ!と思わされるような言葉でした。
 
落ち着いた心を持つことで、わたしと向き合うことができる。
そして、その好きなわたしでいることが出来たら、今という瞬間にあふれているステキなデキゴトを味わうことができるのかもしれない。
 
だからこそ、落ち着いた心でいられる場所で、もので、自分と向き合う・振り返る習慣を、自分の時間に取り入れて生きたいと思いました。
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。
 
Text by どさんこ大学生RUNA


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