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ゼロからはじめた手書く詩人 #5 朝のパン

ジョージア語バスク語での手書きの詩人です。両言語の知識がゼロからはじめています。書く、書く、書く。とにかく書く。
ペン先が紙を擦ると、視覚、触覚、聴覚などを経由して同期して、脳の中の孫の手が脳みそを擦る。
文字の手書きは楽しい。


今回の詩 「朝のパン」

花咲ける大空に 白と黒
雲のように 雪が降っている
朝のパン
目覚めるために 眠っている

”佐川ちか全集”より抜粋し再構成

”佐川ちか全集”より抜粋への経緯

今回は”佐川ちか全集”から抜粋した言葉による詩です。
トリビュート作品です。

なぜトリビュートなのか

5作めの詩にして、早くも言葉が出なくなったからです。ジョージア語とバスク語もビギナーですが、詩もビギナー。
言葉をいくら書き出しても、散らかったまま。三日、四日と無意味な言葉をずっと見ていると、やがて気分が悪くなってきた。乗り物酔い的な、三半規管に起因する吐き気です。
詩を書きたいのに、書けない。しかも吐きそう。どうしよう。

困ったときには、自分を信じる or 自分を捨てる の二択です。
私は自分を諦め、誰かに倣うことにした。素人に自分への執着などありません。
そして選んだのが佐川ちかさん。
全集には一流の言葉が溢れています。選びたい放題。

佐川ちかの詩は私には難しすぎた

ところが選びたい放題ではなかった。選んでみたものの、ジョージア語とバスク語に翻訳できませんでした。佐川ちかの詩は私には難しすぎました。
日本語としてですら解釈を悩むわけで、それを翻訳するには翻訳サイトだけでは無理。翻訳先への経験や知識が必要なのですが、私はそれらを全く持っていない。特に語間や文間にはなすすべがなく、深みが消え去ります。

母語でない詩の難しさを体感。詩は言語によってスタイルが違うんだろうなとも実感、しかしそれが私の詩で顕在化するのはまだずっと先の話でしょう。

ゴールドラッシュ

佐川ちかを諦めきれず全集をパラパラとめくっていた。そしてふと気づいた。詩のタイトルなら何とかなりそう。
語間も文間もないから、そのまま翻訳しても問題なし。そしてその語の先にまだ見ぬ何かを期待できるのは、翻訳してもそのまま残る。
全集の目次には、理想の言葉たちが並んでいます。ちょっとした金鉱脈発見の気分、ゴールドラッシュです。
私は詩のタイトルを並べて、トリビュートな詩を作りました。

ジョージア語の「朝のパン」

詩のタイトルには日本語的な曖昧さを感じなかったので(タイトルの周辺には自由度がいくらでもあるのに、不思議です。それが一流の言葉の選定なのかもしれません)、英語を経由せずに日本語からジョージア語に翻訳。そして書いて、書いて、書く。

ジョージア語

バスク語の「朝のパン」

翻訳サイトでバスク語に翻訳。そして書く。

バスク語