糧、子供の頃の話 02
厨二の悩み深き乙女ども
キッカケが何だったのか忘れてしまったけど、何かしら自分の手に負えない悩みが深い女子3人で、話すようになった。
いじめ、生きずらさ、病気、各々抱える問題は違うけど、何とも生きずらいもんだから、死について話したりもした。
3人の共通点は、自分に価値を感じていないとか、自己肯定感が低いとか、そういう所だったと思う。
解決しない、解決方法が見つけられていない悩みを抱えると、天秤にかけたくなる。
生か、死か。
初めから死にたい人間なんていない。
でも、毎日出口なく続いていく日常にどうやって希望を見つけたら良いのか分からない。
一人は繰り返し腕に傷を作り、一人は恋愛でエネルギーをなんとか得、一人は小さな幸せ探しをすることで凌いでいた。
精神科の、先生が言った。
大人になればだんだんと症状が落ち着いていくと思う、と。
大人。
10歳からだから、病気になってから4年が経過していた。
大人って、何歳のことを言うのだろう。
20歳だと仮定したら。
あと6年。
6年…
絶望した。
解決方法を提示されないまま、
こうなると 思うよ
という予測のために
その年月を生きてみないと、いけないのかなぁ。
クラスの子が、明日テストだ、死にたいよ~~~~、と言う。
いいな。
いいな。
テストで死にたいなんて。
勉強したら解決できる悩みで。
いいな。
ここから、私の忍耐の限界を試されていくことになる。
犯人探しの無駄
夜、具合が悪くて眠れない私に付き添って、母が繰り返しいう言葉があった。
「なんであんたはそうなんだろうね」
もう耳にタコさんがでるほど、繰り返し聞いた。
それに、回答するのであれば、
「知らん」
だった。
その頃の、視野の狭い、せま~い自分で、二元論を振りかざして回答すると、
「いや…お前らがそうしたんだろう、私をこの様にしたのはお前らだ」
だった。
大人なのにそろえば喧嘩ばっかりしくさって、
誕生日だからといって集まって食事会をしようものなら、
地雷を踏みぬいていく祖母、凍り付く食卓
それを見てすさまじく不機嫌顔で黙り込む父、
子供の気持ちを考えろ!くそどもがーーーーーー!!!
と言いたい。
言えないので、ここに初めて書くけども。笑
私が
気持ち悪い、吐き出したいけど吐き出さない、という症状があるのが
ありありと現れているなぁと思う。
そう、たぶん言ってなかった。
なんでそうなの?と問いかけられる中で
あなた方は、なんでそうなの?と問い返したことがなかった。
問い返すことはなく、全部身の内に溜め込んでいた。
なぜ、吐き出さなかったのだろう。
6歳のころには「味方がいない」と発言しているから、
「あきらめ」、というものを所持していたようなので
あきらめていたのかもしれない。
あと、もう一つは 隣にひたすらに過去を掘り返す母がいたことも大きかった。
母のこの家での暮らしの中での体験談というのが、なんというか昼ドラで苛め抜かれる人と同じじゃーーーん!!、というレベルのものが盛りだくさんで
いくら負けん気や雑草根性、忍耐の鬼だとしても、許せなかったしつらかったのだと思う。
思うが故、許せない故の過去の記憶の脳内再生、フラッシュバック、その過去の話をうんうん、と聞いている私。
1回目、それはひどい辛かったね、と思うか言うかしただろう、
2回目、上に同じ
…
10回目、うんうんと言い、話を聞く(お、またこの話だ)
…
100目、そうだね、でもホラ!今別居してるし!いないじゃん!(耳タコ)
隣で、過去の記憶の脳内再生をひたすら繰り返ししている人を見ていると、
その人の辛さもわかるし、なかなかそこから囚われて抜け出せないのも分かる、忘れられないのも分かる。
けど、
「いや、過去は変わらんし、今からの未来、見ようや。」
と言いたくなる。
今なら何をどうしてこうすれば、今以降の未来に視点がシフトするっていう事の、原則や方法が分かる。
でもその時は、ベターっと貼り付いた過去の取り扱いを知ってる人に出会ったことがなかった。
(不思議なのだけど、なんで世の中の精神科医がこの方法を知らないのだろう。本当に不思議。)
ただ、分らないなりに、自分に貼り付いた過去に囚われている、その仕方なさも重々に分かりつつ、でも過去は変わらない、今この体験をした自分で生きるしかない、と思っていた。
母が隣でそれを見せてくれていたので。
さらに、「私をこのようにした」と思っていた家族一人一人をどうしてこの人はこの人になったのだろう、という事を考えた。
昔あったエピソードをたくさん聞き、証拠を集めて、
「お前らが悪い!!」と言いたかったのかもしれない。
この人はこういう体験をしたこの人に育てられた、
またひとつ前の世代のこの人はこういう体験をしたこの人に育てられて、
‥‥
いくら、過去にさかのぼっても、その人がそうなったのは、
そうなった、としか言いようがなかった。
みんな、家族や他人の影響を受けていて、自分に置き換えたときに、
私だったら、その人を辿らない別の人になれるんだろうか?と考えても
「私なら、そうならないよ!!」
と言えない、言い切れない。
過去に私が登場して、今こうしないと、未来こうなりますよ、と言う、
そんなドラえもんは存在しないのだ。
目の前の家族の面々に、お前らが悪い、と当たり散らす道は証拠不十分でついえた。
つまり、残された道は、
ご飯は食べられないし、
寝られないし、
具合が悪いし、
出来ないこと山の如しな
この自分で生きること、だった。
波
人間誰しも浮き沈みがある。
沈んでも、何とか乗り切ればまた浮上したりするもんだ。
私の癒しは食事とか睡眠とかから2時間くらい前の、授業とか
家でのTVタイムとかだったのかな。
周りの子供に比べて、貪欲に小さい幸せ、小さい楽しみを見つけようと意識していたと思う。
学校の全部の科目に好きなところを見つけて、ここが好きと自分でわかる状態になっていた。
国語は挿絵、挿絵をノートに書き写すのが好き。
数学は、いや…数学は嫌いだったわw 勉強しても点取れるときと取れない時があったから。笑
理科は世界がどうしてそうなっているのかが知れるし、生物や植物の仕組が好き。
音楽は、わがクラスが先生に嫌われすぎて授業として崩壊していたのでw
好きなCDを聞く時間だった。
体育は終わった後、広い体育館で側転とかロンダートを思いっきりするのが好き。
社会は歴史を想像できるのが良い、大河ドラマの人物が出てくるし。
地理、嫌い。日本国内の土地の形、山川に興味が起こらないし、農作物のランキングつゆほど興味ない。w
美術は全部が好き。
学校の図書館は匂いや空気感が好き。月面地図が気に入ってよく借りていた。
鉱物とか結晶の本も。
帰り道も寄り道ルートがあったり、この天気のこの時間帯。風とか、雲の動きとか。好きなものを決めると、それがある場所は好きな時間となる。
そうやって何とか生活していた。
いたけど、いたけどねぇ、限度があった。
小さい好きをかき集めても、なんというか世界が灰色に見えるときがあった。
なんであんたはそうなの?
知らない、こうなんだから仕方がないではないか。
自分もこんな自分はいらない。
好きなものの中に、映画があった。主に洋画。
ある日に見たSFホラー映画で、
地球外生命体が人間の脳に寄生して、
人に成り代わってしまうという映画があった。
悪行を繰り返す宇宙人。
その映画を見て、
なんで私のところに来ないんだろうか。
喜んで体をあげるのに。
ここに来てくれないだろうか、そう思った。
なんであんたはそうなんだろうね、と言われる。
生き物が生まれるのは奇跡らしく、何万個もの精子が~~~~~確率は何とか分の1です!と。
私、それ、もろてあげて交代したいわ。
私は私がいらないし、欲しくないわ。
そうやって、ぐぐぅ~と、波が、
深く沈みこんでいったと思う。
身体も精神も限界だしね、なので、決めるわけです。
この日、この時間、あの場所へ行って死のうと。
続く。
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