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怒りと勇気

この記事にはセンシティブな内容が含まれるため、危ないと思った方はすぐに読むのをやめてください。主に女性へ。



怒りという感情、皆さんはどう取り扱っていますか。
私は今年で27になりますが、未だにこれを持て余していて、どうすれば怒りを抑えられるのかまだよくわかりません。どうすれば頭を冷やせるのか、強ばった身体から力を抜くことができるのか、怒りを保留にして冷静になれるのか、はたまたそもそも怒りを抱かないためにはどうすればいいのか。
便利な時代ですからぽちぽち検索すれば、深呼吸をするとか、運動するとか、寝るとか場所を変えるとか、まあ色々と対処法は出てくるんですけど。わがままなものでそういうわかりやすい方法すら実践したくない時があります。
いつも怒っては場当たり的に対処するしかないこの感情、ダーウィンの進化論的にはどんな場面で生きるのに役立ったんだろう。
怒りと向き合う。


私のこれまでの人生で最も強い怒りを抱いたのは、夜道で痴漢被害にあった、あの日でしょうね。怒りという感情を考える上で、この出来事は外せないし、絶対に忘れることはありません。

大学生の時に、友人宅で宅飲みをして、歩いて帰りました。そこそこ遅い時間ではあったので同じ方向の友人と一緒に帰りました。けれど友人と分かれてから自宅に到着するまでの10分にも満たない間に、背後から男が迫っていた。
被害にあった時間としてはほんの数分だったんでしょう。でもあの数分を私は生涯忘れることはない。

被害内容としては言葉のとおり痴漢なんで、着衣の上からって感じでした。された瞬間は当然パニック、何が起きているか分からず、頭も働かず、固まってしまい、されるがままでした。少しくらい振りほどこうとしたような覚えがありますが、だめでした。
ただ私が偉かったのは素晴らしい負けん気を持っていたこと、この見ず知らずの頭のおかしい男にこのまま好きにされてたまるかという怒りが沸いて出てきてくれたことです。
中学まで空手を習っていたこともあり、反撃することができました。某蘭ねえちゃんのように素晴らしい蹴りと突きで相手を伸すようなことは当然できないけど、背後にいる男性に対して引き手を使って肘鉄で応戦しました。背後の男性の腹か脇腹の高さに何度か。

痛かったんだろうか、男は無言で離れて逃げていきました。私は男の背中に「二度と来るな!」と声まで上げて、逃げる姿を見ていました。パニックで固まっていた瞬間には、
(ここで声を出せば側のマンションの知らない人に気付かれてしまう、知られてしまう、それは嫌だ)
とまで瞬時に考えて被害中は声を出せなかったのに、どういう心境の変化だったのやら、今となってはわかりません。
ただ、この反撃ができていなければ、このnoteでこのようにあっけらかんと被害を書くなんてことはできなかったでしょう。
私のその後の身と心を守るためにも、今の私があるためにも、あの時反撃できて本当に良かったと心の底から思います。

その反撃のおかげか、
0から100までそして同じことを何度も細かにきかれる警察の事情聴取も、調書を取るために行われる目の前での被害の再現も、日をあけて何度も警察や検察に通わなければいけなかったことも、あの時反撃できていたから、受ける心のダメージを最小限に、対応できたのだと思います。
しかし残念ながら顔などははっきりとは見られておらず、年齢•服装なども曖昧で、肝心の犯人逮捕のための情報は用意できませんでした無念、、、糞なことに別件で逮捕されて、私の事件も自供したことにより起訴、そして有罪。
被害届が受理されて少し安堵、逮捕されて少し安堵、起訴されて少し安堵、裁判で有罪になって、なんとか事件は終わりました。


事件は解決したけれど、
しかし私にはいつもどおりの日常が待っています。
平気なつもりで過ごそうとするけど、当然全く平気ではなかった。そこらへんの男が気持ち悪かったし、何もされていなくても何かされているような気がした。
またそういう時は何か引き寄せてしまうんですかね。それまでそういうことに遭遇したことがなかったのに、スーパーで買い物しているとこっちを凝視した男性客に店内付きまとわれたり、バイト先の人と複数人で飲めばうち1人に睡眠薬を混ぜられたり。つらくて、痴漢事件を担当した女性警官に電話しました。どちらも事件にはならなかったけど気が滅入りました。
いっそ見事なまでに、私への加害者は私以外にも加害を行っていた。性犯罪者らしい、軽率で愚かで腹立たしい差別を多分に含んだ犯行です。
「被害届」「痴漢」と検索すれば、私のような理不尽にも被害を被った側ではなく、犯罪を犯した加害者に向けた弁護サイトが一斉にでてきます。そんな社会にも辟易しました。
しかし私にはいつもどおりの日常が待っています。
以上が事件報告。




こういう経験をしてしまったものだから、大学の後半はフェミニズムに助けられました。だからこそ、私のように反撃できる人間はものすごく少ないこと、ほとんどの人がトラウマとして抱える結果になっていること、通報すらできなかった人がいること、通報しても事情聴取や警察本人の対応に心が折れてしまった人も当然知っています。ただ、私のような人間も存在するということを知ってもらって悪いことはないかなと思いここまで書きました。
私のように反撃によって好転する場合があればしない場合もあるから、敵に反撃できるようになりなさいなんて言わないし、他に人がいるなら助けを求められるのが一番いいです。反撃できる人を頼れるのが一番現実的でいいです。反撃できない人はどう、という意図は一切ありません。でも立ち向かう構えはもっていてほしいかな。可能性程度でもいいので。
実行できなくても、その心があなたを救う一助になります。





さて、、怒りについて。
前置きが長くなってしまったけれど、、私の人生においては怒りは必須の感情だなと、書いていて思いました。
怒りというとマイナスな感情、コントロールすべき感情というイメージが真っ先に来ますが、
タイトルのとおり、怒りによって生まれる勇気もあるだろうと思うんです。
悟空も怒りによってフリーザに勝ったしね。王道少年漫画も認める自明のことだったかもしれません。
ホモサピエンスが存続するためにも必要な要素だったようだし…!?(ダーウィンの話です)



今日は、つぶやきの内容のとおり、強い怒りを覚える出来事があって怒りについて書きなぐりたいと思ってこのnoteを書き始めたんですが、色々派生してなかなかの大作になりました。
ますますぶつかり男にやり返せなかったことが悔やまれる。せめて声を、「当たったんですけど」くらいの弱々しい簡単な反撃でもいいから、言えればよかった。確認のために様子を見た、前にいた女性が殴られるのを防げたかもしれなかった。悔やまれる。次は絶対に声を出しますからね。
怒りと勇気。

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