死とわたし
死
そう聞くと、なんだかどうしようもなく恐ろしいものに思える。
でもそれはありふれたものだ。
これはHSPの特徴の一つとも言えるが、わたしは死を身近に感じやすい。
例えば、料理をしている時、手を滑らせて包丁がおかしな方向を向いて刺さってしまうのでは?
とか
例えば、夜中寝ている間に強盗がきて殺されるのでは?
とか
例えば、横断歩道で信号を待っている時に車が突っ込んできて大きな事故になるのでは?
とかね。
常にそこら中で起きうる危険をシミュレーションしてしまう。
すぐに自分が死ぬことを想像してしまうのだ。
これとは少し違うが、わたしには自殺するところを想像してしまう癖がある。
実際に死にたいと思っているかどうかとは関係なく、ふとした時に自分が今死んだら、誰がわたしの死体を発見して、家族や友人はどんな反応をするだろうか。
わたしがいなくなった世界はどう進んでいくのだろう。
そんなことを考えてしまう。
みんなこんなことを考えているのかな、と疑問に思い検索をかけてみたことがある。
出てくるのは相談窓口の番号ばかり。
いやいや、死にたいわけじゃないんだ。
死について考えてしまうだけなんだ。
先に述べたような、危険を予測するということに関しては、HSPの友人も同じだと言っていた。
だが、自分の死や死後を想像してしまうのは?
みんなそうだろうか。
わたしがおかしいのか。
と、今のわたしと同じように不安に思う人もいるだろう。
そんな人がこの記事にどうにか辿り着いて、「あぁわたしだけじゃないんだ」と安心してくれたらいいなと思う。
生と死は分けて考えられないことなのに、死について考えることはよくないことのように感じる。
だけど、死にたいわけじゃないけど、死について考えることはきっと誰にだって一度くらいあるんじゃないだろうか。
大丈夫。
それでもわたしは生きているし、これを読んでいるあなたも生きていることだろう。
これからふとした時に死について考えてしまって不安になったらまたこの記事を読んでほしい。
そして、それは不安になることではないことを思い出してほしい。
わたしも早速この記事を書くことで不安を薄めている。
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