成績が伸びず、苦しんでいる人へ
こんにちは。穎才学院に生徒として4年通い、現在講師をしている小田中です。
私の学生時代は、常に追い求めた目標に届かない日々でした。
中学受験、高校受験、大学受験と3回の受験を経験しましたが、そのいずれでも第一志望校には合格できていません。成功体験があまりないタイプなので穎才講師の中では変わり種でして、そんな私がnoteで何を伝えられるだろう、、ととても悩みました。
穎才学院には東大生の講師が多く在籍していますが、私は東大生ではありません。効果的な勉強法を指南するのは他の先生にお任せして、ここでは、
「目標に向けて足掻いてもなかなか手が届かず、悩んでいる人」
に向けて、私が伝えたいことを書きたいと思います。
1.自分のキャパシティと目標を達成するために必要な能力とのギャップ
目標を達成できないときの一番の障壁として、自分のキャパシティと目標を達成するために必要な能力とのギャップがあります。具体的には、「志望校に達するためには、模試で各科目だいたい〇点をコンスタントにとる必要があるが、ある程度努力してもそれに達しない」というような状態です。
このような時の対処法は、
①目標(志望校)を下げる
②状況が改善することを見込んで、勉強法を変えるなどして努力を続ける
のどちらかになるでしょう。ただ、ある程度頑張ってもなかなか成績が上がらないのですから、どちらの選択をするにせよ、本人にとっては苦しいものになります。
実際私も、何度もこの状況に陥って、先生や親と面談して、志望校を変えることを勧められて絶望したことがあります。
しんどいですよね、この状況。
私も、今これを書いていて当時の苦い気持ちを思い出しました。自分は精一杯やっているつもりでも、どうしても届かなくて、周りからも無理だと言われる。「何と言われようと自分はやってやる!」と意気込んで、朝早くから夜遅くまで勉強したりしても、体力的に続かない。
自分の限界を思い知らされるこんな状況でどうするのが正解なのでしょうか。
ちなみに私は高校受験の時は周りの意見を押し切り、②を選び続けて、第一志望の受験会場でどうしても数学の問題が解けなくて、受からないと悟ってボロボロ泣きながら問題を解きました。
その結果を引きずって、大学受験の時は、①を選んで志望校を変えて、変えた後の第一志望に合格しましたが、志望校を変えた後の受験期間は自分はもうどんなにやってもうまくいかない人間なんだと完全に自信を喪失して、毎日泣いていました。
結局、どちらにしてもしんどいことには変わりないのです。
そういう状況になって、その場ではどちらかを選ばないといけないから、選択をして前には進むわけですが、どちらを選ぶにせよ、自分は一生懸命やってもうまくいかないという烙印を自分に押してしまったりするんですよね。そうなると、こんなに努力しているのにと嘆いたり、自分はどうせやっても才能がないからだめなんだ、とか真面目にやったってどうしようもないんだ、とか考え始めたりして、勉強に身が入らなくなり負のサイクルに陥ります。
だから、目標に届かない!となった時、どうするかという現実問題の対処法とは別に、心の問題として、それをどう乗り越えるかがすごく重要だと思います。
2.自分の弱さを正しく認識し、絶望はしないこと
高3の時、当時穎才で教わっていた中野先生に言われたことで、ずっと覚えている言葉があります。
私が、志望校を変える決断をした後に
「高校受験の時も頑張っても結局届かなくて、そのことがあったから高1からたくさん勉強したのに結局ダメで、自分はできない人間なんだなと思いました」という旨のことを言ったのです。
そうしたら、
「それは、もうこれ以上、やることがないくらい努力した結果出た言葉なの?」と。
容赦ないなと思いました笑
努力はしてきて、でも届かない、という時に、本当に努力してきたのか?と問われたのですから。
中野先生は続けて、満田拓也さんの『メジャー』という漫画の話をして下さいました。
小さい頃から野球を続けてきて、名門高校に入ったものの、周りが才能のある人ばかりで、野球をやめようとした寺門という部員がいて、周りはその子を引き留めようとするのですが、当人は
「才能のある人には自分の気持ちはわからない、努力したってレギュラーにはなれない人もいるんだ」と言い放ちます。
主人公はそんな寺門に対して、本当に才能がないと言い切れるくらい努力をしたのか?と問いますが、寺門はもちろんしてきたと言います。
その後、寺門は自分の予備のスパイクを足のサイズが同じ主人公に譲ろうとすると、主人公は自分のスパイクを3足分履き潰したところで、自分はまだ一足分しか努力していなかったんだということに気づき言葉を失うというシーンです。
その当時は、自分の努力が足りなかったと言われているようで傷つきましたが、時間が経ってから、中野先生は自分を否定したり、私の限界を決めつけたわけではなく、私がまた次に、再起して頑張るための足掛かりを作ってくれたのだと気付きました。
志望校を下げるということは、目標を諦めるというようにもとれます。私は医師になりたかったので、医学部を受けなければ医師にはなれず、志望校を変えることは夢を諦めたも同然でした。よって、周囲の反応としては、「十分頑張ったよ、違うフィールドでも活躍できるよ」とか「数学できなかったのが、厳しかったねー」とかもう私の夢への努力は「終わった」という認識のものが多かったです。ただ、中野先生は、私が中学から高校まで勉強詰めの日々を送ってきて、それでもなお不合格だったことを認識していながら、まだ努力できる部分があるはず、と言ったのです。
今回は、受験勉強という努力の期間が定められた中で、目標に届かず志望校を下げるということになったけど、だからといって、努力したとしても報われないと決めつけるには早計すぎる。ただ、今回届かなかっただけという事実があるだけなんだ、終わったわけじゃない、また始めたらいいと気づいたのです。
それまでの私は、自分の能力について誰かに言及されることにすごく敏感でネガティブでした。私は数学をはじめとする理系科目がとても苦手で、「理系がよわいね」「理系科目の成績が好転しないと厳しい」といったことを言われると、ムキになって深夜まで問題を解き続けたり、理系科目ができる友人を心の中で妬んだり、敵視したりしていました。そんなことをしても何も状況は変わらないのに、このままだと目標に届かないという焦りだけが先行して、理系ができなければという強迫観念がつきまとっていました。だから、何か言われる度に、それがトリガーとなってヒステリックに勉強して、燃え尽きてということを繰り返していました。
でも、いったん大学に進学して、中野先生との会話を反芻して、ムキになるとは別のポジティブな感情として、私はまだ努力できるという思いが湧き起こるようになりました。
人にはいろんな努力の形があって、短い期間に爆発的に集中力を発揮して、一気に3足のスパイクを履き潰すことができる人もいれば、時間をかけて少しずつ履き切るという人もいます。
もしかすると、この話を読んで、現段階で、自分はそこまでの努力できていないんじゃないか、他の人に比べて勉強の時間が少ないんじゃないかと不安になる人がいるかもしれませんが(私も最初そうでした)、焦ったり無理をしたりするのは逆効果です。
大事なことは、自分のキャパシティを正しく冷静に把握して、その中で自分にできることを最大限するということです。
自分にできないことについて嘆いたり、絶望したりする必要はありません。必要はないというより、もはやそんなことをしていたら時間とエネルギーの無駄でしかないです。1日3時間が自分の勉強できる限界なら、それでいいのです。ただ、その時間を効果的に使えているかどうかです。
私も人より理系科目の理解にすごく時間がかかるタイプです。3時間で2問しか進まないこともあります。でも、これは自分の能力上、仕方がないことです。変えられません。だから、その2問からできる限り多くのことを吸収できるようにしています。
自分にとって難しいことを難なくできる人もいますが、できないものはできないです。だからこそ、どうしようもないことに出くわした場合には、自分にできる範囲で淡々とやるだけです。
もし、これを読んでいるあなたが高校生の時の自分と同じ状況で、志望校のレベルに届かなくて焦っているなら、それは志望校のレベルに届いていないというのが事実です。その事実と周りの助言はしかと受け止めるべきです。その上で、①、②のどちらかの選択を迫られることになるとは思いますが、どちらを選ぶも自由です。人によっていろんな事情があって、現役でないと厳しい、国立でないと厳しいという人もいると思います。①にしようと、理性的に決断できることは立派です。②を選んで、頑張り続けることを決める勇気も立派です。
ただ、志望校のレベルに届かない事実があったとしても、自分のレベルを見限っていいということではありません。
頑張ってもうまくいかないことはあります。そうなった時に、放り出してしまうか、ぐっと踏ん張ってまた歩き出すことができるか、それは志望校に受かる受からないよりも前にとても大切なことだと思います。うまくいかないことがあっても、自分のペースで一歩一歩前に進むことが出来る人はすごく強い人です。もちろん、どうしても投げ出したくなったとき、諦めたくなったときは、休んでもいいのです。
常に自分に、それが最大限の努力なのか?という問いかけをし続けて、その時自分ができることをやっていれば、人によって早い遅いはあれど、その努力が実を結ぶ瞬間が来るはずです。
私の好きなバンドの曲の歌詞で
走らないぜ 置いていかれたって 僕らしさが溶けてゆくのなら
という歌詞があるのですが、その通りだ…!と膝を打ちました笑
周りと比べて焦る必要はないんです!
置いていかれても手を引いてくれる人がいます。(穎才の先生とか!)
穎才学院では、生徒一人一人と向き合い、それぞれに適した分量、レベルでの指導を心がけています。また、穎才の講師陣は、生徒ひとりひとりの悩みを親身になって聞いてくれて、厳しいけれど優しいあたたかいことばをかけてくれます。私も、穎才の先生方の言葉に何度も打ち倒され、何度も救われています。
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