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新海誠【すずめの戸締まり】で感じた監督の位置

日本アニメ映画の未来の系譜
西洋的なものを多く描いてきた宮崎駿監督などの日本アニメ映画の系譜を経て、それらのオマージュを散りばめながら展開する本作に、
これから先は、新海誠監督が、日本的なもの、或いは日本の神話的なもので、ちゃんと過去の日本アニメ映画の系譜をルーツにして未来に刻んでいこう、そうありながらも全てを越境しようという、監督自身の日本アニメ映画の系譜を担うことへの意志のようなものなのか、流れのようなものを感じました。

時間軸の中に永遠を感じさせる
常世は、「過去現在未来が混在した世界」でしたでしょうか。
映画という時間の流れのある世界に「永遠」は存在しないけれど、それでも扉の向こうに永遠を、或いは宇宙からの視点のような無限の拡張の計り知れない調和を描こうという、新海監督監督のロマンというか感覚というか、アニメ映画を信じているからこその信仰のような姿勢に感銘を受けました。

きっと、この映画の様々なメタファーやその考察をされている方々はたくさんおられると思いますし、テキストもたくさんあるはずです。
そういうこともどんどん楽しめる映画でありながら、
何も考えずに観て楽しめる掛け値なしのエンターテイメント作品ですので、是非劇場で観て頂くのがよいかと思います。

2023年9月。九州の静かな町で暮らす、17歳の女子高校生・岩戸 鈴芽は、ある日の登校中に扉を探している青年・宗像 草太に出会う。彼の後を追って山中の廃墟で見つけたのはある一つの扉だった。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばす。そこにあったのは広い草原と全ての時間が混ざりあった空だった。やがて、日本各地の「災いの扉(後ろ戸)」が開き始め・・・

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