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「昨年25年の修行を終えました」と言われて思い出した25年前のこと(前編)

(Facebookにて2021年2月9日に投稿した内容の転載です;写真は今年11月に数十年ぶりに比叡山を訪れて会館のカウンターで梵字ラテをいただきながら自分で撮影したものです)


今年に入ってすぐ、わけあって10分間だけしゃべった見ず知らずの霊能者に、「あなたは25年の修行を昨年終えられました。卒業証書が出ています」と言われた。

そう言われてみると、ここ数十年、生まれ持った体質、性質に合わないことをやらざるをえないことばかりで(合うことをやろうとしてもなぜかおかしなことが起こり、やりたくないことの方へ戻されるということの繰り返しだった)、自分の最も大事な「感覚」を失う苦痛も含め(10年前くらい)、あらゆる壮絶な道のりを、長年、人知れず通ってきてはいたが、たしかに、昨年から「自分らしい状態」が久しぶりに戻ってきている。

そういえば、「修行」と言われて訝しく思いつつもふと思い出したのが、ちょうど25年前くらいの塾の教室長時代の不思議な夢にまつわるできごとである。その夢の内容とはこうだ。

「乗り合いバスが山の上の停留所で止まると、周囲の人たちが全員降りるので私も一緒に降りた。私以外は皆白装束を纏っており、その人たちが歩いていく方向になんとなくついていくと、山自体が博物館のような寺になっている場所に入っていく。順路に沿って歩いていると、お守りやお札を売っているところがある。そこで、私も何かお守りを買おうと一つ手にとると、そのお守りの裏側に『円珍』と書かれていることに気づく」

目が覚めて、「円珍とは聞いたことがある気もするが誰だろう?」と調べてみると、比叡山延暦寺の天台座主のお一人だった。この夢が私には不思議で仕方がなかったので誰かに話してみたかった。そこで、ちょうどエレベーターに乗り合わせた同僚に話してみることにした。すると、同僚は驚くどころか、「それは比叡山ですよ!」と言うと、あっという間に、新幹線と比叡山の宿坊を予約してしまったではないか。その上、そうやって私を巻き込んでおきながら、数日前になると、「行けなくなったので、一人で行って」としれっと言った。

当時は、真面目に起こる現象をありのままに捉えるようにしては腑に落ちるまで考え、意識的にコツコツと「今」を大事に積み重ねていた頃であり、この時も、自分で全部算段しておきながら急に来なくなった同僚を責めることもせず、一人で比叡山を訪れることにした。

ガイドブックだったか同僚の話だったか忘れたが、その山にある無数の杉は千日回峰行で亡くなった僧の墓であることを知り、貸切状態のケーブルカーで山を登りながら、歴史に想いを馳せた。ガランとした会館では「まあ、あなた一人で来たの?よく来たね」とあたたかく迎えてくださり、琵琶湖を見渡せる一人で泊まるには広すぎる畳の部屋が用意された。これが、期せずして、私の生まれて初めての一人旅となったのだった。

(後編はこちら)

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