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仕事という名の戦争と同じ戦士。

怒りのような感情が、私の中で込み上げたとき、私はまわりの誰かの表情を見るクセがある。こんな思いを抱いているのは、はたして私、だけなのだろうか?と知らないうちに、心でそう思うからだ。

これはもう昔のこと。
競争店との販売競争が激しかった頃のこと。

そのとき、ある上司が、ひとりの若い社員を叱っていた。いや、正確に言えば、ただ、いじめているだけだった。学校でも会社でも、やっていることはあまり変わりはしないのだろう。

それは週に1度、従業員がみな集まる、朝礼でのことだ。その上司は、不意にその社員を呼んだ。名前も呼ばず、「おい!」とその人は指差した。

嫌な予感がした。またか、と誰もが心で思った。みんながしんと、静まり返った。若い社員は訳もわからず、壇上に立たされる。その上司は、その社員のある失敗を、礼儀を知らない子供のように、足を開いた格好のまま、だらしなく喋りはじめた。

いかにそいつがダメであるか、要らない社員かを、時折笑いながら唾を飛ばす。彼が何かを発言しても聞きもしないで、隣のエライさんと、笑い声を上げていた。

若い社員は、オロオロするばかりで、今にも泣き出しそうだった。確かに彼は要領は悪いかもしれないが、これに何の意味があるのか?こんな大勢の人の前で、恥をかかせるそのことが、彼のためになるのか?まだ、この会社には、こんないじめが存在するのかと思うと、私の怒りは、情けなさを通り越し、まさに爆発寸前だった。

しかし、怒るにはあまりにもリスクが多すぎた。いや、正直に言えば、私にその勇気はなかった。”いつか反乱を起こしてやりたい!”そんなとんでもないような気持ちが、そのとき私にはあったのだが、彼と同じ立場には、結局はなりたくはなかったのだ。

そんな自分を責めつつも、私はふと、まわりを見た。せめて、誰か私と同じ思いでいる人はいないのだろうか?とふと、探していたのだ。

しかし、誰もがただ、無表情にかすかに憐れんでいるだけだった。そこには、何の教訓も意味もなかった。

そのときだった。

同じように、その上司を見つめる鋭い目が、そこにあった。驚いたことにその人は、その上司の直属の部下だった。二人とも、指導する立場のエライ人ではあるけれど、その彼は、その上司にいつも飼いならされた犬のように、従うような人だった。

だから私はその人のことを、あまりよくは思っていなかった。どちらかというと、距離を置くような相手だった。その彼が黙ったままで、私と同じ怒りの目をしてその上司を睨んでいた。今にも叫びそうなくらいに。

たぶん、その目に気づいたのは、私ひとりだけだったのだろう。みんな、誰もがうつむいて、その上司の汚い言葉を聞いていたのだから。

結果的には彼も何も言わなかった。上司の話が終わるといつものように「以上で本日の朝礼を終わります」とひとこと、言っただけだった。

みんながガヤガヤと退散する。さらし者にされた社員は、肩を落としたままひとりきり、トボトボと歩いている。

なぜだろう・・・。
いじめられた者はいつも、孤独しか味方がいない。

私は彼に何もしてやれなかった。ただその思いから、何か声をかけたいと思った。それは何も出来なかった私への単なる気休めかもしれない。でも、何も言えそうになかった。せめて、肩を叩きたいと思った。

そのとき、彼に歩み寄る人がいた。
それはなんと、あの上司の部下の人だった。

誰も気付かないような、自然な素振りでその人は、何気なく彼の肩を、そっと叩いた。そしてすぐにまた、あの上司の元へと戻ったのだった。それは私にとって、何かとてつもなく大きな光を見た気がしたのだった。

それからの多くの出来事は、彼と私の大切な想い出の中にある。今は心に閉まっておきたい。

ただ、ひとつだけ言えることは、私は同じ戦士を見つけたのだ。肩を叩いたあの瞬間の、彼の優しい笑顔と共に。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一