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怒鳴る彼女とうつむく彼と。

街中で、ひどく怒っている女性を見た。

それは午前10時ごろ、仕事が遅番だった私は電車を降りて、いつもの交差点で信号を待ってると、後ろのほうから、怒鳴っている若い女性の声が聞こえた。

「どうして私がお金を払わなきゃいけないわけ?キャンペーンでサービスだと言っておいて、どうして!どういうわけよ!詐欺じゃない!」

それはある商品のキャンペーンみたいで具体的にはよくわからないのだけど、そういえば昨日から若い今系の男性が、店頭でキャッチセールスみたいなことをしてた。

とてもノリのいい言い慣れた口調で「今ならキャンペーンサービス中でーす!」とちょっと早口のDJみたいな彼が、その若い女性の怒鳴り声を前にお詫びをするでもなく、困った表情をするでもなく、ただ、ぽかぁんと口を半分あけて固まっていた。

彼にしてみれば、たぶん、その方法で何件もの契約を取っていたんだと思う。けれど、怒り出したその女性を前にして、もはや脳の機能が停止してしまった。”なんだこれ?どうなちゃってんの?”みたいに。こういうとき、どうすればいいのか?というデータが、彼の頭にはインプットされていなかったようだ。

別に彼は本当に詐欺をしてたわけじゃないと思う。でも、たぶん、何かそのやり方が、怒鳴っている彼女には納得がいかないものだったのだろう。

彼はどうするんだろう?と気になった私は、信号が青になっても、ただ、人待ち顔で渡らずに、時計を気にしてる振りをした。

彼は彼女に契約書に書いてもらおうとしていたのか、その体勢は、机に向って少し前かがみに、そのまま顔を上げ彼女の顔を(さっきの半開きの口のまま)見てた。というより見上げてた。

彼女の怒りは収まらず、その声は大きくなってゆくばかりで「責任者を出せ!」とでも言うのかと思った。でも、結局のところ、自分の主張を言うだけ言って「もう、いいわ!それ、破ってちょうだい!」と自分からそのクレームを終わらせて、すたすたとどこかへ行ってしまった。(単に機嫌が悪かっただけなのか?)

私の中で、また、街のいつものざわめきが聞こえ出す。彼はさっきの体勢のまま、まだ、動けないでいる。

少しうつむき加減になる。もしかしたら彼にとっての、はじめてのクレームだったのかもしれない。やがて彼は無表情のまま、何をつぶやくでもなく店の奥へと入っていった。

しばらくして、また、店から出てきたのは、別の若い店員だった。その若い店員は、さっきの彼と同じように、ノリのいいDJ口調で「サービス期間中でーす!」と言いながら明るい営業スマイルで街行く人に声をかけてた。まるでさっきの出来事が、何もなかったかのように。

私は次の青信号で交差点を渡った。

彼に伝えたいことは
たぶん、たくさんあるけれど
あの頃の私みたいに
決して空き缶を蹴るような
そんな気持ちでいないように、と願った。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一