小中学校におけるLGBT教育について:イギリスの場合

常識とは、18歳までに身に付けた偏見の集合である。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

これはアインシュタイン博士の残した言葉だとされていますが、様々な偏見は18歳になるよりもっと早い段階に形成されるものだという見方もあります。英国では2020年から小中学校でLGBTについて学習することが義務付けられることになっていますが、こうした動きも偏見の早期形成が前提となっているのだと思います。

先日このようなツイートが話題になっていました。

より寛容な社会を望む人々からは共感が、同性愛を異常なものだと考える人々からは否定的な意見が挙がっていましたが、比較的多様性に寛容な英国でも、多様なジェンダーの在り方についての早期教育に対して様々な意見があります。

ここでは、ガーディアン紙の社説「At last, a generation of schoolchildren will grow up knowing it’s OK to be LGBT(ようやく、子供たちが『LGBTでも良いんだよ』と教えてもらえる時代が来た)」と、早期LGBT教育に反対するIslamic Human Rights Commission(イスラム人権委員会)のサイトに掲載されている「Exposed and explained: The insidious agenda to foist LGBT on our children(子供たちにLGBTを刷り込ませる悪意に満ちた計画の裏側)」という二つの対照的な記事を紹介したいと思います。

肯定派

ガーディアン紙の社説を書いているのはLGBTの人権促進を訴えるStonewallという団体の責任者Paul Twocockです。Twocock氏は今回の「RSE - Relationships and sex education(人間関係と性の教育)」に関する新たな規制によって、Stonewallの長年の努力が報われたことを歓迎しています。

a whole generation will attend schools that not only accept LGBT people and same-sex relationships, but also celebrate and offer support on the issues that young LGBT people face.

その世代全体がLGBTの人や同性愛関係を認め、さらにはLGBTの若者を肯定し、積極的に支える教育機関で学ぶことになります。

celebrateという言葉は、「祝う」というほかに、「称える」という意味もあります。具体的な例として、その方針の下では小学校の段階で多様な家族の在り方、二人の母親や二人の父親がいる家族などについて学ぶことになります。

If you, like me, were at school in the 1980s and 90s you endured an education system that erased LGBT people and history.

私のように80年代、90年代に学生だった人は、LGBTの人々やその歴史をまるで存在しないかのように扱う教育システムを強いられました。

eraseとは抹消するという意味です。存在の否定というのは嫌悪や排斥が行きつく先だと言えます。erasureはジェンダーだけでなく、民族や言語の弾圧という文脈にも出てくるキーワードの一つです。

1989年に、同性愛を奨励してはいけないという法律ができ、その結果、学校では歴史上の人物や、社会構成員の中にLGBTの人がいることは教えられてきませんでした。教師は同性愛者をいじめから守ることを禁じられ、メディアは「同性愛について教えたら子供が同性愛者になってしまう」と吹聴しました。この法律は2000年代になってやっと取り除かれましたが、20年近く経った今でもその影響は残っています。

同性愛者に対する偏見は根強く、LGBTの若者の45%が学校でいじめに遭っているといいます。

Teaching about LGBT families not only means children from these families see themselves reflected in what they learn, but also helps all young people understand that there’s nothing wrong or unusual about being LGBT.

LGBT家族の在り方について教えることは、そのような家庭で育った子供たちの存在が教育内容に反映されるということであり、LGBTであることななんら悪いことでも異常なことでもないことを理解させることでもあります。

またこの記事では、英国民の60%が小学校で多様な家族の在り方について教えることに賛成であるとし、反対しているのは声高だが少数の「vocal minority」であるとしています。例として挙げられているのは、LGBT教育が自分たちの宗教的価値観と相反すると主張する人々です。

This perpetuates a harmful myth that faith and LGBT inclusion cannot coexist.
こうした主張は、LGBTが社会に受け入れられることと宗教は共存できないという間違った考え方を広めることにつながります。

「myth」は元々神話や伝承という意味ですが、迷信や根拠のない社会通念を指すこともあります。当然LGBTの人でも宗教を信仰している人はいるので、宗教とジェンダーの多様性が共存することは可能なのですが、それらは相容れないものだという決めつけが社会に亀裂を生んでいるという主張です。

Twocock氏は、こうした宗教的な主張が捻じ曲げられて反宗教主義に利用され、社会をますます分断させることにつながるという懸念を示しています。

反対派

宗教上の価値観を理由にLGBT教育に反対している勢力の一つがイスラム教徒です。ここからは、同性愛を神が定めた戒律に背くものとして説くイスラム教徒の立場から書かれた記事を紹介したいと思います。記事を書いているのはイスラム人権委員会の広報担当で、過去にはジャーナリストとしてガーディアン紙に寄稿したこともあるFaisal Bodi氏です。

Twocock氏の社説が新たな性教育の在り方を歓迎しているのに対して、Bodi氏はLGBT教育を世俗的リベラリズムの押し付けとして危険視する見解を示しています。

問題の具体例として挙げられているのは、イスラム教徒が98%を占めると言われるバーミンガムのParkfield Community schoolという小学校です。同校では、同性愛者を公言している副校長のAndrew Moffatt氏が「No Outsiders」というプログラムの下、同性愛や同性婚についての教育を行っていますが、特に問題視されているのは、同性愛を道徳上正しい(morally correct)ものとして扱っている点です。

イスラム教の聖典コーランでは同性同士の性交は罰せられるべき行為だとされ、イスラム教を国教とする国の中には死罪に値するところもあります。西洋諸国では、同性愛について寛容なイスラム教徒もいる中、神の教えに反することとして捉えているイスラム教徒が多いのは事実です。

As the parents in Parkfield have repeatedly stated, they do not have any objections to their children being told that some people choose to be LGBT and that is their choice. However, that does not mean they should be compelled to affirm that those identities and behaviours are right.

Parkfield小学校の保護者たちが繰り返し主張しているように、子供たちがLGBTという生き方を選ぶ人がいること、そして当事者は選ぶ権利があることを学ぶことについては問題にしていません。しかし、子供たちにそうしたアイデンティティや行為が(道徳的に)正しいことだと強制的に認めされるなら話は別です。

つまり、保護者たちの主張は「同性愛について教えないでほしい」ではなく、「正しいということを教えないでほしい」「間違っていると主張することを禁じないでほしい」ということのようです。ここは重要なところだと思います。なぜなら、LGBT教育の肯定派と否定派の議論が食い違う点だからです。

肯定派の項で書いたように、LGBT当事者が問題にしてきたことの一つはerasure(存在の否定)です。その観点からすると、「LGBTについて教えることには反対しない」というのは大きな譲歩のように思われます。しかし、問題は、存在否定の歴史を覆すために必要だと思われる教育の在り方がLGBT当事者とそうでない人では食い違ってしまうのです。

フェミニズムや環境保護など過去の過ちを是正するための運動(corrective action)には「過剰修正(overcorrection)」という批判が付き物です。運動の当事者からすると妥当な処置も、反対の立場からするとやり過ぎに映ることは多々あります。誰もが納得する中立線を定義し、それを順守することは簡単なことではありません。

現に、LBGT当事者にとって過去の同性愛者差別を是正するという動きも、Parkfieldの保護者たちからはLGBTを必要以上に肯定することとして映っています。

LGBT当事者の「存在を否定しないでほしい」という主張に対して、Parkfieldの保護者は「正当性を強要しないでほしい」という非対称的な批判をしていることになります。ただし、Twocock氏がcelebrate(称える)という言葉を使用していたことは考慮すべきだと思います。

また、ここでchoice(選択)という言葉が使われていることに注目したいと思います。LGBT当事者は自分のジェンダーを「選択」だとは思っていないと思います。これも議論にねじれを生じさせる要因だと言えます。「選択」は道徳や倫理と密接に関わる概念です。同じ行為でも、選択の余地があったか否かで善悪の評価が分かれることがありますが、当事者にとって同性愛は自分が選んだことではなく、アイデンティティであると考える人にとって、善悪の議論自体が不当であるということになりかねません。

宗教観とジェンダーアイデンティティの衝突は政府の方針を巡る議論にも表れています。LGBT教育を教育機関へと浸透させる具体策として、Ofsted(教育監査局)が採する評価基準が見直されています。

Bodi氏いわく、現状の監査局の方針は、表向きは教師が個人や学校としての宗教観を述べることを容認しているが、学校の評価がLGBT教育の内容に左右されはじめている事例を挙げています。

In recent years Christian and Jewish schools which were previously classed as good or outstanding have been downgraded on account of their failure to teach children explicitly about issues such as sexual orientation and gender re-assignment.

近年、かつては高い評価を得ていたキリスト教系やユダヤ教系の学校が、トランスジェンダーや性的指向について明示的な指導を行っていないという理由で格下げされています。

こうした事情から、教師たちが学校や自らの宗教観と相容れない指導を行わざるをえない状況が生まれているといいます。

イギリスでは、2010年に施行された平等法(The Equality Act)において保護される特性(protected characteristic)が定義されており、その特性の中には宗教も性的指向も同等の扱いになっています。

Bodi氏は、LGBT教育を推し進めることで性的指向を保護するのであれば、同様に宗教観も保護されるべきだと主張しています。これは保護者たちの「間違っていると主張することを禁じないでほしい」という訴えにつながります。逆に、LGBT活動家は宗教上の理由でLGBT教育をボイコットすることが平等法に抵触すると主張しているので、これもまた中立線の模索が課題となるところではあります。

この記事では、さらに宗教上の理由以外の観点からもLGBT教育を批判しています。

・教材の選定基準が例えば文学的な質ではなく、LGBTによって書かれたか否かといったことが重要視されることにより、教育の質が下がる。
・そもそも性教育は小学生には早すぎる。
・ここまでの改革を行わなければならないような同性愛者やトランスジェンダーに対するいじめの事例があるのだろうか?

教材の選定については教育者が内容と質のバランスに注意を払う必要性は確かにあると思います。

性教育が行われる時期についてはLGBT教育に限らず議論の余地があるとは思います。ただし、一つ言えることは、LGBT教育反対派は同性愛を過剰にsexualise(性的に扱うこと)しているという批判があるということです。特に小学校で推奨されていることは多様な家族の在り方について認知させることですから、セックスについて言及する必要はありません。LGBTについて語ることを、セックスについて語ること結び付けるのは、LGBTを記号化し、人間的多面性を否定することになると思います。

改革の必要性については、実際にいじめの事例が存在するという答え方もできると思いますし、また冒頭で触れたように偏見の形成を予防するためにも早期教育は必要だと主張することもできると思います。

結び

LGBT早期教育について、二つの異なる立場から書かれた記事について紹介・解説させてもらいました。双方の主張の中には、かみ合っていない部分もあれば、正当だと思われる部分もあると思います。イギリス政府の改革の根底にあるのは、より寛容な社会を築くことですから、改革を具体的に進めていく上では宗教も性的アイデンティも両立できるよう現場の声に真摯に向き合ってもらいたいものです。






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