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映画「HAFUハーフ」と学校教育現場

私の勤務校では帰国生入試に限らず、様々なルーツを持った生徒が入学している。学校内をできるだけバイリンガルな環境にしたり、生徒や教職員の異文化受容度を上げることを大切である。そのため上司との雑談で勧められた映画がこの「HAFU」である。
ハーフと呼ばれるミックスルーツの人々の思いがオムニバス形式で語られるドキュメンタリー映画である。

ハーフ、ダブル、ミックスという表現

ハーフという言葉はHalf Breedと動物に使われる表現であり、英語ではともすれば「半分、半人前」という意味に取られかねない。以前はダブルという表現を使う人もいたが根付かなかった。現在ではミックス(ミックスルーツ)ということが推奨されているが、当の本人たちもハーフという言葉を必ずしも嫌っているわけではない。日本にしかないハーフという表現を蔑称として使うのか、蔑称として受け入れるのか、言葉の使い手や受け取り手の気持ち次第なのだと思う。韓国と日本人の親を持つ、私の友達もハーフでいいと言っていた。

ミックスといっても、日本の滞在歴が短い子、生まれてずっと日本に滞在している子、英語が得意な子、苦手な子、日本語のレベルも様々である。

伝統保守的な学校ではミックスの子への言語や文化面への配慮に欠けることも、残念ながらありえます。教師一人の心がけの問題ではなく、体制の問題と言える。
映画でもハーフと呼ばれ外見的特徴から本人のアイデンティティとは逆に疎外感を感じる幼少期が語られていた。子供からしたらイジメや学校の人間関係は非常にストレスでしょうね。授業も日本語だけだと理解に遅れがでかねません。知能の問題ではなく環境や言語の壁による部分を公教育や私教育でどう支援していくかが大切です。支援という言葉自体が特別視しているかもしれない。当たり前にしていくことが大切である。

学校現場では「日本人は〜」と言いがちですが、「日本に住む私たちは〜」が正しい表現だなと内省しながら見ていました。

日本のルーツを持つ子が海外に行くと

日本人の親を持ちながら海外で暮らしていたハーフの子達も黒髪であることや、日本人としてのアインデンティティを殺しながら生活するようです。日本ほど閉鎖的ではないにしろ、海外も地域によっては保守的なこともあります。あるいは日本寺としてのアイデンティティを育てていないのに、日本人として扱われることに違和感もあるようである。

あるいは日本で長いこと過ごした後に海外に行くと「君の中身は日本人だな」と言われることもあるという。
さらには自分がハーフであることを知らなかった子や、物心つかないときに日本国籍を破棄しているケースなど、政治制度的な問題、どちらの国にも所属しきれない葛藤、帰属意識のない故郷に対するモヤモヤなど、悩みは多種多様である。こういった人々に心理的安定性を提供することが課題である。特に学校現場では喫緊の課題であろう。

ハーフとしてのアイデンティティを確立していく過程

みんな大人になるにつれて、逞しく自分のアイデンティティに昇華している様子が映画では描かれています。自分たちと同じ孤独感を特に子供たちには味わってほしくないという思いから、ミックスルーツ関西(MRK)という交流コミュニティを立ち上げている人もいる。
ミックスルーツの方々が自分で自分の居場所を勝ち取っていく姿が見て取れるわけですが、学校で勤務している身としては、学校環境を通じてインクルーシブなコミュニティが形成しないといけないと感じました。

私も仕事柄、多くの外国人の方々と働いていますが、やはり多くが結婚を機に日本で働くことを決断しているようです。日本の人口減少が叫ばれる中で日本で働いてくれることや、子供を産んでくれることって社会にとってはすごく有益である。もっと時代が進めば2世、3世と続くはずである。
昨今では移民政策についても議論がある。巷では(選挙権などがなく、在留ビザ更新など不便が多いにもかかわらず)すでに移民してきている外国人の方々の子供へのサポートが必要である。

判断を急がない

議論を呼ぶテーマなので「正しい」「間違い」判断して、自分の意見を固めてしまいがちである。
しかしこの映画を見て「日本に住む私たち」があるべき社会の姿に向かって知るキッカケ・考えるキッカケ・行動するキッカケになればと思う。 なにが正しいかは分からないけれど人権意識だけは大切にしたいものである。


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