見出し画像

「ムーミン」作者の半生、勇気が湧く物語 【次に観るなら、この映画】10月2日編

 毎週土曜日にオススメ映画3本をレビュー。

①「ムーミン」の作者トーベ・ヤンソンの半生を描き、ムーミンたちがいかに生み出され、成長していったかに迫る「TOVE トーベ」(10月1日から映画館で公開)

②命令を守り続け、終戦後約30年を経て帰還した実在の日本兵を描く「ONODA 一万夜を越えて」(10月8日から映画館で公開)

③ルーマニアを震撼させた巨大医療汚職事件を題材にし、第93回アカデミー賞で国際長編映画賞と長編ドキュメンタリー賞にノミネートされたドキュメンタリー「コレクティブ 国家の嘘」(10月2日から映画館で公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

◇自由でありたいと願うトーベの姿を見ていると、心の底から勇気が湧いてくる(文:映画ライター 清藤秀人)

「TOVE トーベ」(10月1日から映画館で公開)

 第二次大戦が終結し、長く続いた大国、ソ連との敵対関係から解放されて自由な空気に溢れるフィンランドの首都、ヘルシンキ。人々はまるで堰を切ったように夜通しパーティに明け暮れている。そんな喧騒の中に「ムーミン」の作者、トーベ・ヤンソンがいた。

 著名な彫刻家で厳格な父親、ヴィクトルへの反発から、トーベは挑戦的で型破りな生活を送っている。パーティで知り合った既婚の政治家、アトス・ヴィルタネンと親密になる一方で、市長夫人で舞台演出家でもある魅惑のブルジョワマダム、ヴィヴィカ・バンドラーと激しい恋に落ちるトーベ。

画像1

 彼らはそれぞれ、「ムーミン」シリーズに登場するキャラクターのモデルだと言われる。例えば、ムーミントロールの親友、スナフキンはアトスがモデルで、2人だけに通じる秘密の言葉で話すトフスランとビフスランは、トーベ本人とヴィヴィカを投影したキャラクターとか。劇中には、彼女たちが密かに愛の言葉を交わすシーンがあって、「ムーミン」が描かれた背景を覗き見るような楽しさがある。

画像2

 本作はまた、芸術家が迷いながらも創造のエネルギーを取り戻し、アイデンティティを獲得する姿を描いて、より深い部分へ切り込んで行く。彫刻こそが芸術の王道と決めつける父親に反抗し、童話だけでなく、風刺漫画、油絵、壁画とあらゆるジャンルに挑戦して来たトーベ。

 そんな彼女が、自分の他にも次々と女性をハントするヴィヴィカを独占したいという欲求に駆られた時、芸術家としての在り方と方向性をも試されることになる。そうしてトーベは、ヴィヴィカと訣別することで、何物にも束縛されない、真に自由で、強かなマルチ・アーティストへと脱皮するのである。

画像3

 映画の中にも登場し、ポスターに使われている、トーベがフレアスカートの裾を靡かせてジャンプするショットは、人としても、芸術家としても自由でありたいと願う彼女の弾む気持ちのシンボル。宙を舞うトーベを見ると、時代や国籍や職業に関係なく、なぜか心の底から勇気が湧いてくるのだ。

画像10


◇高潔と狂気。ジャングルで生き抜いた最後の日本兵をフランス人監督が描く壮大な人間ドラマ(文:映画.com 今田カミーユ)

「ONODA 一万夜を越えて」(10月8日から映画館で公開)

 「私は平凡で、小さな男である。命令を受け、戦って、死に残っただけの一人の敗軍の兵である」「私はいったいだれのために、何のために戦ってきたのか」(「たった一人の30年戦争」/東京新聞出版局)。1945年太平洋戦争終結後もフィリピン・ルバング島で戦いを続け、74年に51歳で日本へ帰還、“最後の日本兵”として知られる小野田寛郎氏が自著で記した言葉だ。

 小野田氏の実体験を基に、フランスの新鋭アルチュール・アラリが、フィクションの人物として脚色、軍人として青年期から終戦後も約30年間戦争を続けた男の人生を壮大なスケールで描き出し、日本人キャスト、日本語で製作した。第74回カンヌ国際映画祭・ある視点部門に選出され、既に劇場公開されている本国の最大手映画情報サイトAlloCineでは、プレス、観客ともに★4以上という高評価がつけられ、“フランス映画の常識を覆した”“驚くべき映画”などの賛辞が並ぶ。

画像4

 諜報員養成学校出身、終戦を信じようとせず、“命令を受けていない”という理由で、30年も潜伏し続けた……という主人公の特異なキャラクターが観る者を引きつける。映画の中の小野田は、私欲に走らず、部隊のメンバーには実の家族以上の慈しみを持って接するが、終戦後であれ、敵意を見せる島の人間を殺めることに罪悪感は持たない。

 軍国主義が生んだ高潔と狂気を併せ持つ青年期、そして、仲間たちが死に、たった一人となり、バックパッカーの青年に発見されるまで、強靭な精神力を維持しながらも虚無感を漂わせる中年期。それぞれを遠藤雄弥と津田寛治が鬼気迫る存在感で演じ分ける。

画像5

 身を隠す場所であり、時には敵となるジャングルの大自然は、静寂の中に響く音で命あるものの営みを伝える。小野田に率いられた隊員たちの人間らしさ、そのカリスマ性で小野田を魅了した、イッセー尾形演じる上官谷口の変化も胸に迫る。しかし、回想する家族以外の(日本人)女性は不在、性的対象として言葉で語られるのみの、男性だけの世界を描く映画でもある。

 主人公が何を信じ、何と戦い、どう生き抜いたのかを描いた約3時間は長さを感じさせず、とりわけ終戦後、自身の作り上げた陰謀を信じながら戦争を続ける後半は抜群に面白い。エンドロールのクレジットは仏語、エキストラやスタッフの国籍は様々のようだ。

画像6

 鑑賞後、このような傑作がなぜ日本映画ではないのか、という悔しさのような感情が湧くと同時に自戒した。大戦中のフランスは連合国側、今作のロケが行われたカンボジアはかつてフランスの植民地、保護領であり、1941年から終戦までは日本軍が占領した。小野田氏のような兵士は他にいなくとも、勝ち負けに関係なく戦争に巻き込まれた人間は世界中にいる。

 日本の一兵士の人生がドラマとなり、それぞれ異なる自国の歴史を背景に持ちながら、幸福にも戦争を直接体験していない世代が国境を越え、共に生み出した映画という存在の豊かさにも心震える一作だ。

画像11


◇批判や共感は押しつけない、ただただ積み重ねられた事実の圧倒的な迫力(文:映画.com外部スタッフ 本田敬)

「コレクティブ 国家の嘘」(10月2日から映画館で公開)

 ルーマニア出身のドキュメンタリー作家、アレクサンダー・ナナウの最新作。2015年にライブハウス「コレクティブ」で起こった大規模な火災事故(偶然撮影された事故映像に度肝を抜かれる)をきっかけに、国内の医療体制の腐敗が明らかになっていく。

 驚くべきは、被写体とカメラの距離の近さ。ナレーションによる状況説明や心情を語るインタビューは一切登場しない。驚くべき不正の数々が次々と明るみに出るが、カメラは取材対象を淡々と客観的に追っていく。

画像7

 前作「トトとふたりの姉」ではスラム地区に暮らす3人の姉弟たちを主人公に、家族や親戚、近隣の住民による暴力や犯罪、貧困にさらされ、ある者はなす術もなく身を堕とし、ある者は希望にしがみつく姿を、恐るべきリアリティで描いたナナウ監督。多感な子供たちの本音はもちろん、当然のように部屋にたむろし、ドラッグに耽る大人たちの日常も、カメラは空気のような見えない存在になりきって余すことなく捉えていた。

 今回の「コレクティブ」は前半が取材に奔走する新聞記者トロンタンとそのチーム、後半が辞任に追い込まれた保健相の後任として着任した若き大臣ヴォイクレスクと、逆の立場にある2つの視点から事件を描いている。

画像8

 トロンタン記者を追ったカメラは極秘取材にも同行、政府の発表に一喜一憂し、核心に迫るたびに身の危険さえも感じるスタッフたちの不安をそのままに映し出す。そこには息抜きの街並みや背景などの定番ショットも、気分を盛り上げるBGMも存在しない。圧倒的な事実の積み重ねがあるだけだ。

 また、取材に協力的だった大臣ヴォイクレスクは、ナナウ監督を密着させ、オフレコの会議にもカメラを入れる度量を見せるが、改革に臨んだ相手の底知れない大きさや、選挙を前にした微妙な時期も重なり、次第に権力に絡め取られていく無力さが印象的だ。

画像9

 革命によって民主化が進んだルーマニアだが、前政権が労働力確保のため制定した中絶禁止令は大量の孤児を生みストリート・チルドレン化、自由経済は単にその格差を助長しただけとも言われている。ジプシーなどへの人種差別も根強く、映画に描かれたように政情も不安定で、EUの最貧国という不名誉な称号まで付けられてしまった。

 しかし、ナナウ監督の妥協なく現実を映し出した作品は、容赦なく問題点を浮き上がらせ、ルーマニアの改革への道筋を付けているように思える。いや、そう思いたい。

画像12


↓バックナンバーとおすすめ記事はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?