私がメンヘラになった経緯①

生まれてからすぐ死にたいなんて思う赤ちゃんはいないですよね。今日はなぜ私が死にたいなんて思うような人間になってしまったかを書きたいと思います。長いのでわけます。

私がメンヘラになった経緯① (この記事)
私がメンヘラになった経緯②



私は小さい頃からかなり感受性豊かな子どもでした。絵を描くのが大好きで、常に頭の中で色々な空想・妄想遊びをしているタイプでした。友達と遊ぶのも大好きで、悩みなんて皆無でした。基本的にいつでも笑っていて好奇心旺盛で人生は楽しいことでいっぱいだと感じていました。

そんな私ですが人生最大の転機が訪れます。小学校4年生、つまり10歳の時に引っ越し・転校をすることになりました。当時そんなに新しくないアパートに住んでいたのですが、父親が出世したのか、新築のいい感じのマンションに引っ越しました。私はそれまで不思議ちゃん全開の子どもだったみたいで、友達と遊んでばかりだし、よく母親にちゃんとしろと言われていた気がします。そこで、この引っ越し・転校をきっかけにこれからはもっとちゃんと生きよう、と決意したことを覚えています。今思えばこれが全ての終わりの始まりだったように思います。

引っ越してからの私は強迫性障害のような症状を発症します。朝、ベッドから起き上がって歩き出す歩数を数えて、うまくいかないとまたベッドに戻って起き上がるのを繰り返したり、洋服などを異常に綺麗に整理しないと気が済まなくなったりしました。私なりに新しい人生の始まりというのを意識して頑張っていたんだと思います。この頃から意味もないのに悲しい気持ちになってベッドで延々と泣いていることが多くなりました。理由はないけれどなんかずっと寂しい空しい悲しいという気持ちがこの頃から強くなった。どう考えてもこの時期から私は心が壊れてしまいました。

とはいえまだ小学生だった私。さいわい転校した小学校にはそのうち仲のいい友達が沢山できて毎日チビるくらいゲラゲラ笑って過ごせるようになりました。友達と一緒に帰って、放課後も友達と遊ぶ。そんな小学生らしい日々。そんななか私は中学受験をしました。なんとか5つ上の姉が通う、それなりの進学校の中高一貫校(共学)に合格しました。

この中高一貫校に入学してからが本当の意味での地獄の始まりでした。まず入学早々、異変に気付く私。あれ・・・周りの子たちがなんか大人しいぞ(;゚Д゚) そこそこ偏差値が高かったせいか(私は姉がいるから繰り上げ入学できただけで正直受かったのが奇跡というくらいバカでした)、優等生ぽい人たちが多い。それまで小学校の友達とゲラゲラしていた私はさっそく友達作りに失敗します。最終的に少しオタクっぽい子が多い友達のグループに入りました。とはいえ彼女らはオタクなだけでみんなコミュ力は高かったです。ガチの陰キャコミュ障は私だけ。

入学してから美術部に入りましたが、同級生で美術部は私一人だけで、途中で部活も行かなくなり帰宅部になりました。小学生の頃からチャットにハマりPCがオトモダチになっていた私は、この頃からチャット以外にホームページ作りや画像作成にも精を出し始めます。放課後、家でPCの前にはりついてHTMLやカラーコードと睨めっこしている女子中学生。なんかイヤですね。ちなみに中2の頃チャットで仲良くなった10歳年上の会社員が初体験の相手。わら

中3の頃、文化祭でぼっち参加は嫌だなと思って友達が何人かいた演劇部に入る。でもしだいに部活も面倒くさくなってサボって学校内のカウンセリングルームに入り浸ることも増えました。学校の休み時間は基本一人で過ごしていたし、授業中はほぼ寝ていた。休日はよく友達とカラオケをしていました。インドア陰キャはカラオケくらいしかやることがないんです。友達にアニオタが多いのでアニソンにハマりました。歌うことが大好きで中3でヒトカラデビューも果たしました。あるカラオケ店に通いすぎて店員にリアルpgrをくらったり。青春という青春を経験していないのですが、まだ友達がいて部活に入っていただけ完全に孤独ではなかったのかもしれません。

姉は私と正反対で、美人で性格が良く勉強もでき、明るくて優しくて友達も多く彼氏ももちろんいて、バイトもしていて親とも仲が良かったです。私は全部その正反対で、ずっと姉への劣等感でぐちゃぐちゃにひねくれていました。姉にばかりよくしている(ように当時見えた)親のことも大嫌いでした。家族で食事に行っても一言も喋らないでずっと不機嫌にしていたり。中1~高2まで灰色の5年間を過ごし私のメンタルは完全に終わっていました。生きている意味が分からなかったしチー牛キモオタ並みにひねくれていた(偏見) 。この頃からなんとなく死にたいなぁという気持ちがふと芽生えることが多くなりました。

しかし高3で転機がきます。クラス替えがあったのですが、そこに仲いい友達が何人かいて、休み時間も気軽に話せる相手ができて、なんとなく気持ちが安定してきます。そしてこの頃、きっかけは忘れましたが、同級生のある男子に恋をします。相手は帰国子女で勉強もスポーツもできていつも男友達に囲まれて楽しそうにしている、今思えば完全な陽キャだった。私はその男の子と一言も話したことない。しかしなぜか私はこの人が自分の魂の片割れだ!!と確信してしまいます。キモい。痛すぎる・・・。ちなみに別にツインレイの概念を知っていたわけではないです。でもやっていることが相手がツインレイと信じて疑わない不倫オバサンと一緒だ。

片想いをキッカケに人生で初めて躁状態のような状態になってしまいました。朝早く起きて何時間もウォーキンをするようになり、めちゃくちゃ痩せて心配されました。歩くスピードも速くなり、いつもハイテンションな状態になる。何もなくても多幸感にあふれ、満たされた気持ちになり、仲のいい友達と腹を抱えて笑えるようになる。今まで話さなかった同級生とも話すようになりました。ネイティブの英語の先生たちと仲良くなり、一緒に帰って電車内で英語をペラペラ話したりしていました。草。人類みな兄弟みたいに思えて、電車内で目の前に座っているサラリーマンに、今日も暑いですね☆とか話しかけたりしていました。あとは今まで親に対してはずっとだんまりを決め込んで何かをハッキリ言ったことがなかったんですが、やっと反抗期が来たというか、言い合いの喧嘩もするようになりました。朝、起きて母親におはようと言われて返事したくなくてしなかったら包丁を取り出されたりしてました。

あまりにも人が変わってしまったので周りの友達は私のことを心配していたし、多分、学年の中でも噂になっていたと思います。でも私自身は、やっと自分らしく生きられるようになったと思っていました。常に気が立っている状態なのでイライラカリカリすることも多かったけど、昔の自分はドクソ陰キャで言いたいことも言えない子だったから、堂々と自由に振舞えて色んな人と話せるようになったのが嬉しかった。そんなハイテンションのまま、見事に姉と同じ難関私立大学に合格しました。笑っちゃうほど全然勉強してなかったんですが、英語がめちゃくちゃ得意だったので受かりました。

つづく。



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