えいちゃん

前職は依存症の方を積極的に受け入れる精神科の訪問看護ステーションの管理者。現職は訪問看…

えいちゃん

前職は依存症の方を積極的に受け入れる精神科の訪問看護ステーションの管理者。現職は訪問看護のコンサルと日本の医療・介護現場で働きたい外国人に仕事を紹介、定着まで支援する会社で働いてます。記事は旅とか恋とか家族とか仕事少々のエッセイです。夢は職業文筆家です。よろしくお願いします👍

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  • えいちゃんってこんな人!

    自己紹介!

  • なぜアルコール依存症看護に魅力を感じるのか

    世界中のアルコール依存症がなくなることを夢見て願い行動しています。この文章が全ての人のリカバリーストーリーの一助になりますように。

最近の記事

真実

ユウタのお母さんと最後にあったのは高校1年の寒い冬の夜だった。学校の帰り道、駅の近くで「えいじくん、ひさしぶりね。元気?」と声をかけられた。化粧をしていたから一瞬だれかわからずに戸惑った。品のよさそうな女性2名と一緒にどこかに向かっている途中のようだった。少し酔っぱらっているのか、頬が紅潮していた。それがなんだかすごくきれいでドキドキしたのを覚えている。「たまには遊びにおいで。ユウタもきっと喜ぶ!」といって笑顔で手を振りながら去っていった。 ユウタは小学校の同級生だった。お

    • 真実(後編)

      ユウタが高校3年生の夏休み、お母さんは乳癌で亡くなった。享年40歳だった。私が最後にあったのが高校1年生の終わりだったが、その頃は変わらず元気だったそうだ。夏休みのはじめに癌が発見され、すでにあちこちに転移していた。そして夏休みのうちにあっという間に亡くなった。 ユウタはひとりっ子だった。お父さんは出張で家を空けることが多かったので、実質は母と二人三脚で歩んできた人生だ。高校生のうちにそんな母親を失ってしまった喪失感は計り知れない。 私は「あのさあ、おれおばさんのこと好き

      • 真実(前編)

        ユウタのお母さんと最後にあったのは高校1年の寒い冬の夜だった。学校の帰り道、駅の近くで「えいじくん、ひさしぶりね。元気?」と声をかけられた。化粧をしていたから一瞬だれかわからずに戸惑った。品のよさそうな女性2名と一緒にどこかに向かっている途中のようだった。少し酔っぱらっているのか、頬が紅潮していた。それがなんだかすごくきれいでドキドキしたのを覚えている。「たまには遊びにおいで。ユウタもきっと喜ぶ!」といって笑顔で手を振りながら去っていった。 ユウタは小学校の同級生だった。お

        • HIROSHIMA

          私にとっての第二の故郷、広島。とはいうものの、子育てと訪問看護事業に奔走して気付けば10年間訪れていなかった。先週たまたま入った京都出張とたまたまとっていた夏季休暇がうまく重なった。ここしかない、と広島まで足を運んだ。たった一泊だが、旅は日数ではない。それをしみじみと感じた一人旅を振り返る。 小学校6年生になる春休み、母は私に私立中学の受験を勧めた。私は勉強が好きではないわけではないが、興味を持ったことにしか力を発揮できない性格だった。だから通知表には体育と音楽以外すべて「

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        • えいちゃんってこんな人!
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        • なぜアルコール依存症看護に魅力を感じるのか
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        記事

          HIROSIMA(後編)

          翌日、私は一人宮島を訪れた。船に乗り島が近づいてきた。25年ぶり(だと思う)の上陸だが、良い意味でほとんど何も変わっていない、というのが私の感想だった。ただただその幻想的な景観と情緒ある街並みは変わらぬ姿を維持していた。宮島に下船した時間帯は9時台だったが、外国人の観光客を中心に多くの人でにぎわっていた。運がよいのか悪いのか(悪くはないか)前回訪れた時はたまたま干潮時で、歩いて鳥居まで渡れて触ることもできた。今回は海の上に浮かぶ鳥居をしっかりと臨むことができたので、これだけで

          HIROSIMA(後編)

          HIROSIMA(前編)

          私にとっての第二の故郷、広島。とはいうものの、子育てと訪問看護事業に奔走して気付けば10年間訪れていなかった。先週たまたま入った京都出張とたまたまとっていた夏季休暇がうまく重なった。ここしかない、と広島まで足を運んだ。たった一泊だが、旅は日数ではない。それをしみじみと感じた一人旅を振り返る。 小学校6年生になる春休み、母は私に私立中学の受験を勧めた。私は勉強が好きではないわけではないが、興味を持ったことにしか力を発揮できない性格だった。だから通知表には体育と音楽以外すべて「

          HIROSIMA(前編)

          Hero's Mark~2023 Ehime Essay Contest Love Face Impressive Story Award-winning Work~

          "Hey dad. My friend's hands don't have this kind of red color." On the way home from nursery school, my 4-year-old second son muttered weakly behind me as I rode my bicycle. He was born with a large birthmark on the back of his left hand.

          Hero's Mark~2023 Ehime Essay Contest Love Face Impressive Story Award-winning Work~

          キャリア・チェンジ

          23年間、私は看護師として病院、クリニック、訪問看護ステーションで働いた。そのキャリアのほとんどが精神科だった。そして45歳で看護師ではない異業種にキャリアチェンジした。 転職のきっかけはうつになったから。そしてうつになった理由は看護師、管理者として自分が背負える限界を遥かに超えた責任を背負ってしまっていたから。そう振り返っている。休職中、妻に転職を勧められた。妻が私の仕事について意見を言うことはそれまでほとんどなかった。しかし、いつも元気だけが取り柄の私が沈没している姿を

          キャリア・チェンジ

          除霊

          「あの店のカウンターに透明のおじさんが座っている」 そう言って大好きなレストランに行くことをためらうようになったのは妹が小学5年生の頃だった。お店のマスターは腕は良いがマナーのない客は追い返すような江戸っ子気質で、妹がテイクアウトばかりでお店に顔を出さなくなった理由を聞いて「霊感とかそういうやつ?そんなのいるわけないだろ。」と機嫌を悪くした。 それから数年後、母親のお寺関係の古い友人スピリチュアルカウンセラー、ドラゴン先生(前話「チャンネル6」参照)を連れてそのお店にいっ

          除霊(後編)

          ドラゴン先生はマスターと一緒に8階の角部屋に向かった。玄関の前にたどり着くと、そこからは駅から随分と離れた下町の閑静な住宅街が視界に広がった。さらには都境にあたる大きな河川敷、遠くには都心のビル群まで望むことができた。空には大きな入道雲が浮ぶ夏空が広がっていた。ドラゴン先生はしばらくその景色を眺めてから「なるほどね。では、部屋に入りましょう」といった。 玄関からはふすまの空いた二間ある室内を一望できた。雨戸が閉まっているため室内は薄暗かった。「雨戸をあけて電気をつけますね」

          除霊(後編)

          除霊(前編)

          「あの店のカウンターに透明のおじさんが座っている」 そう言って大好きなレストランに行くことをためらうようになったのは妹が小学5年生の頃だった。お店のマスターは腕は良いがマナーのない客は追い返すような江戸っ子気質で、妹がテイクアウトばかりでお店に顔を出さなくなった理由を聞いて「霊感とかそういうやつ?そんなのいるわけないだろ。」と機嫌を悪くした。 それから数年後、母親のお寺関係の古い友人スピリチュアルカウンセラー、ドラゴン先生(前話「チャンネル6」参照)を連れてそのお店にいっ

          除霊(前編)

          チャンネル6

          私が霊感を信じるようになったきっかけは妹と友人Y子にある。 温泉街の山の上に立つ古びた分譲マンション。 それは伊豆のとある温泉街にある母方の祖父母が所有していた別荘だ。毎年夏になると祖父母や両親に連れられて遊びに行った。 そのマンションの和室のおもちゃ箱の中に、母が小さい頃に誰かからもらった女の子の洋人形があった。2歳児くらいの等身大サイズのその洋人形は、自宅に置くには大きすぎたためか、母が別荘に遊びに来た時のおもちゃの1つとしてそこに置かれていた。 妹は小さい頃からそ

          チャンネル6

          マヤ幼稚園

          ぼくの実家は小岩で3代続く墓石屋。そして今でも大変お世話になっているお寺さんの運営していた幼稚園、それがマヤ幼稚園だ。兄と妹3人がお世話になった母園である。 毎朝、のの様(仏を敬う幼児語)に歌と花を捧げることから幼稚園の1日はスタートする。ちなみに「のの様」とは例えばブッダとか何かひとつの存在を指すのではなく、目に見えない大きな存在を指す。そしてのの様はいつもぼくらが理性的な選択をできるように見守ってくれている、そう習った。そんな環境で幼児教育を受けたからだろう。なにか後ろ

          いとしのデヴィー

          #エッセイ部門 19歳、夏。ぼくはブロンド・ガールに恋をした。 オーストラリア、シドニーから北に約80キロの小さな町、ゴスフォード。 日本の高校を卒業して約1年、この町に留学生として住んでいた。半年が経過したころ、語学学校で出会った友人の誕生日パーティーに誘われた。場所はゴスフォードリーグスクラブ。ダンスホールやレストランがあるこのクラブは週末になると多くの若者でにぎわった。 友人の誕生日パーティーが終わりレストランを出たエントランスで、ぼくはトイレに行った友人を待っ

          いとしのデヴィー

          またね、ぎんちゃん

          犬派だった我が家にとって、ぎんちゃんははじめての愛猫だった。生後10カ月で大病を患い、1歳10カ月で彼はこの世を去った。 最近になっていろいろな文章を書く機会をいただくようになり、その行為により自分自身の気持ちが整理される実感が得られることを知った。そこで、自分の中でどうしても引きずっているぎんちゃんの死についても書いてみようと考えた。これは自分を次の段階に進めるための行為であり、同じ境遇にある方々のわずかな助けになれば、という願いを込めた文章である。 2020年6月のよ

          またね、ぎんちゃん

          「ゆうしゃのしるし」

          「ねえ、おともだちの手にはこういう赤い色がないんだって。」 保育園の帰り道、自転車をこぐ私の後ろで、4歳の次男が弱々しくつぶやいた。 彼の左手の甲には生まれつき大きなあざがある。私は個性があってよいではないか、と気に留めていなかったが、心配性の妻は皮膚科に相談したことがある。 主治医は「特に悪いものではないです。一般的なあざなので消えることはないですが、年齢とともに目立たなくなることもあります。」と話していたそうだ。妻が懸念した意味がようやくわかった。 「なにかお友達

          「ゆうしゃのしるし」