見出し画像

マヤ幼稚園

ぼくの実家は小岩で3代続く墓石屋。そして今でも大変お世話になっているお寺さんの運営していた幼稚園、それがマヤ幼稚園だ。兄と妹3人がお世話になった母園である。

毎朝、のの様(仏を敬う幼児語)に歌と花を捧げることから幼稚園の1日はスタートする。ちなみに「のの様」とは例えばブッダとか何かひとつの存在を指すのではなく、目に見えない大きな存在を指す。そしてのの様はいつもぼくらが理性的な選択をできるように見守ってくれている、そう習った。そんな環境で幼児教育を受けたからだろう。なにか後ろめたさを感じてしまった時に「のの様はみている」という罪の意識が幼心に芽生えた。このような素養は良くも悪くも今のぼくの心の基盤として機能している、と思う。

そんな幼稚園なので、一般的な幼稚園とは少し違った授業が多かった。特に月に一度くらいある「お茶」の授業は楽しみの一つだった。みんなで手をつないでお寺まで歩き、住職にご挨拶をする。お弟子さんに誘われて茶室に入り、お作法を教わりながらお抹茶を立てる。お椀をクルクル回してにがーい抹茶を飲むと、その後はお茶菓子を食べることができる。ここが楽しみだった。

ある日、ぼくはトイレに行きたくなり茶室を離れた。茶室の隣にトイレがあったが、なぜかぼくは境内の奥のトイレに向かった。理由はよく覚えていない。おしっこをすませて帰る途中、本堂の扉がほんの少し開いていた。ひんやりとした風と共にお線香の香りが漂っている。ぼくはその香りに誘い込まれるように本堂に入った。

本堂の中は薄暗く、お線香の香りがより濃くなった。不思議と怖さはなく、むしろ静寂に包まれている感覚が心地よかった。壁にはたくさんのお坊さんの絵が飾られていた。少し奥に入ると、煌びやかな飾りの向こうにのの様と思われる小さな像が飾られていた。ぼくの想像しているののさまよりもずいぶんお顔が小さいなぁと思った。

「えいちゃん、こんなところにいたの?」

振り返ると担任の先生がいた。優しいだけではなく怒る時はビシッと怒る怖めの先生だった。でもある出来事をきっかけに、ぼくはその先生が好きになった。

とある工作の時間。厚紙で壁掛け時計を作っていた。厚紙を切る際に、ぼくは右手が疲れてしまい、利き手と逆の左手でカッターを扱った。そして次の瞬間、ぼくは右手の中指をザックリと切ってしまった。今でも中指の爪の付け根から半円を描いて指の中心まで傷が残っているからなかなかの大怪我だ。

先生はぼくを怒らなかった。素早く止血をして裏門から近くの病院連れて行ってくれた。その間、ぼくの血まみれの手をタオルの上からぎゅっと握っていた。先生の手もぼくの血で赤く染まっていた。「えいちゃん、大丈夫よ。先生がついているからね。」と先生はやさしく何度も繰り返した。その時に見上げた先生の横顔を今でも鮮明に覚えている。

「えいちゃんもここが好き?私もここが好きなの。誰にも打ち明けられないようなことも、のの様に伝えると気持ちがスッと楽になるの。大丈夫だよ。のの様がついているからね、そんなふうに言ってくれる気がしするの。」とのの様の方に向かって話した。そして手を合わせて一礼した。

先生は本堂から茶室までぼくの手を引いて歩いた。そして「手の傷、すっかりきれいになったわね。あの時、えいちゃん泣かなかったじゃない?手を縫っている時も。強いなあって思ったよ」といった。ぼくはなんだか嬉し恥ずかしで下を向いた。そして泣き虫のぼくがあの時泣かないでいられたのは先生のおかげだと思った。「先生がついているからね」という言葉が、ぼくの心を安心させてくれた。今はそう思う。

親となり子供が不安になっている時、ぼくは「大丈夫。お父さんがついているよ」と伝えるようになった。困った時、ぼくには先生がついていたし、大人の先生にもちゃんとのの様がついていた。だからぼくは世の中、自分が誰かを見守っているように、誰かがきっと自分を見守ってくれている。そう信じて生きてよい、と思っている。

おしまい

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?