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いとしのデヴィー


#エッセイ部門

19歳、夏。ぼくはブロンド・ガールに恋をした。

オーストラリア、シドニーから北に約80キロの小さな町、ゴスフォード。

日本の高校を卒業して約1年、この町に留学生として住んでいた。半年が経過したころ、語学学校で出会った友人の誕生日パーティーに誘われた。場所はゴスフォードリーグスクラブ。ダンスホールやレストランがあるこのクラブは週末になると多くの若者でにぎわった。

友人の誕生日パーティーが終わりレストランを出たエントランスで、ぼくはトイレに行った友人を待っていた。その時、ダンスホールから出てきたブロンド・ガールと目が合った。きれいな子だなーと見惚れていた次の瞬間、「日本人ですか?私は日本に留学したことがあります」と声をかけられた。

周りを見渡しても、その場にはぼくしかいなかった。とまどいながら「はい。日本人です。」と日本語で答えた。まぬけだ。それでも彼女は日本語で「日本からの留学生ですか?」と続けた。ここからは英語で「はい。そうです。私の名前はエイジ。日本から来ました。この町に住んで5か月になります」と答えた。彼女は友人と目を合わせ、ぼくに視線を戻しとびきりの笑顔をみせた。そしてペンと紙を鞄からだして電話番号のメモをくれた。「私の名前はデヴィ。もしよかったらここに電話してください。それから、エリナフェア(郊外のショッピングモール)のスーパーでレジのアルバイトをしているから、遊びに来た時には声をかけてね」と言い残し友人と去っていった。トイレから戻った友人たちが電話番号が書いている紙切れを握りしめて呆然と立ち尽くすぼくを発見して「おい、いったい何が起きたんだ」と話しかけた。この数分間で起きたことを説明した。そして友人たちがそろって「うそだろ」といった。

あの頃、日本ではまだポケベル全盛期だった。オーストラリアではポケベルすらなかったのでもっぱらのやりとりは電話だった。ぼくはまるで思春期に戻ったかのように数日間電話と電話番号とにらめっこしては受話器を上げ、また下げてを繰り返した。それをみたホストマザーが心配して理由を聞いてくれた。マムは「Eiji!congratulation!」とぼくに強めのハグをした。そして「電話をかけるのに慎重になる気持ちはわかるわ。一度ショッピングセンターにいってみたらどお?」といってくれた。早速次の日の授業が終わった後、パーティーに参加していた学校の友人とエリナフェアに向かった。

彼女の働いていると聞いたお店の名前を頼りに、ショッピングセンター内の大きなホームセンターに向かった。無数に並ぶレジの手前から10番目くらいにデヴィらしき人物を発見した。友人が「おい、エイジ、いけよ。何時に仕事が終わるか聞いて一緒に帰りましょうっていってこいよ」と無責任なことを言った。とはいえ向こうから声をかけてくれたのだから、ここは自分から行かなくては相当なチキン野郎だ。そう腹をくくり、人気がなくなったタイミングを見計らってデヴィに声をかけた。彼女はぼくの顔をみて驚いた表情を見せた。その後笑顔で「会いに来てくれてありがとう、17時に仕事が終わるから待っていてくれる?」といった。「もちろん。」と答えて友人の元に戻って報告した。「うそだろ」と一人が言ってみんなが大笑いをしながら「よかっな。じゃあおれら帰るわ」といってさっさと引き上げていった。

17時を回ると、デヴィは私服に着替えてお店から出てきた。「エイジ、おまたせしました。車できているから送っていくわ」といって一緒に車に乗り込んだ。マニュアルシフトのダットサンを乗りこなす彼女の姿を見てかっこいいーなー、とまた見惚れてしまった。こんな感じで、時々家に送ってもらうというよくわからないけどハッピーな交友関係がスタートした。

デヴィの仕事終わりに家まで送ってもらう車の中で、ぼくたちはお互いのことをたくさん話した。デヴィはできる限り日本語で話をして、ぼくはできる限り英語で話をした。

デヴィは高校を卒業したばかりの18歳だった。高校2年生の夏休み、彼女は日本に1ヶ月間留学をして、とても優しいホストファミリーと過ごし、いろいろな体験をさせてもらって日本が大好きになった。今はアルバイトと家業を手伝いながら再来日して日本で働く夢を持っていた。

ある日、デヴィにクラブで一緒にいた日本人の友人を連れてうちに遊びにこない?と誘われた。ぼくは1番親しいりょうにその話をした。

「えいじ。おまえはアホだな。そんなの1人で行ってこいよ。デヴィだってそれを期待してるだろ。」と突っぱねた。でもぼくはわかっていた。デヴィはきっと親切心から日本で出会った人々が自分にしてくれたことをぼくにしてくれようとしている。現時点で先方はこちらにそれ以上の感情は抱いていない。それにりょうは英語力がとてつもなく高いのでいてもらうと助かる。その意見に対してりょうは「そんなもんかね。まあ、仕方がないからついていってあげよう。貸し、ひとつな。」と言った。

デヴィとりょうとゴスフォードの駅で待ち合わせた。留学生なので電車とバス以外に移動手段がなかったぼくたち。行動範囲は極めて限定されていた。だからデヴィはいつも迎えにきてくれたり送ってくれたりする。

デヴィの車の後部座席に2人で乗り込んだ。しばらく走るとぼくらの行動範囲をあっという間に超えて、見たことのない景色が広がった。まるで北海道の丘と大草原の景色だ。「私の家はちょっと田舎にあるの。びっくりするわよ」とデヴィはイタズラっぽく笑った。

やがて大きな通りから一本横道に逸れた舗装されていない畦道に入った。その向こうには平屋のウッドハウスが見えた。そしてその建物の前で車を停めた。そこはとてつもなく広大な牧場だった。

「えいじ、りょう、昼食はバーベキューよ。その前に手伝って欲しいことがあるの」

そう話すとデヴィは日陰で寝ていた犬に声をかけて牛舎へと向かった。ぼくたちの仕事は放牧した牛たちの進路を塞いで牧草地帯に誘導する役割だった。解き放たれる牛たち。追い立てる犬。その先で待ち構えるデヴィとぼくとりょう。「こうやって大きく手を広げて上下させるの。やってみて」言われるがままに僕たちは手を動かした。牛のあゆみはそれ程早くはないものの、突進してきたら終わるな、と心の中で思った。りょうを見ると「ふぉえーん!」とよくわからない叫び声をあげて楽しそうに手を大きく振っていた。こいつのこういうとこ、うらやましいわ。「エイジ、大丈夫よ。きっとうまくいくからりょうみたいにやってみて」と笑いながら言った。牛たちの目を見て、誘導する先に向かい手を振ると、みんなは牧草地隊へと素直に歩いて行き、やがて好き好きに草を食べはじめた。「エイジ、リョウ、どうだった?面白かったでしょ!」デヴィはイタズラっぽい笑顔でそう言った。

その後、デヴィとその家族と一緒にバーベキューをした。あの牛たちは果たして牛乳担当なのか食肉担当なのかはわからないが、そんなヤボなことは聞くことをやめた。するとりょうが「この肉はあそこにいる牛たちなのかな?」と聞いた。こいつ…。デヴィは丘の向こうに視線をやり、またこちらを向いて「まあね、そういうことね」と真顔で答えた。りょうはナイフとフォークを置き両手を合わせて「ありがたく頂戴いたします」と日本語で言い、その文化的な意味を英語で簡単に説明した。デヴィとその家族は大笑いしながら同じように手を合わせた。りょうは、まあ、そんな感じの裏表がなく、憎まれない性格の友人なので今でも付き合いがある。

帰り道、りょうを先に家におろし、ぼくの家まで送ってくれた。「エイジ、今日はありがとう。りょうもとても面白い人ね。楽しかったわ。来週末、クラブに友人と遊びに行くの。よかったらエイジもこない?友達に紹介したいの」ぼくは「誘ってくれてありがとう。もちろん、断る理由なんて一つもないよ」と答えた。

そしてこの約束が、思わぬ事態を引き起こすことになる。

午後8時、ぼくはゴスフォードリーグスクラブに到着した。

ホストマザーとファザーがエントランスまで車で送ってくれた。マムはとても心配そうに「よいですか、エイジ。レストランとダンスホールは全く違うわよ。スチューピッドな酔っ払いがたくさんいるからくれぐれも気をつけなさい。」といって送り出した。ずいぶんな心配のしようだな。その時はそう思った。

結局、ぼくはデヴィに連絡をしないままこの日を迎えた。今考えれば、きちんと連絡をして会いに行かなかったのには理由があった。看護師になるための大学に見学にいった結果、このままオーストラリアで看護師になったとしても日本に帰ったらその免許をつかって看護師の仕事ができないことがわかったのである。海外で働くにしても、まずは日本に帰国して看護師になる。そう心が決まっていた。だから一目でも合えればそれを伝えようと思っていた。それから、友人たちに紹介してもらったとしてもその中で渡り合えるほどの会話力もない。いろんな意味で自信がなかったのだ。それに、そんなに大きな場所ではないし、人探しをするのにそれほど苦労をしないだろう、そう高を括っていた。

エントランスの前に強面で大柄なのSPが仁王立ちしていた。近づくと「IDをみせろ」と凄まれた。パスポートを見せた。そして「今日は今のところお前以外にアジア人をみていない。一人で来たのか?」といわれた。結局リョウには声をかけなかった。誘えば来てくれたかもしれないが、いろんな意味でここは一人で乗り越えようと思ったのだ。ぼくは「イエス」と答えた。SPは少し気の毒そうな顔をして「そうか。グッドラック。」といった。

レストランの入り口をスルーした向こう側の両サイドに入り口があった。ダンスフロアは2カ所。まずは左側の扉を開けた。その瞬間、とんでもない爆音と光の渦の中、とんでもない数の欧米人がですし詰め状態で踊り狂う光景が飛び込んできた。フロアも広大でドリンクをオーダーするカウンターが人ごみに隠れて全く見えなかった。甘かった。そもそも高校を卒業したてで日本では未成年。クラブとかディスコとかに行ったことがなかった。それでもここまで来たんだ、行くしかない。そう腹をくくって人ごみをかき分けた。

目が慣れてきたのは良いが、デヴィと同じような背格好のブロンド・ガールはそこら中にたくさんいる。くらいし、うるさいし、みんな酔っぱらっているし。こんなところで、デヴィを発見することなんてできるのだろうか。ひとまずドリンクカウンターに到着。ビクトリアビター(ビールね)を一杯頼んだ。ちなみにオーストラリアは18歳からアルコールが解禁される。日本では未成年でも19歳は成人扱いだ。

ビールを片手にしたことで少し気持ちが落ち着いた。しかし、一向にデヴィらしき人、というか識別ができない。空いているテーブルがあったので一息つくためにジョッキを置いた。するとあきらかに酔っぱらった男が僕の顔をみて「おい、おまえ、何人だ?」と非友好的に話しかけてきた。「日本人だ」と答えた。するとにやにやした顔をさらに近づけてきて「日本人ならカメラもってんだろ。おれらを取ってくれよ」とディスってきた。周りも巻き込んでちょっとした笑いが起きる。日本に住んでいると差別的な発言をあからさまにする人は少ない。しかし、海外では違う。特に若い連中は普段からアジア人をみかけるとまぁあの割合で大声でからかってくる。いきなり中指を立てられたりすることもしょっちゅうだ。そんなのにいちいちかまっていてはキリがないので基本的には無視をする。その場を立ち去ろうとすると酔っ払いが前をふさいだ。その時、わざとではないのだが足を(思い切り)踏んづけてしまった。とても痛そうにしたあと、「へいへいへいへい」とクレッシェンドしながら殴りかかってきた。こちらはシラフ。酔っ払いの大ぶりのパンチを大きくよけた。すると酔っ払いはそのまま倒れこみ他のグループの酔っ払い連中にもたれかかった。こんどはそいつらが怒りだしそいつに殴りかかり大騒ぎになった。その隙に人ごみに紛れて入り口に猛ダッシュ。涼しい顔をしてその会場を後にした。

あっぶねーーー!殺されるかと思った!!ラッキーーーーーーーー!!

と心の中で胸をなでおろした。騒ぎが収まるまではこりゃ中に入れないなと思い別の会場に足を踏み入れた。こちらは前のそれとは少し違って大人しめの雰囲気だった。それでも人は多く、もはやどれがデヴィかを見分けることは不可能だ。さっきのような騒ぎはごめんなのであまりじろじろと相手の顔を見るわけにもいかない。アジアンピーポーはただでさえ目立つのだ。

どれくらいさまよったのだろうか。もはや疲れ果ててしまった。ビールはほとんど口をつけずにあのバカどものテーブルに置いてきてしまったのでのどがカラカラだった。ちょっと休憩をしよう。そう思いフロアを出てトボトボとエントランスに向うその時だった。

「エイジ??」

振り返ると、そこにはデヴィがたっていた。そうか。目立つんだから最初からトイレの前あたりでまっていりゃあ良かったのか。

あぁ、女神。


「エイジ、お水を飲んでください」

汗だくで焦燥したぼくをみて気の毒に思ったのか、デヴィは売店で水を買いクラブの外に誘った。エントランスの外には広い芝生が広がり、その向こうにはヨットハーバーが見える。夜風が心地よくほほをなでる。

「今日は来ないと思いました。電話をくれればよかったのに。」デヴィは少し困った顔でそう話した。「ごめんね。電話をすればよかった。でもきたよ。いったでしょ。断る理由はないって。」ぼくがそう言うとデヴィは視線をそらせて少し肩をすくめた。「そうね。でも一人で来るとは思わなかった。びっくりした。」ぼくは少し考えた後、「約束を守りたかったし、どうしてもデヴィに伝えなくてはいけないことがあったから一人で来た。」と伝えた。そして何か言いかけたデヴィを遮るようにつづけた。「実はね、もうオーストリアにいる理由がなくなったんだ。日本に帰って看護師になる。そう決まった。」と一気に伝えた。

「なんでですか?」とデヴィはまた困った顔で聞き返した。ぼくは日本とオーストラリアの国際看護師ライセンスの仕組みについて説明した。「OK。理解しました。エイジはここにきて、看護師になる目標を見つけて、日本に帰る。そういうことですね。それからまたオーストラリアにはくるの?」ぼくは「そうしたいと思っているけど、それがいつになるかわからない」と答えた。調べたところ、海外で看護師として働くには日本で看護の経験を積み、英語力を磨き上げ、こちらの大学機関に半年通い、国際看護ライセンスを取得する。ハードルはかなり高い。「OK。わかりました。この町を発つ日が決まったら教えてね。」と言い残し、デヴィはエントランスに戻っていった。

ぼくはタクシーをつかまえて家に帰った。タクシードライバーが何か話しかけてきたが、なまりがつよくてうまく聞き取れなかった。話しかけるのを諦めたドライバーは肩をすくめてからラジオのボリュームをあげた。ラジオからはスパイスガールズのワナビーが流れていた。

それからすぐに、ゴスフォードを去る日程が決まった。シドニーに住む友人宅に1か月程度身を寄せて、帰国することになったのだ。デヴィには連絡をしなかった。結局ぼくは最後まで彼女を好きだという気持ちに自信を持てなかった。国が違う、言語が違う、帰国が決まっているお金も車もないたんなる留学生。何もかもが不相応だ。だから、これ以上彼女との時間を重ねることがつらくて仕方がなかった。そんなことをぐるぐると考えているうちに、ぼくはこの町を去る日を迎えた。

夕方に友人が車で迎えに来てくれることになっていた。午前中にはトランクにすべての荷物を積み込んで身支度を整えた。昼食を済ませた後は中庭で2匹の犬と1匹の猫と名残惜しくたわむれていた。最初の1か月、ホームシックを乗り越えられたのはこの子たちのおかげである。その時、マムが中庭に走ってきた。「エイジ、お客様よ」とウィンクした。

誰だろうと扉を開けると、そこにはデヴィとその友人が立っていた。そしてぼくの顔をみて、デヴィは涙ぐんだ。マムが「先日エイジが出かけているときにデヴィから電話があったの。そうしたらエイジがここを発つ日を聞いていないっていうから。だから教えたの。でもデヴィがその日に都合が合うかわからないって言ってたから内緒にしていました。」ともらい泣きしながらいった。

まさかもう会えるとは思っていなかった。マムがさっさと友人を家に引きずり込み、扉を閉めた。二人きりになったぼくとデヴィは少し歩いた。しばらくすると「びっくりしましたか?」と、デヴィはいたずらっぽく笑っていった。目がまだ少し赤かった。「すごく。」と答えた。「こないだのお返しです。」とデヴィがいって二人で笑った。ぼくはデヴィに連絡をしなかった理由を、できる限りの英語を駆使して話した。デヴィはだまっていた。「ごめんね。」そういうとデヴィは「あやまらないでください。エイジが日本に帰っても、友達ですよね。私が日本に行くこともあるし、エイジがまたオーストラリアに来ることもある。住所も交換したから手紙も書けます。」それを聞いて、ぼくは堰を切ったように涙があふれた。えー、泣くとこ?だめだ。ぜんぜん涙が止まらない。ダサい、けど制御不能だ。

デヴィは下を向いてひくひくと泣きじゃくる僕を見て優しくハグをした。そして「あなたにあえてよかったです。」と泣きながら言った。彼女のぬくもりを感じて、ぼくがデヴィに伝えたかった気持ちが自然と言葉になった。

「ぼくもデヴィとあえてよかった。本当にありがとう、デヴィ。」

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