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HIROSIMA(前編)

私にとっての第二の故郷、広島。とはいうものの、子育てと訪問看護事業に奔走して気付けば10年間訪れていなかった。先週たまたま入った京都出張とたまたまとっていた夏季休暇がうまく重なった。ここしかない、と広島まで足を運んだ。たった一泊だが、旅は日数ではない。それをしみじみと感じた一人旅を振り返る。

小学校6年生になる春休み、母は私に私立中学の受験を勧めた。私は勉強が好きではないわけではないが、興味を持ったことにしか力を発揮できない性格だった。だから通知表には体育と音楽以外すべて「ふつう」が並んでいた。それでも、「知り合いの東大生が家庭教師についてくれるから」と促されてその人に会ってみたいという思いから「まあ落ちたらみんなと同じ中学に行けばよいか」と軽い気持ちでそのオファーを受けることにした。

先生は広島の高校出身で現役時代は東京大学1本勝負で敗北。浪人を経て東大、早稲田大、慶応大すべてに合格して晴れて東大生になった、いわゆる秀才だ。結局、私は中学受験で全敗。先生と一緒に悔し涙を流した。しかし奇跡は起きる。

留年して大学5年生だった先生はせっかくまだ学生だから、ということで試験前など必要時に召集するスタイルで不定期に勉強を見てもらっていた。そして唯一のチャレンジ高の受験の前日、一緒に説いた数学の過去問がほぼおんなじカタチで出題された。その図形の問題はなんと100点満点中40点。結果、偏差値が20も上の学校に合格した。ジャイアントキリングである。そしてその春、私は高校に進学し、先生は社会人になった。

高校を出てから初めての一人旅は広島だった。新幹線にのり広島へ。当時の先生の彼女と3人で広島から岡山を経由して瀬戸大橋を渡り香川県高松でうどんを食べた。それからというもの、青春18きっぷ→ヒッチハイク→看護学校受験(広島市民病院付属看護学校不合格!)→九州周遊券→原付→大型自動二輪→自転車→子供を連れてなど10回以上訪れている。まさに、第二の故郷である。そして今、その先生と彼女の息子が私の中学2年生の長男の家庭教師をしている。先生とか奥さんはまだよいが、先生のご両親、奥さんのお母さんはいよいよ90歳手前。生きているうちに合わねばならぬ。この機会を逃す手はなかった。

京都出張の仕事が終わり、新幹線のワーク車両に乗り込み広島を目指した。仕事に集中をしていたため、広島につく直前で慌てて身支度を整え新幹線を降りた。そして先生に電話をしようと思い自分のスマホをさがした。

・・・ない

ロッカーに放り込んだ荷物を出したが、無情にもアップルウォッチには「スマホは近くにございません」のマークが点滅したままだった。おそらく新幹線の床に落とした。なんかゴトリという鈍い音がしたような気がしたんだよなー、と頭を抱えた。いったん落ち着き、先生と連絡を取る手段を考えた。幸運なことに会社の携帯電話を持っていた。そして思いついた方法はこうだ。

かみさんに電話→かみさんが長男の家庭教師である先生の息子くんにLINE→息子くんから私の会社の携帯に電話→先生の電話番号を入手

いつも電話に出ないかみさん、LINEの既読に2日くらいかかる先生の息子。多少の不安が頭をよぎる。しかし、会社のスマホもパソコンもセキュリティが万全すぎて自分のメールやラインは落とし込めないのだ。だからこれ以外の方法はもはや一つもない。まずかみさんに電話。なんと2コールで出た!「あー、じゃあ息子君にLINEするしかないね。いつも既読に2日くらいかかるけどそれしか方法ないからね」といって電話をガチャリと切った。するとものの30秒で先生の息子から電話がかかってきた。大学の夏休みでたまたま新幹線で広島に移動中だった。先生の電話番号を入手。この間、改札を出てから5分程度。何たる幸運!これでひとまず路頭に迷うことはなくなった。

先生と待ち合わせの時間と場所を決め、駅のインフォメーションで事情を伝える。広島弁がキュートな受付のお姉さんが新幹線の車掌に連絡、無事に指定席の床でスマホを確保された。次は博多駅のインフォメーションに連絡をした。こちらは博多弁がキュートなお姉さんが手際よく対応してくれて、自宅への着払いの手配が完了した。なくしたものが戻ってくる、日本にうまれてよかったー!!

先生と八丁堀で合流。流川あたりの魚料理の店に入った。とにかく魚がうまい。とくに岩ガキは絶品だった。途中から先生の息子も合流。親子2第、2人の家庭教師と懐かしい話に花が咲き、広島の夜は更けていった。

つづく

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