見出し画像

『社会』の中で

 こんばんは。
 最近の生活の変化について、いつお伝えしようか悩んでいたら、ずるずると今日まで来てしまって。いよいよ梅雨らしい時期に入ってしまいました。

 私は、どんな天気も結構好きですよ。
 というか、ありのままの姿そのものが好きです。都合の良くないものが面白いみたいな。
 理不尽な気候も、はた迷惑な災害も、私からしたら美しいと感じますよ。

 SFのように、気温も天気も自由自在に都合よく操ることができたら、それはそれで面白そうではありますがね。そんなものは、あくまでも人類にとって都合がいいだけですから、生物のヒトとしては最悪の選択。
 ちなみに、嘘か本当か知りませんが。人類が完璧に管理した空間を使った実験では、大半の生物は絶滅し、天敵が消えた世界で黒光するGだけが大繁殖したとかなんとか。奴らは雑食なので食害を起こしますからね、もはや奴を食って生きるしか道がなくなりそう。

 いくら道がないと言われても、流石にそれは躊躇うと思います。
 現代の理不尽な自然が生易しく感じる不思議。

通所施設が決まりました

 まず一番にご報告したいのは、通所施設が決まりましたということ!
 体験を終え、支給決定も下り、無事契約することになりました。

 めでたい。

 以前通っていた施設同様、『生活訓練』という区分ですが、雰囲気や活動は全く違って、私も手探り状態ながら、支援員さんのお力添えもあり、今のところ順調にやっています。
 体験の間は週1日、契約して最初の1ヶ月は週2日程度から初めて、体力が付いたり意欲が出てきたりしたら、通所日数を増やしたり1日の通所時間を増やしたり、調節していこうと思います。

 だから最近忙しくてというか、疲れていて。noteの更新をサボりまくりでした。楽しみにしていた方がいるかはわかりませんが、本当に申し訳ない。
 一応心構えとしては、週1ペースで続けていくつもり。

 さて。ひとまず最終目標は、『自分の生活を自分でどうにかする』こと。保護を切って、自分のお金と障害年金等の給付金で、自立した生活を営めるようになっていきたいです。
 今回の通所は、そこに辿り着くまでの最初の1歩と考えています。

 私が仕事をするためには、自分だけでは手に追えない大きな問題が、いくつか山積みになっています。そしてそれらが複雑に絡みすぎて、手のつけられないブラックボックスになっています。
 正直私は、それらに関する根本的な解決は諦めていたのですが、施設の方が「大丈夫だよ」と背中を押してくれたので、やってみようかなと。もちろん、100%信じたわけではありませんけれども、「ちょっとだまされてみてもいいかな」みたいな気持ち。言い方が良くないですが。

 とても前向きに、自分の未来を考えられていると思いますよ。
 自分の心の問題と向き合うことにあまり苦手意識はありませんが、ひとりぼっちで向き合い続けるのはやはり、苦しいものがありますからね。ほんの少しでも、力や知恵を貸してくれる方の存在は大きいです。直接的な助けで無くとも、助けようとしてくれるその気持ち自体が嬉しい。

自分がやることが全て虚しかった

 私の基本スタンスは、『自分のやることは無意味で無価値で、評価なんかされない』というもの。
 このnoteもそうだし、YouTubeでの配信活動もそう、勉強もそう、家事全般もそう。

 リターンを期待していないからこそ、誰にも評価されずとも続けられたという、良い面がある一方で、一時の熱に浮かされ熱中しても、冷めてしまったらその先がありませんでした。
 また、頑張りが報われなくても、初めから報われることを期待していないので、落胆とか挫折とか、そういう”正しい失敗”に辿り着くことが難しかったです。

 こんなでも一応人なので、普通に喜怒哀楽はあるんですよ。
 ただ、落胆や挫折を感じるより先に、突き抜けて『虚しい』ところまで行ってしまうだけ。

 「初めからわかっていたことなのに、どうしてそんなことしたんだろう」って。

 ”私の世界”は、ひたすらそれの繰り返し。
 閉じていて、静かで、冷たくて、真っ暗。

 まあその分、傷付くこともないので、そういう意味では幸せではあったのかもしれません。自己防衛が辿り着くところまで辿り着いたような感じがしますね。
 これは、なんていうか…あまり人間味が感じられないように思います。

 自分も、心のどこかではちゃんと、『さびしい』と感じていたと思います。そんな自分の気持ちを「そんなこと思っても虚しいよ」と押し退けていただけ。
 押し退けなくていいんだ、気持ちを否定しなくてもいいんだと感じることができたきっかけは、間違いなく施設の方でした。

心地のいい気持ちって怖い

 騙されすぎた人って、疑心暗鬼になりますよね。
 マジでそれと同じことが、私にも起こっていて。

 あまりにも自分にとってしんどい気持ちや辛い気持ちに慣れすぎて、素直に「認められて嬉しい」とか「褒められたやったー」とか感じると、とてつもなく困惑していたんですよね。
 それが体験通所が始まった5月の私で。なんかもう本当に、『嬉しい』と『しんどい』が同時に来て、わけわからんことになっていました。その状態が上手く言葉にできなかったから尚更、誰にも伝えられなくてしんどかったです。

 今はだいぶそれも抜けて、楽しいことを「楽しかった!」、嬉しいことを「嬉しかった!」と素直に感じるようになってきました。
 いや、元々感じてはいたけれど、「そんな感情を持っていいのか」みたいな疑問に押しつぶされて勝手にしんどくなっていただけですかね。素直に認められるようになったって感じかもしれない。

 思い返せばここ数年、褒められるという経験をあまりしてきませんでしたね。褒められたことはあったのですが、それは言葉の上のものだと思っていたので、経験として『褒められた』とは感じることができなかったんです。
 達観していると言えば聞こえはいいですが、要するにただの人間不信とか捻くれ者とか、そういうつまらないやつです。

 22歳にもなって、褒められて喜ぶなんて馬鹿みたいですよね。
 それくらい、子ども時代の経験が自己肯定感を失うに足るものだったんです。

厳しさと理不尽

 少し話が逸れますが。
 私はおそらく、自分に厳しい人だと思います。
 それと同時に、自分に理不尽な人でもあります。

 最初私は、『理不尽』と『厳しい』を混同していました。
 それ自体は仕方のないことだと思います。初めからその分別がついて自分を律することができる人はいないと思いますから。

 まあしかし、自分に『理不尽』でいると、生きていると苦しくなるものです。当然です、自分にとって『理不尽』なのだから。
 苦しいから理不尽なことができなくなって、結果、均衡のようなものが守られるのが普通。

 これはもしかすると、環境要因でうつ病になった人あるあるなのかもしれませんが。自分が自分に対して、既に十分厳しかったとしても、周りの理不尽って絶えることなくのしかかるんですよね。
 それにより「ああ、私はまだ自分に甘いんだ…」というよくない方向に認知が歪められていった結果、『厳しさ』と『理不尽』の境界が壊れて、際限のない『厳しさ』という名の『理不尽』が自分に降りかかってきます。

 まあ私は、そんな自分をなんとなく察しつつ「それでいい」と思っていたので、完全に終わりですよね。救われる気もない。
 なんかもう、自分が生きる上で”ちょうどいい”と、悲しい勘違いをしていたのです。遠回りをした自分を許して欲しい。

 施設に通っていると、色々な人がいます。支援員はもちろん、他の通所者も含めて。
 その人たちとの自然な関わり合いの中で、”立場の無い”コミュニケーションとでも言ったらいいのでしょうか。他愛のないおしゃべりをしたり、同じ経験を共にしたりすることで得られる、色々なもの。

 それがあって初めて、私は私の『魅力』や『長所』を再認識して、それを自分で認めてあげることができました。
 私に足りていなかったのはこれか!と。

人は社会の中で育つ

 私は4年以上の引きニートを続けていますが。
 そんな私が、もう一度社会に出た今だからこそ説得力があると思います。

『人は社会の中で育つ!』

 家族も社会、保育園や幼稚園も社会、学校も社会、習い事も社会、部活も社会、会社も社会、SNSも社会。
 何もかも、私たちが所属する集団は、一種の『社会』なわけです。

 歳を重ねるごとに、身を置く社会の『規模』が、どんどん大きくなっていきます。
 人間関係の深さや複雑さも、場所によって目まぐるしく変化します。
 まあドロップアウトした私が言っても説得力がないのですがね。

 しかし、今まで引きニートだったからこそ言える、人は一人では生きていけないし、一人では何も変えられないし、変わっていけません。歩くことも、進むことも、立つことも、何もできない。立ち止まることさえ難しくて、その場でうずくまるだけで精一杯。
 私は結構一人に慣れていて、ぼっちでも気丈な方だとは思いますが、それでもかなりしんどかったなと感じます。二度と戻りたくない。

 もちろん、周囲の人が良い人だから、今私がこう思えているのは大きいでしょう。成功してよかった。勇気でも自棄でもいいから、前に進んでみてよかった。
 もう通所のない引きこもり生活には戻れませんね。通所にもできる期間が決まっているので、時が来たらそれについても考えていかなきゃなぁと、今から不安になるくらい居心地が良いです。

 こんな巡り合わせってあるんですね。いいことなんて一つもしてこなかったけれど、今の私のしていることが、ほんの少しだけ報われてよかった。
 全ての『ご縁』に感謝を。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。