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#工藤純子

だれもみえない教室でよいのか

だれもみえない教室でよいのか

まず吸い込まれるような表紙に注目したい。「四角い水槽って、なんだか教室みたいだ。」(p.183)をモチーフに、ひとりの少年が金魚のエサが入れられていることに気づかないままランドセルを手にする瞬間が描かれている。

この一見些細な出来事から広がっていく波紋。当事者はじめ周囲の本音が、それぞれの立場から明らかにされていく。【以下、一部ネタバレあり】

例えば担任教師。「これ以上ことが大きくならないよう

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工藤純子著『サイコーの通知表』(講談社、2021年)が問いかけるもの

工藤純子著『サイコーの通知表』(講談社、2021年)が問いかけるもの

学校との関わりは、気がつけば半世紀。教えられる側、教える側、保護者の立場と変遷してきたものの、人生の大半が学校教育とつながっていたことに驚く。長いだけに教育について思うところは多々あるのだが、とりわけ内申点を笠に着る教師と否応なしに服従するしかない生徒の力構造を疑問に思ってきた。

教師だって人間だから万能ではないはずだ。にもかかわらず、生徒は成績をつける先生を前にすれば多少の理不尽があっても辛抱

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空を見上げるとき

空を見上げるとき

工藤純子著『セカイの空がみえるまち』(講談社、2016年)

異国の地に降り立つと言語や風習のみならず空気の匂いも違う気がして、ふと空を見上げたものだった。この空は同じはずなのに、と。

久しく東京を離れている私は、新大久保がコリアンタウンのある「明るい街」へと変貌を遂げたことを今回初めて知ったのだが、読み進めるにつれ「明るさ」とは裏腹に外国人にたいする差別や偏見のうごめく闇の深さをも思い知ること

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学校の問題に真っ向から挑む

学校の問題に真っ向から挑む

工藤純子著『あした、また学校で』(講談社、2019年)

クラス対抗リレーやなわ跳び大会がある度に「あいつがいるから勝てない」「おまえのせいだ」という声が飛び交い、運動苦手なこどもが肩身の狭い思いをするのは、学校あるあるの話。

でも、この本は、そんな弱い立場のこどもを教師が叱るところをしっかり描き、学校が抱える課題に真っ向から挑んでいる意欲作だ。

「こんなん書いて大丈夫なの?」「出版社どこ?」

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