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マーケティング

「マーケティングはセールスを不要にする。」

ドラッカーは「マーケティングはセールスを不要にする。」と言いました。いったいマーケティングとは何でしょうか。セールスのほうがわかりやすいかもしれません。日本語としてセールスは一般的であり、つまり物やサービスを売ることです。このとき、セールスの目的は売ることで利益を得るということになります。会社にとって利益を得るということは存在条件ですので、そのために売るということは必要です。そのための機能としてセールスがあるのは当然です。ドラッカーの言う、セールスを不要にするとはいったいどういうことでしょうか。このヒントは視点にあります。セールスと言ったとき、その主体は企業側になります。顧客に買ってもらうには、どのようなプロモーションをするのか、どのような流通チャネルに乗せるのか、価格はいくらにするのか、ターゲットは誰かなどを考えます。そして「営業」をしたりすることが思い浮かぶかと思います。顧客のことは考えますが、あくまで利益を得るというための戦術をもとに企業側の視点で考えていく傾向があります。マーケティングはこれを不要にするというのです。そのようなことが可能でしょうか。

それをマーケティングが可能にします。マーケティングはセールスと違い、顧客視点です。すべての答えは顧客がにぎっています。顧客は様々な欲求、ウォンツやニーズを持っています。これらは社会的な要請であるとも言えます。それに応えていくことがマーケティングです。しかし、それは企業側が自身を見失うことではありません。企業側の提供できるシーズを明確にしていくことが必要です。ドラッカーで言えば、「強みを知る」ということになります。結局、マーケティングはマネジメントと一体となっていくということでしょう。企業の目的は利益を得るということではありえません。利益を得ることは不可欠ですが、目的ではないのです。利益を得ることは市場への参加条件で、入場券に例えられます。もし、利益を継続して得られなかったら、市場から退場させられるだけです。存在できないということです。そのために必死にセールスをするとしましょう。しかし、顧客にとってはそれは知ったことではありません。一つの企業が存在しようが、しまいが、顧客は何も困らないのです。多くは代替の企業があり、競合がいるからです。もし、一つの企業がなくなって困るとしたら、それは独占であり、社会的なリスクでしょう。矛盾するようですが、その企業が存在しなくなったら困るほどの価値を顧客に提供できているのかということはできます。その企業にとっての真の顧客が本当に求めていることはなにか、それを認識して、その企業だけが持つ価値を提供できているかということが重要です。その価値を提供できるだけの知識、技術、コアコンピタンスを持たなければなりません。

マーケティングの歴史

マーケティングの歴史は顧客をどのように捉えてきたかということであると言えると思います。フィリップ・コトラーはマーケティングを1.0から5.0まで段階的に定義しました。これはマーケティングの概念を理解するために大変わかりやすくなっています。マーケティングの概念は20世紀初頭からどんどん時代とともに変わってきたからです。1.0は製品中心のマーケティングでした。ここでは、およそ1900年代から1960年くらいまで続いた長い工業化の時代を指します。ヘンリー・フォードの経営が象徴的です。T型フォードを分業大量生産して、色も黒に絞り、効率化し、価格を低く抑えました。多くの労働者が工場に雇用を得ました。収入を得た中間層は黒いT型フォードをこぞって購入しました。マーケティングはマーケティングミックスの概念を生み出し、4P(製品(product)、価格(price)、場所(place)、販売促進(promotion))を活用しました。しかし、それが1970年代になると限界に達しました。この時代を象徴するのがGMの戦略です。すでにGMは1920年にはフォードの売上を抜いていました。事業部制など近代的な経営を行ったアルフレッド・スローンはGMの基礎をつくりました。GMは消費者の嗜好を分析し、モデルチェンジを繰り返しました。消費者社会が発展し、企業は消費者の動向を注視、研究するようになりました。これが消費者中心のマーケティング2.0です。市場をセグメントに分け、ターゲットを把握し、自社の価値をポジショニングするSTP分析し、情報を収集し、分析することで戦略的にマーケティングを行いました。1990年代になるとこうしたマーケティングのあり方が社会にあたえる影響について疑問が呈されました。企業は社会に影響を与える存在であり、社会的責任が伴います。これはドラッカーが以前から言っていることでした。企業はCSRの名のもとに環境など社会の福利に還元することをし始めました。もはやマーケティングは社会のためのものになり、つまりは消費者は単に顧客ターゲットであるだけでなく、人格をもった一人の人間として捉えられるようになりました。このような社会的な価値を標榜するようになった企業のマーケティングを価値主導のマーケティング3.0と名付けました。
この3.0は非常に重要です。その後の自己実現のマーケティング4.0、顧客体験価値のマーケティング5.0はこの延長線上にあります。
マーケティング4.0の前に企業のブランドについて考えたいと思います。価値主導のマーケティング3.0では、ブランドが大きな役割を果たしました。ブランドは企業の人格のようなものです。ドラッカーのインテグリティに関わると思います。顧客は優れたブランドの商品を選んで購入します。ブランドは社会的貢献がされていることがもはや条件になりました。環境に配慮したり、社会的問題に取り組んだり、社員を大切にするインターナルマーケティングをしていることなども重要です。コトラーは3iという概念を提唱しました。3iとはブランド・アイデンティティ(identity)、ブランド・イメージ(image)、ブランド・インテグリティ(integrity)を指します。企業は大義(コーズ【cause】)を持ち、ストーリーで顧客を感動させます。企業のイメージはエモーショナルであり、顧客の感情を動かします。そして、それらはインテグリティという完全性を持っている必要があります。このインテグリティはドラッカーの上田惇生訳では「真摯さ」と訳されています。人格的な崇高さとも言えるかと思います。つまりはそうした信頼がなければビジネスがなりたたないというわけです。
ブランドについてはアーカーが『ブランド論』で詳しく述べています。
それではマーケティング4.0の説明ですが、自己実現という言葉がキーワードになります。この自己実現という言葉は、マズローの5段階欲求の最上位に位置することが思い出されます。マズローはドラッカーにも影響を与え、当然にコトラーも多大な影響を受けていると思われます。マズローの5段階欲求とは「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5つの階層に分かれ、下位の欲求が満たされることで上位の欲求へ発展すると考えられましたが、これはマズロー自身が間違いだったと言っているようです。このピラミッドは逆さまだったと。そうすると自己実現の欲求が最初に来ます。時に人間は衣食住よりも精神的な豊かさを求めます。芸術家や宗教者がそうです。人間はパンのみで生きているのではないのです。スピリチュアルマーケティングという言葉が生まれ、人々の精神的な価値に訴える企業のあり方が問われます。消費者は人格をもった完全性を求める人間であり、その自己実現欲求を叶えるものが、企業の提供する体験に含まれるというものです。それでは、最後の5.0、顧客体験価値のマーケティングとは何でしょうか。4.0において自己実現を求める顧客は、他者との共感を求めるようになります。それにはSNSなどのインターネットメディアが大きな力を発揮します。顧客は感動を他者と分かち合い、より良い社会への展開を協同しようとします。コミュニティが大きな力を持ち、企業もコミュニティを持ち、そこで評価されるようになります。そうした顧客体験CXはより大きな価値を持つようになります。AIやDXといった新テクノロジーの発展により、新たな次元に社会は発展しようとしています。過度に発展するテクノロジーは人間の思考の範囲を越え、人間にとっての未知の驚異すら感じさせます。しかし、ここで重要になるのは、やはり人間中心のあり方です。テクノロジーを活用しつつ、人間にしかできないことは何か、そもそも人間とは何なのかということを考える必要があります。マーケティングはもはや企業だけではなく、個人個人が考えるべきものになりました。高度なデジタル社会では、個人が主体となって社会と対峙していく必要があります。個人と個人がコミュニケーションをどう行うかというヒントがマーケティングにはあります。

まとめ

もう一度ドラッカーの言葉に帰ると、「マーケティングはセールスを不要にする」ということの意味は、企業の枠を超え、人間が社会の中で、完全性を獲得するにはマーケティングをするということにつながるのではないかと思います。コトラーの主筆は『マーケティング・マネジメント』です。ドラッカーは、マネジメントはイデオロギーを超え、個人を開放するための技法であると考えたとわたしは思います。そのための必須のツールとしてマーケティングがあると考えます。


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