
勝負の世界にあっても、ゲームは楽しむもの プロeスポーツ選手 百地祐輔
こんにちは!note更新担当のたぬ子です。
今回は、格闘ゲーム「ストリートファイター」の現役プロゲーマーとして活動されながら、株式会社忍ismの代表取締役を務められている、百地祐輔さんに、愛媛県で過ごされた幼少期のお話や、ゲームとの関わり合いについてお伺いしました。
[プロフィール]
■氏名
百地 祐輔(ももち ゆうすけ)
■ジャンル
プロeスポーツ選手
(格闘ゲーム(ストリートファイター)のプロゲーマー)
■連絡先
Mail:info@shinobism.com
■経歴
株式会社忍ism 代表取締役。JeSU認定プロライセンスを持つ世界で活躍するプロゲーマー。
世界3大大会(カプコンカップ・EVO・EVOJAPAN)を制覇した日本人唯一の選手であり、2022年はプロツアー日本大会にて優勝。
冷静沈着な立ち回りや、大会での勝負強さには定評があり、そのハイセンスなプレーはしばしば「天才」と形容される。
後進育成のため株式会社忍ismを設立、妻であるチョコブランカとともに会社を経営している。幼少期より高校卒業まで愛媛県で過ごす。
■SNS
・Twitter(@momochi212)
大人びた魅力に惹かれた”ゲームセンター”

ー 何才ぐらいから、ゲームをされていましたか。
父親が、漫画やアニメ、ゲームに関心があって、家にゲーム機があったので4~5歳の時からゲームをしていましたね。初めてプレーしたのは任天堂の『スーパーマリオ』で、それからずっとゲームとサッカーが好きな少年でした。
そして、小5の頃同級生に「すごい場所があるよ!」と、誘われたのがゲームセンターでした。当時のゲームセンターは、雰囲気が今とは全く違って煙草臭いですし、格闘ゲームだけが置いてある不良少年が集まるような場所だったんです。でもそれが、当時の自分には魅力的に映ったんですよね。
中学生や高校生ばかりで、すごく怖かったんですけど、ゲーム台に100円を入れて向かい側の相手と対戦する。そして自分が負けるまでプレーを続けられる。そこにとても惹かれて、どんどん格闘ゲームにのめり込んで、ゲームセンターに通うようになりましたね。
ー ゲームをすることや、ゲームセンターに通うことについて、保護者の方から止められませんでしたか。
止められた記憶はありませんね。僕が格闘ゲームに魅力を感じていることを、親は理解してくれていたのだと思います。
当時は、1プレイできるだけのお金を握りしめてゲームセンターに行っていたので、すぐにはプレイせずに、上級生のプレイを後ろで見て研究してからプレイしたり、少ないお金でどこまで遊べるのか真剣に考えていました。
最初のうちは、すぐ負けちゃってたんですけど、1日経つごとにプレイできる時間、ゲームセンターにいられる時間が長くなって。その強ければ少ないお金で長く楽しめるところも、魅力の1つでしたね。
ー 小学生の頃からゲームセンターに行かれていたとのことですが、中学・高校とずっと通われていたんですか。
当時は、今みたいにeスポーツやプロゲーマーという言葉も無かったですし「いつまでゲームやってるの?」という雰囲気もあったので、周りの人たちがどんどんゲームセンターから離れてしまい「続けているのは自分だけだな…」と気落ちする時もありました。
なので周りがゲームから離れた時期に、僕も離れたことはあったんです。
ゲームセンターに行って、目の前に人がいて、戦って、倒して、勝ち負けが決まるということが醍醐味ですし、魅力なので対戦相手がいなくなると、つまらなくなっちゃうんですよ。
でも、心の中には格闘ゲームの魅力がずっと残っていたので、いろいろな出会いをきっかけに、またのめり込みようになりました。
ゲーム自体に魅力もあるんですけど、周りにいる人が一度離れていた僕とゲームを繋いでくれましたね。家の近くに新しくできたゲームセンターの店長が格闘ゲームが好きだったり、同級生に僕と同じぐらいの情熱を持ってゲームをしている子がいたり、そういう人との出会いが大きかったです。
ー ゲームは1人で黙々とするイメージでしたが、人との出会いも多いんですね。
今の子たちも、ゲーム内のボイスチャットを使って世代関係なくコミュニケーションをとっていますよね。
子ども達にとっては、日常で関わることの無い層とのやり取りになるので、そこから学べることも多いですし、社会性も身に着けられる場になっていると思います。
もちろんゲームをやりすぎてはダメですけど、ゲームに限らず何でもやりすぎはダメだと思っているので「うまく付き合えばゲームも全然悪者ではないよね」ということを、自分の今の立場だからこそ伝えていきたいですね。
楽しさや悔しさが大きな原動力

ー ゲームを嫌になったり、辞めたいと思ったことはありますか。
あんまりないんですよね。好きで楽しくやっているので、同じことを繰り返す練習も苦痛に感じないですし、努力している感覚がなくて、本当に楽しくやっている感じなんです。
ただ、勝ち負けの世界なので、練習したからといって必ず良い結果が出るとは限りません。そこで挫折というか、苦悩することはあります。
プロになって最初2~3年は思うような結果が出なくて、年齢的にも周りが結婚したり、お子さんができたりする時期だったので、自分と比べてしまって「このまま続けていいのかな」と悩んだこともありましたね。
ー なかなか結果が出ない時に、どのようにモチベーションを上げていたのですか。
どんな状況でもゲームは楽しいので、それが原動力になるんです。
なので、”挫折した時に立ち上がるモチベーション”という意味だと、自分の場合、もしかしたら本当の挫折を味わったことがないのかもしれないです。
もし僕が落ち込んだ状況でゲームして「楽しくない」と感じたら、そこがプロプレイヤー引退のタイミングなのかなと思っています。
反応速度が落ちるとか、技術面で限界がきたから引退というのは、もちろんだと思うんですけど、僕は負けて悔しくなくなったり、楽しめなくなったら終わりだと思ってるんで。
他のタイトルと比べて選手寿命が長いとされている格闘ゲームですが、引退時期については頭の片隅でずっと考えています。
ー 楽しさや悔しさというのが、大きな原動力になっているんですね。
eスポーツの世界は、勝った時はもう本当にたまらなく嬉しいんですけど、負けた時は人生を全否定されるぐらい叩きのめされる、0か100かの世界です。
僕は、その世界に魅力を感じ今まで続けてきましたが、その環境が合わない人もいますので、性格や特性にかなり影響される職業だと思います。
ー 技術面だけではなく、メンタル面も強めていかないと続けていくのが厳しい世界なんですね。
”継続して続ける”という意味だと、大事なのは技術ではないと思っています。
特に格闘ゲームは、歴史が長くて選手寿命も長いので、続けていれば技術力が付いて上位に入賞したり、トッププレイヤーになれることが多いんです。まあ継続するということが、難しくもあり大事なんですけどね。
ー 継続に大事なことは楽しさですか。
そうですね。自分が継続できている理由は楽しさだと思います。
立ち上げる怖さより、立ち上げない怖さ

ー 忍ismを立ち上げたきっかけを教えてください。
忍ismは、パートナーのチョコブランカ(以降、チョコ)と一緒に、自分たちが元々好きだったことや、やりたかったことに主軸を置いた活動がしたいと思い、立ち上げました。
2人の得意な部分が合わさっている会社なので、1人ではできないですね。チョコも含め、周りの方々に支えてもらっているからこそ、成り立っていると思っています。
あとは、セカンドキャリアを考えてというのもありました。
プロとしてずっと活動していましたが、30歳近くになって選手寿命や引退後の生活を考えるようになったんですよね。前例がない世界なので、将来像を描くことも難しかったですし、プロゲーマーでなくなった自分たちに何ができるのかも想像ができていませんでした。
そんな状況だったので「自分たちの未来は、自分たちで作っていくしかないんだ」と、引退後に自分たちがやれることを考え、元々やりたかった育成やイベント運営などを行う会社を立ち上げることにしました。
引退してから会社を興すという選択肢もあるとは思うんですけど、どうせやるなら現役の時から始めた方がスムーズだろうと思って、プロゲーマーとして活動しながら会社の運営もしています。
ー いつ頃から、後進育成やイベント運営をされたいと思われていたのですか。
後進の育成は、自分が人に教えるのが好きだったので、プロになる前から常々弟子をとるなど、次の世代を育てていきたいと思っていましたね。
イベント運営に関してはチョコが、勤めていたゲームセンターでイベント運営をしていたことがあって、イベントでコミュニティが広がることにすごく興味をもっていましたし、好きでやっていたので忍ismでも行うことになりました。
ー 前例が無い中で、忍ismを立ち上げられて怖さは無かったですか。
会社を立ち上げたのは2015年で、プロになったのが2011年なんですよ。
先ほど、プロになって最初の2~3年は芽が出なかったってお話ししたんですけど、その時(2011年~2014年)が1番大変だったんですよね。
その最後の年に「今年がダメだったら引退しよう」と覚悟を決めて、当時住んでいた名古屋から2人で東京に出てきて、結果を残すことができてからの2015年なんです。
そういう覚悟を持って、やれることを無我夢中でやってからの決断なので、立ち上げることへの怖さはなかったです。
逆にセカンドキャリアまで考えると、何もしないことの方が怖くて。怖いからこそ「引退後の自分のために立ち上げた」と言った方がいいかもしれませんね。
ー 2014年、2015年は大きなターニングポイントですね。
そのタイミングがなかったら、今の自分はもちろんいないですし。
結果を残せるかどうかは、ちょっとした勝負の綾で決まってしまう世界なので、今のような結果となって良かったなと思います。
まず、人としての成長

ー 後進育成をされている中で、気付きや苦労したことなどありますか。
自分の場合、技術を教えるということはあまりせず、自分の活動を知ってもらったり、場所の提供や環境づくりを主に行っています。
特に、最初の後進育成が中学2年生の子たちだったので、その子たちがゲームを楽しく続けられる環境づくりを、すごく意識していました。
格闘ゲームを続けるか、プロを目指すかというのは、彼らが決めることだと思ったので、後進育成と言っても「プロを目指して頑張ろう!」ということではなく、どちらかと言うと「人として成長してもらう」という広い意味で、育成に取り組んでいました。
結果としてプロを目指してくれたり、格闘ゲームで生きていこうと決めてくれたら、それは嬉しいんですけどね。もう、親目線ですよ(笑)
彼らは、今年22歳になって前線でプレイしているので、大会で対戦することもあるんです。そうなると、絶対負けれないですね。負けるとそこで「超えたな」と思われて終わりなので。
ただ、彼らもめちゃくちゃ成長しているので、たまに負けちゃったりしているんですけどね。「成長したな」というのは、他のプレイヤーと当たる時とはまた違った感情で、一緒にやってきた子たちと大会で戦って、勝ち負けの勝負ができるというのはすごく嬉しいことです。
ゲームの楽しさを忘れないでほしい

ー eスポーツを活性化させるためには、これから何が必要だと思われますか。
自分は、eスポーツとかプロゲーマーって制度がなかった時代に、正気の沙汰じゃないレベルでゲームをしていたんですけど、今の子たちはゲームを突き詰めた先に、ゴールとしてプロゲーマーがあるじゃないですか。
もう、プロゲーマーは目指すべき職業になっていると思うんです。だからこそ”プロになること”を意識しすぎて、ゲームを嫌いになってしまう子も出てきてしまっているんですよね。
元々、楽しいからゲームが好きでプロゲーマーを目指していたはずなのに、目指して努力した結果嫌いになるのは悲しいじゃないですか。
そんな今だからこそ、僕はゲームの楽しさを伝えていくことが大事だと思います。楽しさを忘れずにいれば継続することも苦ではないと思いますし、継続してゲームをする子が増えれば、結果としてeスポーツの人口が増えて、より多くの人へeスポーツの魅力を発信できますよね。
ー ゲーム実況の動画を観ることがありますが、実況者の方が楽しそうにされていると、こちらも楽しく観ることができますね。
プロとしてストイックな部分を見てもらって、評価してもらうことも大事ですが、観ている人にゲームが好きで、楽しんでいることが伝わるプレイをすることもプロとしても大事だと思ってます。
実際、プロとか関係なく楽しんでやっていますしね。
オフライン対戦の魅力発信

ー 今後、愛媛でやりたいことを教えてください。
愛媛は生まれ故郷なので、ものすごく思い入れがある場所です。
正直愛媛は田舎だと思いますし、地理的にも東京や大阪へ行くのが大変な環境ですよね。自分も、簡単には県外のゲームセンターに行けませんでしたし、行けて四国内という感じだったので、そういう環境でゲームをしている子たちが楽しめるイベントをできたらと思っています。
当時、愛媛の南予地方に住んでいたので、山道を車で2時間かけて、県内で一番栄えている松山のゲームセンターへ行っていたんですよ。でもネットや携帯電話が、今ほど普及していなかったので、時間をかけて松山に行ったのに誰とも対戦できないとかよくありました(笑)
そういう時代からゲームをやってきたので、今はオンライン対戦が主流ですけど、目の前で人と人が対戦するオフラインの魅力を味わってほしいと思っています。
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