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覆い隠し隠される|エドガー・アラン・ポーの短編から

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エドガー・アラン・ポー「黒猫」をモチーフに制作したポストカード(2019年)


黒猫

善良で動物が好きだった主人公が飲酒によって粗暴になっていく。そしてそういう自分自身の態度によって追いつめられ、だんだんとおかしくなって、ついには大きな罪を犯し、それを隠蔽する。
ポーの「黒猫」を読んで私が一番強く感じるのは「露見することの恐怖」だ。

「黒猫」についての解説をいくつか読み、主人公の天邪鬼な態度やこの物語における黒猫が象徴するものは何か、なんて話も読んだのだけど、いまいちピンとこなかった。ちなみに私は1匹目の猫と2匹目の猫は同じ猫だと思っていて、だから解説と矛盾が発生するのかもしれない。

作者のポー自身も飲酒に問題を抱えていたらしい。断酒会にも参加したけれど、40歳の時に酒場の前でひどい泥酔状態で倒れているところを発見され、搬送先でそのまま亡くなったとのことだ。なるほど、と納得する。
ちなみにこれは私の実体験(※)なのだけど、飲酒に問題を抱えるような人は何かを覆い隠したいのかもしれない。「黒猫」の主人公が秘密をレンガの壁に埋めて塗り込んだのと一緒だ。

※今は全然問題ないよ。

早すぎた埋葬

「早すぎた埋葬」では語り手によって「生きたまま埋葬されることの恐怖」が語られる。近代以前の医療技術では正確な死亡確認ができずに生きたまま埋葬されてしまう、ということが実際にあったらしい。taphophobia(生き埋め恐怖症)という言葉もある。
「早すぎた埋葬」は罪の露見の話ではないし、むしろ妙にポジティブで前向きな終わり方をするのだけど、生者を覆い隠し閉じ込める棺は象徴的な存在だ。
覆い隠すことにも覆い隠されることにも恐怖がある。

本物の惨めさ、究極の悲しみは個人に生ずるのであって、薄く広がるのではない。げに恐ろしき苦痛の極みは個々の人間の体験だ。集団に一律ではない。

「早すぎた埋葬」小川高義 訳 黒猫/モルグ街の殺人(光文社古典新訳文庫)

これは「集団に一律ではない。それだけは神の慈悲に感謝しよう」と続くのだけど、結局ポーが語るのはその「個々の人間の体験」の方じゃんか!と思う。神の慈悲に感謝しよう、じゃないよ。なんて怖いことを書くんだよ。

アッシャー家の崩壊

「早すぎた埋葬」で示されたものが「アッシャー家の崩壊」にもモチーフとして取り入れられている。「早すぎた埋葬」は優れた料理の素材であり「アッシャー家の崩壊」はそれを使った料理だ、というような印象を受けたけれど初出は「アッシャー家の崩壊」の方が早いらしい。

不気味なアッシャー家の屋敷の描写が最高だ。

心地よく阿片に酔った人が、見はてぬ夢になごりをおしみながら、夢幻の幕もおり、いたましくもふたたび日常生活にもどるときにでもなぞらえる
くすんだ、不活発でほとんど気づかないような、そして鉛色した有害な、神秘的な大気

「アッシャー家の崩壊」谷崎精二 訳 エドガー=アラン=ポー怪奇・探偵小説集[1](偕成社文庫)

細長い箱

これはタイトルからして、箱が気になる、という話だ。友人が積荷として船に載せた大きな箱が気になる。気になってしょうがない。中身は何なのか。もしかしてあれか。あれなのか。気になってしょうがない。友人自身の様子もおかしい。友人の妻も何だかおかしい。
こうやって書くと「世にも奇妙な物語」みたいだなと思う。今にもあの音楽が流れてタモリが語り出しそうだ。

「黒猫」や「アッシャー家の崩壊」のような重苦しい不気味さはこの「細長い箱」には感じられないのだけど、この「何かが気になる」という体験は日常に普通にころがっていて、だからちょっと、どこか変な場所に通じる扉が開いてしまいそうで怖い。
覆い隠された箱の中身を暴かなくたっていいのに。


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