【カラヴァッジョ】果物籠
ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあるカラヴァッジョの「果物籠」。
久しぶりに鑑賞する機会に恵まれました。
こうした静物画という画題が独⽴した絵画ジャンルとなる⼀歩を
踏み出したのは16世紀半ばのことです。
ただ当時、絵画はジャンルごとに等級化されていて、
最⾼のジャンルはもちろん宗教画、そして歴史画、肖像画、⾵景画、
⾵俗画という順番でした。
そして最下級に静物画が置かれていました。
これは花や果物などの存在する領域が「卑しい現実」と思われていたこと。
そして絵画技術においてもっとも⾼級なのが⼈体描写、
⼈間を主題とする「意味をもつ」⼤画⾯を構成するということが
画家の使命でもあったわけです。
当時(それ以降も)は静物画の担い⼿に⼥性画家が多かったのも、
残念ながら「⼥にも出来る職⼈仕事」だと思われていたからです。
また、⼥性は裸体の写⽣を禁じられていましたので、
⼈体表現の訓練が出来なかったということもあります。
オッタヴィオ・レオーニ作カラヴァッジョの肖像
話が逸れてしまいましたが、カラヴァッジョはそういう⾵潮があった
当時に「花の絵を描くことと、聖⺟の絵を描くことは同じ価値がある」と
⾔っています。当時としては⾮常に新しい考え⽅だったでしょうね。
カラヴァッジョの「エマオの晩餐」という絵がありますが、
そこでもカラヴァッジョは果物籠を描いています。
テーブルの端から今にも落ちそうな感じで描かれているのが
気になりますね・・・
そしてアンブロジアーナ絵画館にある「果物籠」も、
よく⾒ると台の端にはみ出して描かれているのです。
台座からはみ出すように⼈物や物を置くということは、
ルネサンス時代から描かれていました。
これは「浮彫効果」を狙うためだったとも⾔われます。
またこうして不安定な状態に置くことによって、安定した⼟台にない、
つまり危ない、脆い存在であるとの表現かもしれません。
⻄洋⽂化において、果物といえば、アダムとエヴァが⾷べた知恵の樹の実。
そして果物は⼈間の五感のひとつ、味覚の寓意でもありました。
果物は⽢く、⾍が⾷いやすい、また腐りやすいものと考えられ、
⽢美ながら束の間の「快楽」の寓意としても考えられてきたようです。
カラヴァッジョの「果物籠」にも林檎の所々に⾍の⾷った跡が・・・
これはすでに退廃の始まりを意味しているのだとか。
またブドウの葉もみずみずしく描かれているものと、枯れ始めている葉も
⾒受けられます。
それはブドウの汁気を多く含んだ輝くような実と対⽐して、
まるでカサカサとした⾳まで聞こえそうです。
静物という具体的なものをこうして描くことによって
「世俗的快楽のはかなさ」という観念を表現するという⽅法は、
最後の晩餐などの宗教画の中から次第に⽣まれ、そして発展してきました。
イタリアはルネサンス以来、宗教画や⼈物像の伝統を頑なに
守ってきました。そんな中でカラヴァッジョの「果物籠」は
初めての独⽴した静物画だったのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?