Hirotaro

2001年生まれ。LD, ASD, ADHD 。ベトナムとミャンマーで高校時代を過ごし、途上国の暮らしから多くを学ぶ。IBDP取得。2021年2月1日、ミャンマーでクーデターを経験。オランダのUniversity of Groningenに進学。専攻は物理学。

Hirotaro

2001年生まれ。LD, ASD, ADHD 。ベトナムとミャンマーで高校時代を過ごし、途上国の暮らしから多くを学ぶ。IBDP取得。2021年2月1日、ミャンマーでクーデターを経験。オランダのUniversity of Groningenに進学。専攻は物理学。

    最近の記事

    「自由ってこんなものなんだな」という言葉

    ミャンマーとバングラディッシュの国境沿いでロヒンギャの方々を撮り続ける写真家、新畑克也氏から、ロヒンギャ問題に関する番組を教えてもらい、視聴した。 前半はロヒンギャ問題について、そして後半は日本の難民の受け入れについてのお話だった。 番組はロヒンギャについて基本的なことを伝えていたため、ミャンマーに二年間住み、クーデターで日本に帰ってきてからもミャンマーに関わる人たちとつながっていた僕にとって、情報自体に目新しいものはなかった。 一方で、お話をされていた写真家の方が撮影し

      • DO-IT参加から8年、配慮を受けて学ぶ ~ディスレクシアの海外進学~

        2014年8月6日、8年前の今日、13歳の時、僕は東大先端科学技術研究センターの中邑賢龍教授(当時、現在は近藤武夫教授)が主催するDO-IT Japanプロジェクトに初めて参加しました。 DO-IT Japanは,障害や病気による学習への困難を抱える学生への進学などのサポートと特別支援教育を普及させるべく発足したプロジェクトでした 僕は書字障害、紙に筆記で文字を書くことに困難があり、素早く綺麗な文字を書けないため、作文やノートテークに困難を抱えていました。学校では「もっと綺麗

        • 海外で学ぶための家探し ~オランダ、フローニンゲンの賃貸事情~

          オランダで勉強をしたいと考え、情報を調べていく中でこんな話を耳にしたことはないだろうか 「オランダで賃貸を見つけることは非常に困難で、毎年のように留学に来た学生が、住む場所がなくて困っている」 少しオランダの住宅事情について調べれば、日本語でもちらほらとその手の情報を見つけることができるだろう 僕の通う大学、University of Groningenは住宅の探し方について特別にページを作って解説をしている 他の都市に関して断言することはできないが、少なくともフローニ

          • クーデターから一年半、オランダからミャンマーを思う人々

            オランダで1年目が終わった。アパートの契約が切れて引越しを行なっている途中、アジア系の学生に話しかけられた。 以前から僕はミャンマーで暮らしていたことをコミュニティ内で伝えていたので、ミャンマー人の彼から声をかけてくれたのだ。 彼もちょうど引越しの最中で、大きな荷台がついた自転車を半日レンタルして、荷物を移動させているところだった。 彼はチン州の近くカレーミョ(kalay)の村に住んでいたのだと言う。 父はシャン、母はミゾラムという少数民族で、彼も独自の言語を少し話すことが

            この都市の数少ない不満点

            四半世紀ほど前、「パリ症候群」なる病気が話題になったことがあると聞いたことがある。外国に対して憧れや理想を抱いてそこに旅行/生活にいった日本人が、その現実のギャップなどに驚き精神を病んでしまうというものだ 自分は元々海外に出るのが好きだったし、ヨーロッパにも何度か旅行を経験している。またベトナム、ミャンマーで合計4年ほど勉強をしていたため、日本以外の国に対して過剰な憧れを抱いたり、日本のような便利さを求めようとすることはあまりない。電車やバスが多少遅れるだとか、店の食材の品

            インフラを依存するということ

            みなさま、お久しぶりです。お正月休みも終わり、如何お過ごしでしょうか? 私は大学が一区切り付き、冬休みに入っております。オランダはクリスマス前から本格的なロックダウンが始まり、この冬休みの間、旅行などができず部屋の中で過ごしていました。人が誰もいないお正月はとても新鮮でした。 それについてもいずれ記事にできれば良いなと思っています。 これまでの間に様々なことが起こりましたので、改めてそれについてご紹介させていただければと思います。 インフラを依存するということ 現在私

            勉強と生活、そして街の防疫意識

            更新が途絶えてしまっていて、申し訳ありませんでした。 テストが二つ終わり、ようやく勉強も一定の落ち着きを見せ始めた。しかし、いまだに授業のペースは早く、講義もハイペースで進んでいくためいまだに慣れずにいる。 そんな最中ではあるが、生活はおおよそ安定してきたように思える。料理や洗濯、掃除もできるようになり、どうにか自分の家が少しずつ出来上がってきた。土日の間に仕込んだ餃子は、冷凍しておけばおよそ一ヶ月はもつと後で知り、かなりローテーションを回すのが楽になった。 さて、そん

            一人暮らしはお金がかからないという話と、一人暮らしはお金がかかるという話

            更新が滞ってしまいましたが私は元気です。 この一週間の間に大学の授業もいよいよ本格化し、日常のことも一つ一つがイベントではなく当たり前のことになりつつあります。それに驚きがなくなっていくことは、同時に生きていくための合理化なのだなとなんとなく発見した気になれます。 さて、土日の間に、僕は何か奮発して料理をしたいと思いパエリアを作ることにしました。鶏肉を200g、パプリカを3個、ニンニクを1個、玉ねぎを3個、米を500g、そこに日本のマーケットで醤油や味醂、味噌を買ったり卵

            生活、そして右往左往

            自転車を手に入れた僕は、早速それを使って町中を行ったり来たりすることになった。学校の下見が終わった僕は、その後Vondellaanに位置する自分がこれから住む予定の家を下見に行った。部屋には机と椅子と戸棚、そしてクローゼットと何も被せられていないベットマットが置かれていた。部屋は20平方メートルあり、学生が住むには十分な広さを持っていた。 トイレは近くの部屋の人と共有して使うことになっていた。キッチンは各々がフライパンや食器を持ちつつ、調理場は共有で使うことになっていた。冷

            自転車、生活準備、大学の下見

            ホテルでの生活にもなれ、一息ついた僕はGroningenについて二日目に市役所で住民登録を試みた。アポイントメントが必要で、半月ほど後に住民登録やクレジットカードの作成はできることになった。 その後、中心部からわずかに離れたBudget Bikesという中古自転車店にて自転車を購入した。オランダは世界で最も平均身長の高い国、私の背丈に合う自転車を探すだけでも一苦労。色々と模索した上でようやく買ったバイクはつくりは頑丈であったものの所々古く、また糊付けしただけのハンドルは強く

            初日、二日目、アムステルダムからフローニンゲンへ

            フランクフルトからアムステルダムへの乗り継ぎはスムーズだった。税関や空港内のスタッフと、ドイツ語でちょっとした会話をすることができ、検定試験に合格するレベルには到底及ばないとは言え、ドイツ語が少しは身に付いていたことに驚いた。 日本出国の際は、ワクチンパスポート、大学入学許可証のチェックなどにかなりの時間がかかったが、オランダ入国は何も聞かれず、呆気ないほどだった。 スキポール空港を出るとすでに夕刻だった。今日はアムステルダムで1泊し、明日フローニンゲンに向かう。 ホテル

            オランダでの生活を始めます!

            明日からオランダの大学に進学するので改めてブログを再開します。 僕は小さい頃から科学や自然に関心があり大人を質問攻めにして困らせ、小学校1年生のとき校長先生から「こういう子供が将来犯罪者になる」と言われるような子供でした。紙に文字を書くことに障がいがあり、読み書きを重要視する日本の公教育ではうまくいかないこともありました。特に高校受験に苦労しました。高校に進学することができず、学びの継続ができないのではないかというときに、父の転勤に合わせて高校からベトナム、ミャンマーのイン

            「5年後の当たり前の社会」はいつ作られるか。

            日本福祉大学 金森克浩先生のブログを見ました。文部科学省の特別支援学校の学習指導要領が紹介されていました。かなり具体的な内容になっていました。 僕は様々な配慮申請をするたびに「5年後、10年後には当たり前の社会になっているかもしれない。でも今は無理。」と言われました。その度に「5年後、10年後に当たり前の社会が来るならば、今から始める場所があるはずだ。」とずっと思って諦めずに申請を続けました。しかし高校受験の際、僕が実際に投げかけられた言葉は「君のような生徒はリスクになる。

            障害者の親はチャレンジを許されないのか

            12月のセミナーに朝日新聞の取材が入っていました。(ROCKETでお世話になった記者さんを頼ってお願いしました。)第一回目のコラムが掲載されました。 ホーチミンの複雑な状況を理解して、ありのままに書いてくださったことにとても感謝しました。 障害児の親は、チャレンジを許されないのでしょうか? 昨年の7月、僕たちは「日本人学校はホーチミンで暮らす子供たちのセーフティネットであってほしい」と要望しました。 しかし、会議の席で「あなたたちのセーフティネットは日本でしょう?」「あなたの

            こどもの未来をひらく会

            ホーチミンを離れるまであと一週間となりました。 そんな今日、嬉しいことがありました。過去の経緯を振り返りつつ、今日の出来事をご報告します。 僕がホーチミンの保護者から初めて相談を受けたのは2018年の春でした。対話を重ね支援の必要性を感じ「こどもの未来をひらく会」を発足し、学校運営委員会に「みんなの相談室(日本人学校のニーズに合わせた通級教室のようなもの)の設置」を求めて要望書を提出しました。当時の活動についてはこちらをご覧ください。年末にはこどもの発達に詳しい医師と一緒に

            18歳の僕

            一昨日18歳になりました。 偶然誕生日に尊敬する方とお話しする機会がありました。 その時に、一番印象に残ったのは、「常に自分が何もわからない状態でいること」のお話でした。 彼がベトナムに来て働き始めて、最初の5年間は、彼もベトナム人の従業員もわからないこと、できないことが多く、その度に試行錯誤を繰り返して「今ある問題」を乗り越えていきました。そうしたひと時は楽しいものでした。 しかし5年が過ぎる頃になると、彼らもできることが増え、できることが増えるたびにお互いを褒めあっていた