私は記事を結論ファーストにしない。 霹靂一閃(へきれきいっせん)を極める
PREP法に抗い、オチを尖らせる
私が選んだ記事の型です
結論を先に書くと面白いのか?
結論を先に書くと分かりやすくなりますが、面白さは損なわれるかもしれません。伝えたいメッセージが「情報」であれば、結論を先に書くべきです。しかし、「面白さ」を伝えたいのであれば、結論は後にした方が良いと考えます。
結局、何が目的かといえば、読者との信頼関係を築くことに尽きると思います。読者に満足感を与えれられるのであれば、結論の後先は関係が無いと私は考えています。
また、「情報」「面白さ」どちらも自己満足では成長しません。第三者の判断は必要でしょう。
⇒ブログではPV数や検索順位、noteではスキ数がその指標となります。
私の文章の型
私の記事は面白さに振り切っています。
特にオチはこだわっています。
伝えたいメッセージをオチにして、最後のオチで読者の心に届かせるため、独自の起承転結の型を試行錯誤しています。
通常、起承転結の型で「転」の役割は、「起」と「承」で進めてきた話を発展させ、意外な方向へ展開したり、クライマックスを持ってきたりする部分です。
しかし、私は「転」までを我慢してタメとして使い、結(オチ)で一気に解放させ、オチの一撃で読者の心を刈り取る型にしているのです。
起:話題の情報、資料の説明
承:心の葛藤を表現
転:何かを決断した結果
結:伝えたいメッセージ
《私の文章の型はこれだけです》
これだけしかしませんし
これだけしかできません
オチの一撃必殺に全てを賭けています
最後まで読んでもらえなければ
⇒私の負け
最後の一撃が心に届かなければ
⇒私の負け
自らの体験であれば、突拍子な経験や特別な体験である必要はありません。人生は伏線の回収であり、結果は偶然ではなく必然です。伏線を丁寧に書いていけば、相手の心に届きます。
しかし、この型では、創作は難しくなります。noteでは創作の分野にチャレンジし【たらはかに(田原にか)さん 毎週ショートショートnote】企画に参加させていただき、文章の勉強していますが、体験やリアリティが存在しない場合、文章に魂を入れるのが困難です。
ショートショートのオチは自然とアイデアが湧いてくるので苦にはなりませんが、オチに至る伏線や背景が効果的に浮かんでこないために、オチが無力化するのです。
素人とプロの力量の差を痛感しました。人気があるショートショートを書けるようになれば、私の記事の型も完成に近づけるのではと考えています。
我妻善逸の霹靂一閃
我妻善逸(あがつまぜんいつ)は、人気漫画・アニメ作品「鬼滅の刃」に登場する鬼殺隊士の一人です
社会人になってアニメは個人的に一切見なくなったのですが、これだけは子供達と一緒に楽しんでいます。
鬼討伐の話ながらも、家族愛、兄弟愛が描かれており、幅広い層から人気があるのも頷けます。私も面白いと思いました。
TVも一緒に観て、映画も行きました。
「鬼滅の刃」の中で特にお気に入りが、我妻善逸というキャラクターです。臆病で泣き虫な性格で、常にビクビクしており、鬼との戦いでは恐怖のあまり気絶してしまうことも少なくありません。
我妻善逸は他の隊士と違い、ひとつの剣技「雷の呼吸 霹靂一閃(居合抜きの一種)」しかつかえません。
特殊な状況でないと使えないのですが、電光石火の速さで敵に接近し、一刀で敵を斬り裂きさく一撃必殺技です。
ひとつの剣技しか使えない我妻善逸は劣等感で修業中に逃げ出します。
師匠であるじっちゃんから言われます。
「ひとつのことを極めろ」
「お前はそれでいい。ひとつでもできたら万々歳じゃ。ひとつのことしかできないのなら、ひとつのことを極限まで磨け。そうすれば、お前はいつか必ず報われる」
この考えは全てに繋がるのではないでしょうか。
最後に
クリエーターの方々は、たった1行の文章のを紡ぐのに膨大な時間を費やしています。
文脈や表現方法、読者の想像力を刺激するための工夫など、様々な要素を考慮する必要があり、表現力や情熱が必要とされる芸術的な作業です。
私はエンジニアなのでモノ作りの大変さは熟知しています。素人とプロは全く違います。
私が同じ完成度の小説や繊細な文章が書けるようになるには、その人が生きた同じ時間を費やさねばならないでしょう。
私の様な素人がクリエーターと同じ土俵に立つには、「鬼滅の刃」我妻善逸の霹靂一閃ごとく、ひとつのことを極めるしかありません。
・・・・・
長文で色々書きましたが、実は一番伝えたいことがあります。
最後のオチは、スキしてくれたらわかりますよ!
よろしければお願いいたします。
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