思いやりと受け入れ
生活が大きく変化してそろそろ1年。
自粛疲れという言葉も言われているけれど、
今までの生活に戻る という意識でいればストレスが増えるのではないか?と思うときがある。
いまの生活が当たり前で、この状況でできることを楽しむ というスタンスでいれば、ストレスを大きくすることなく過ごせるように思うから。
「あと何年したら普通に戻るだろうか?」と言われることもあるけれど、看護師だったし医療知識があるものとしては、<普通は変化>して<変化した普通が当たり前>に変わっていくんじゃないか?と思っている。
だって、ウィルスはどんどん変異するものであるし、それはウィルス自身が生きていくために自然に起きているわけで、人間に悪さをしようという意志を持っているとかでなはいから。
そして、変異するのが当たり前のものであるウィルスがいる以上、それがある日突然なくなるということはありえなくて、共存していくものになると思うから。
インフルエンザもウィルスによるものだし、いわゆる風邪の多くもウィルス性だ。
インフルエンザも最初に出たときは大変な状況になったと文献などから知ることができるが、今では重症化予防のワクチンがあり、治療薬があり、対処法を知っていて、”そういうもの”と受け止めて過ごしている。
今のウィルスもいずれそうなるんじゃないか、と私は思っている。
だから、元に戻ったらどうするか?を考えるのではなく、今のこの状況で何をするか?どうしたらできるか?を考えたいと思ってそうしている。
元に戻る日を目標にしていると、自粛やできないことに目がいって苦しくなったりつらくなるだろうけれど、
今の状況で何が・どうしたらできるか?を考えると、それほどつらくならずに受け入れて過ごせると感じている。
とは言っても、
行きたいところに行けなかったり、会いたい人に会えなかったりはするわけで、それを何とも思わないわけでは決してなくて、
早く行けるようになること、早く会えるようになることを願っている。
だからこそ、今は現状でできることに目を向けて行動するしかないと思ってもいる。
考え方や感じ方が異なる人がいるのは当たり前であって、
それを批判したり否定したりしても何も始まらない。
ただわかるのは、”違いがある”ということ。
そしてその違いは、コロナに対する考え方における違いであって、それ以外では違わない部分もあるということ。
だから私は、
違うことを非難したり否定したりするのではなく、
認め合って受け入れあっていきたいと思っている。
緊急事態宣言が出ていても関係なく人と会うなどの行動をする人もいるけれど、医療従事者の視点で見たら、
医療が守れなくなるということは、
交通事故や急な重大疾患(心筋梗塞や脳梗塞、脳出血等々)で、緊急手術をすれば助かるかもしれないとき、
手術を受けられない状況が生じるということ。
私は自分や家族や、大切な人たちがそんな目に合うのは悲しくて辛くて理不尽に感じるから、そうならないようにと思って過ごしている。
医療の考え方、行政の対応に対して是か非かということではなく、今の状況で起こりうることを想像したとき、それは起きてほしくないということが起きうる状況だから、防ぐためにできる行動をとるという選択をしている。
多くの医療従事者や介護従事者は、そうしてここ1年程を過ごしている。
確かにその職業を選んだのはその人自身であるけれども、その職業があるから助けられているのはその職業でない人もであるから、
思いやる という言葉の意味を、意図するところを考えていきたいと思う。
批判、否定、怒り、そういう感情を持つことはそれだけでパワーを使うから、なるべくそうしたくないなっていう省エネ的考えも、ある。
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