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自信がないから、書く仕事を14年続けてこられた

僕が「書く仕事」に携わって、14年が経ちます。

僕は20代半ばの頃、書く仕事を始めました。当時、僕は不動産会社の広報のような部署に務めており、賃料相場や空室率のレポートを書いていました。副業で飲食店の取材記事やレシピ記事を書いていた時期もあります。その後、紆余曲折があってフリーランスのライターとして活動を始め、会社員時代を含めると約14年が経過しました。僕が書く仕事を長く続けてこられたのは、僕の自信のなさのおかげではないかと思っています。

ライターだけど、文章は上手ではない

僕は自信にあふれた人間ではありません。

学歴は高くありませんし、一流企業に就職したことも、仕事で大活躍したこともありません。ライターとして企業様へインタビューをする際、事前にお相手のプロフィールをいただくことがあります。書類に「社内MVPを受賞」や「最年少で事業責任者に就任」のような輝かしい経験が書かれていると、「すごいなあ」と羨ましくなります。

それに、職業はライターなのに、僕は決して文章が上手ではないんです。読む人を魅了する文章を書く文才も持ち合わせてはいません。このnoteで僕のことを文章にすると、いかに僕がいろんなものを持っていないかを痛感します。

それでも、合計で14年、そのうちフリーランスの書き手は7年も続けています。おかげさまで、仕事は絶えることはなく、僕は日々「書く仕事」を楽しんでいます。

その理由を考えて辿り着いたのが、「自信のなさ」でした。

ただ、断っておきたいのですが、お客さんと話すときやインタビューの現場で「僕は自分の仕事に自信がない」と言う、もしくはそのような態度を取ることはしません。相手が「この人に任せて大丈夫かな」と不安を感じてしまうからです。

僕がこれから語るのは、内に秘めた「自信のなさ」が生み出す利点についてです。

「本当にこの表現で良いか?」を何度も問う


僕が自信のなさを強みに感じる理由は、慎重さに繋がるからです。

僕は原稿を書くとき、次のようなことをいつも考えてます。

「本当にこの表現で良いだろうか?」
「自分の仕事の進め方、インタビューは適切だろうかか?」
「今の出来栄えで、納品をして大丈夫だろうか?」
「お客様が求める成果に繋がる内容を書いているだろうか?」

「自信がない」と聞いて、マイナスの印象を受ける人が多いと思います。でも、僕は自信のなさは強みだと信じています。なぜなら、自信がないからこそ、自分の仕事ぶりや考え方、知識を疑うことができるからです。自信がないがゆえにインタビュー前にはテーマやお相手について丁寧に調べますし、特に原稿完成後の見直しは「しつこいくらいに」します。

もちろん、自信たっぷりの態度は頼もしいものです。しかし、自信はときに驕りに変わります。

「自分のやり方は絶対に正しい」と驕ってしまうと、人の話を聞かない、振る舞いが傲慢になる、自分のスキルや知識を過信するようになり、仕事での失敗に繋がりかねません。

書くことの怖さを知れば、慎重になる

書く仕事に慎重さが求められることを僕に教えてくれのは、20代のときに大阪でお世話になった編プロの社長さんでした。

彼から「書き手は、自分が書いたものが世の中に出ることの怖さを知らなければならない」と何度も言われました。あまりにも繰り返し言ってくるので、当時は「いい加減、くどい!」と反発したのですが、今思えば、社長さんからの教えが僕のライターとしてのキャリアを支えてくれています。

自分が書いた文章が世の中に出て、たくさんの人に読まれたら嬉しいものです。著名人にインタビューをした記事が公開されたら、「どうだ!有名人に直接話を聞ける自分ってすごいだろ!?」と周りに大きな顔をしたくなる。その気持ちはわかります。

でも、記事が世に出れば、多くの人が目にします。自分が書いた記事は、時に想像以上の影響力を持ちます。ネットではしばしば、SNSの投稿や記事が「炎上」することからもイメージできるはずです。軽い気持ちで発信した内容が、あれよあれよという間に広まってしまう。

会社員時代の僕は、不動産のマーケットレポートを書いていました。レポートに書かれた空室率や賃料などの情報は投資家の判断材料のほか景気の指標ともなったため、執筆の度に緊張しました。自分が書いたレポートを読む人の中には、新聞記者がいます。彼らはレポートを参考にして記事を書き、その記事が新聞に載るわけです。

仕事を終えて電車に乗った際、夕刊の一面に自分が携わった記事が載っていたのを見て、僕は身震いしました。この経験から、自分の書いた文章の影響力の大きさを実感しました。だからこそ、情報の事実確認のほか、論理的に成立しているかを念入りにチェックすることを心がけていました。

完璧な文章を書けなくても、完璧に近い文章を仕上げることはできる


「書き手が一番やってはいけないのが、ウソを書くこと」

これは、件の編プロの社長さんの考えであり、僕に最も伝えたかったメッセージでした。

原稿に書かれていることが事実であれば、文章が上手でなくてもなんとかなります。でも書かれている内容がウソだったら、どうしようもありません。読み手がウソに気が付かなければ、情報を鵜呑みにしてしまう。悪気はなくても、読み手を騙すことになります。だからこそ、書く前には十分に調べ、書いた後はしっかりと見直すことが大切なのです。

もちろん、どんなに調査をしても、どんなにチェックをしても、ミスは起こりえます。完璧な文章はありません。でも、だからと言って書き手が「完全無欠な文章はない」と思い、チェックを怠ったら、どうなるでしょうか。完璧な文章を書けなくても、完璧に近い文章を仕上げることはできます。誤りを防ごうと努めるのは、書き手のマナーだと僕は思っています。

僕は原稿を書く際、見直しに最も力を入れています。執筆に集中すると、記事の目的を見失うことがあるためです。そもそも、ライターの仕事は文章の執筆ではありません。文章は、目的を達成するための手段にすぎない。依頼者は、なぜライターに文章の執筆をお願いするのでしょうか。人材の採用に繋げたい、会社の取り組みを広めたい、企業とのタイアップを得るための営業ツールとして利用したい、街やお店の魅力を知ってもらいたいなど、文章を書く目的があって、ライターに執筆をお願いするわけです。

文章を書くことに意識を向けるあまり、目的が頭から抜け落ちてしまうのは、ある程度仕方がありません。あれもこれも考えながらでは、執筆に集中できませんから。

でも、大丈夫。挽回するチャンスはあります。それが、文章の見直し、つまり推敲です。ここでは文書の見直しを詳しく書きませんが、見直しに力を入れるのは自信のなさを持っているからこそだと僕は思っています。

予想外は起こって当たり前と思えば、心にゆとりが生まれる

執筆や見直し以外でも、僕は慎重です。

「絶対大丈夫、うまくいく!」と良いイメージをすることは大切。でも僕が心がけているのが、ワーストを想定して対処までイメージすることです。うまくいく想像だけをしていると、予想外のことが起こったときに頭が真っ白になってしまうからです。インタビューでのワーストの自体は、全然うまくできなくて場が白ける、相手が怒りをあらわにして退出してしまうケースでしょうか。

過去にこのようなことがありました。インタビューでとある企業へ伺った際、お話される方が急遽変更になったのです。さあ、大変。準備してきたことが一瞬で使えなくなりました。インタビューで投げかける質問も変えなければいけませんでした。

でも、普段から「予想外は起こって当たり前」と思っていれば、一瞬焦っても、焦りっぱなしにはなりづらいです。何があっても大丈夫、自分ならうまくハンドリングできると思えれば、余計な緊張をしなくて済みます。ある程度、緊張するのは当然。でも頭が真っ白になるほどに緊張するのは、状況を自分がコントロールできないと思い込んでいるから。対応できると思えれば、気持ちにゆとりは生まれ、結果として状況に対処できます。

自信がないからこそ、調べるし、慎重になるし、備えるようになります。結果として、細々とでも書く仕事を続けてこられた。僕はそう思っています。

お読みくださり、ありがとうございました。

そのべゆういち
charoma0701@gmail.com

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