「自分の文章が世に出る怖さを感じて書け」ライター駆け出し時代の教え

「書き手は、自分が書いたものが世の中に出ることの怖さを知らなければならない」

これは13〜4年前、お世話になっていた編集プロダクション(以下、編プロ)の社長さんから繰り返し言われた言葉です。

僕はこれまでのnoteで、自分のビビりな仕事ぶりについて何回か書いてきました。書く仕事を何年続けていても、「この単語や表現でいいかな」「自分の認識は合っているかな」などと考えてしまい、キーボードを打つたびに「書くのって怖い〜」と感じています。(それでも10年、書く仕事を続けています)

ビビりの原点は何だろうと掘り下げてみると、編プロの社長さんからの教えが大きく関わっていることに気がつきました。このnoteでは、そのことについて書いてみます。

「信念の塊」と呼ばれていた僕の先生


当時、僕はとある企業のプレスリリースや、販促物制作に携わっていました。編プロの社長さんは長きにわたってその企業の販促物制作の責任者を勤めてこられた方で、僕は彼のもとへ行きノウハウを引き継ぐ日々を送っていました。

ノウハウを引き継ぐ。言葉で書くと簡単に思えますが、実際にやってみると、なかなかに厳しいものでした。なにしろ社長さんは10年以上も販促物制作を主導した方でしたから、彼の経験や仕事への取り組み方などのすべてを受け止めるのには時間がかかるためです。

いくら充実したマニュアルがあっても、新人はいきなりプロにはなりません。もっとも、僕が関わった仕事には特にマニュアルはなく、口伝というか、見て学べのスタイルで僕は教わりました。手取り足取り教えてもらえることに慣れていた僕は大きなカルチャーショックを受けました。

編プロの社長さんは、周りから「信念の塊」と評されるほどの人物。よく言えば仕事に真面目、悪く言えば厳しい人でした。「信念の塊」ですから、仕事には妥協なし。言葉づかいから仕事に取り組む姿勢、制作物の表現、グラフや写真の色味など細部にまでこだわる人でした。

原稿にダメ出しの日々。よく怒られたけど、社長さんの仕事への向き合い方は素敵だと思った


僕は自分の書いた原稿に何十回、何百回ダメ出しをされたかわかりません。僕は日本人ですし、日本語の文章は仕事でも、学校でも、プライベートでもたくさん書いてきました。だから、正直に言うと「書く仕事」をなめていました。誰もできる仕事だと思い込んでいたのです。

心の中で舐めた考えを抱いていると、たとえそれを口に出さなくても態度に現れるもの。僕の態度の端々から「僕はあなたの仕事をなめていますよ」メッセージが伝わってしまし、僕は社長さんから何度も怒られました。

もう一生分くらい怒られたのではないかと思うくらい怒られる日々は苦しかったものの、不思議と僕は編プロの社長さんのことが好きでした。「なんて酷いことを言うんだろうこの人」とイラッとするときはありましたが、一方で「この人の仕事への向き合い方は真っ直ぐで素敵だ」と快い感情を抱いていました。

教わったのは、書き手が持つべき心構え


僕の原稿は下手でしたし、仕事への姿勢も落第点。しかしどんなに厳しくされても、僕は編プロの社長さんに心を閉ざすことはなく、話をよく聞いていました。社長さんは「君は怒られてもへこたれずに話しかけてくるからな」とよく言っていました。

彼はどうやら僕のことを気に入ってくれて、相変わらずめちゃめちゃ厳しく接してきたものの、何かと僕のことを気にかけてくれました。一緒にごはんやお茶に行った数は数え切れません。

編プロの社長さんが一貫して僕に伝えたのは、文章の書き方でも、企画の立て方でも、写真の撮り方でもなく、冒頭で紹介したように、作り手が持つべき意識でした。

社長さんは常々、自分が関わった販促物が印刷物となって世の中に出回ることはやりがいでもあるし、恐怖でもあると語っていました。でも僕にはなぜ彼が怖がるのかがわかりませんでした。

自分が書いた文章がたくさんの人に読まれるって最高じゃん!目立っていいのに!

内心ではそんなことを思いながら社長さんの話を聞いていました。

怖さを思い知った、夕方の出来事

そして、社長さんのもとでの「修行」を終え、僕はとある企業のプレスリリースや販促物制作を自分の仕事として引き継ぐことになりました。主体的に取り組んでみて、僕は社長さんの気持ちがはじめてわかったのです。

ある日の夕方、たしか午後6時半くらいのこと。仕事を終えてオフィスを後にし、都内の大きな駅から電車に乗って僕は家に向かいました。車内はそんなに混み合っていらず、座席は埋まっていたものの立っている乗客はまだらで、通路を挟んだ向かいの席に座る乗客の様子がよく見えました。

僕は疲れてボケーっとしながら座っていたのですが、何かの拍子で向かいの席をチラッと見たのですが、そのときにスーツをビシッと決めた、いかにも仕事ができそうな男性が大手新聞の夕刊を読んでいることに気がつきました。次の瞬間、僕はかたまりました。なんと夕刊一面に僕が担当したプレスリリースをもとにした記事が載っていたからです。

これは!!僕が書いたプレスリリースだ…。大手新聞夕刊の一面に大きな見出しで載っている。どれだけの人が、この記事を読んでいるのだろうか。

仕事のやりがいを感じつつも、僕は言いようのない不安というか、恐怖に包まれました。強烈な緊張感が沸き起こってきたような感覚でした。

ウソの文章を書くな

自分が書いたものが、新聞の一面に載ってたくさんの人の目にとまっている。読者の多くは、記事の内容をそのまま信じます。記事の内容を見て、自分で一次ソースにあたる人はほとんどいないはずです。

そう。つまり、僕が誤った認識のままインタビューや執筆を始め、誤った認識をもととした記事を書いて新聞やネット記事に掲載された場合、僕は図らずも誤った情報を世の中に発信していることになります。その気は無くても、不特定多数にウソをついているようなものです。

社長さんの言っていたことがわかる。印刷物にしろ、ネット記事にしろ、一度世に出したら引っ込めるのはむずかしい。書くって、言葉にするって、なにかを印刷物として発信するって、こんなにも重々しいものなんだ…。

そういえば、社長さんは「書き手が一番やってはいけないのが、ウソを書くこと。事実が書かれていれば文章は下手でもいい。直せばすむから。でもウソの文章はどうしようもない。誰も気が付かずに進んでしまうかもしれない」と話していた。彼はきっと、このことを僕に伝えたかったのだろう

このときから僕は、仕事で文章を書く際には神経質なくらいにしっかりと調べるようになりました。

「書き手は、自分が書いたものが世の中に出ることの怖さを知らなければならない」

編プロの社長さんに繰り返し言われたこの考えを心に持って原稿に向き合えば、いい加減な文章を書かなくなります。ちょっとしたことでも調べるし、人に聞くし、自分で確かめるようになるからです。

書く技術を磨く前に、書き手のマナーを身につける


少しの誤りなら読み手は深く気にならないかもしれません。きっと、大きな問題にはならないでしょう。でも作り手が「どうせ読み手は気がつかないよ」の意識でいたら、成果物の出来はどうなるでしょうか。

もちろん、いくら確認しても、人は完璧じゃないから間違うことはあります。でも、誤りを防ごうとする努力は必要。それは書き手の責任、マナーだと僕は思っています。

僕は紙媒体の制作からライターを始めたので内容には特に神経質になりますが、紙よりも訂正が簡単なウェブ記事なら意識を甘くしていいわけではありません。なぜなら、仮に記事公開後3分で間違いに気づいて直したとしても、3分にわたって誤った情報を流した事実は消えないからです。

編プロにお世話になり始めのとき、僕は「ライティングの技術を教えて欲しい」「刺さる企画の立て方を教えて欲しい」など、技術面にばかり意識が向いていました。でもそうした質問をすると、社長さんはしかめっ面をしました。今ならその理由がわかります。そのときの僕が「誰に向けて、何のために書くか」や「書くことの責任」を理解しようとしていなかったから。

あれから10年以上が経ち、僕はいまでもおかげさまで書く仕事を続けています。それは、編プロの社長さんから書く仕事に従事する人が持つべき考えを叩き込まれたことが大きいと僕は思います。

社長さんには心から「ありがとう」を伝えたい。いまどこに住んで、何をされているのかもわからない。連絡先もわかりません。このnoteを読んでくれたら嬉しいな。

お読みくださり、ありがとうございました。

そのべゆういち 
charoma0701@gmail.com

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