『ARASHI 5×20 FILM』で嵐を観ながら気が付いたのは、ファンの特殊能力だった
『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』を観てきてしまった。映像の美しさも音響も最高の映画館・全国7か所にしかないドルビーシネマにて、一般公開に先駆けて公開中だ。
嵐ファンクラブに入っており、今回の映画となっているコンサートツアー・ 5×20は、ドームで現地参加している。オーラスは全国の映画館とつないでライブビューイングが行われ、そちらも参加することができた。
映画を観ながら感じたのは「やっぱり嵐はすごいし、ジャニーズのコンサートって特別だよな」ってこと。
その話をしたい気持ちは山々だけれど、今日は「やっぱり『目』ってすごい感覚器官だ!」って話をしたいんです。
『ARASHI 5×20 FILM』は、堤幸彦監督のおかげで目にやさしすぎる
映画は、各国・日本各地の開園時間の映像からスタート。
東京ドームがズームされて行って、開演の18時。コンサートのオープニングは、嵐メンバーがステージに登場するシーンからスタート。
横一列で、高いところで歌っていたところから5人が地上へ降りる。ステージ上を自由に動いて、歌いながらダンスもする。
これを観ながら、「映画ってすごく目にやさしいなぁ」って思ったんです。
だって、その瞬間に、もっとも観てほしい映像を映し出してくれる訳でしょう?
3秒ほどで一番いいシーンにどんどんスイッチされる大画面に映し出される映像を、ゆったりとした椅子に座って眺めているだけでいいなんて。
嵐のコンサートに行ったことがある方なら分かっていただけると思うが、彼らのコンサートは見どころ満載なんて表現じゃ物足りないくらいに、見どころしかない。
5人のメンバー、オーケストラなどのステージ上の嵐以外の出演者、会場のお客さん、ステージ上の演出も……本当なら、鳥の目も虫の目も魚も目も、借りられるものならなんだって全部借りて、このすばらしい会場中のすべてを自分のなかに取り込んで堪能したいと願っている。
しかし。わたしが実際にドームでこのコンサートを観ているとどうなるか。
応えはまさかのソロアングルだ。嵐のメンバーすら観ることができていない。
わたしは「二宮和也が好き」というのがDNAに組み込まれている人間だ。歌って踊って一瞬ごとに違うかっこよさを見せ続けてくれるニノちゃんを前にしてほかの場所を観るなんて選択肢は、わたしのなかには存在しない。コンサート・舞台の現場での相棒である防振双眼鏡を構えて、二宮和也にロックオン! だ。
それが。
『ARASHI 5×20 FILM』では、125の視点のなかから、映画では堤幸彦監督が選んだ一番観るべき映像を映し出してくれる訳だ。
なぜなら、収録の日、会場には125台ものカメラが入っていたんだから。
125ってすごいよね!エンドロールでも「カメラ1 担当者のお名前」みたいに全員分載っていて、カメラマンさんのところだけでも圧巻でした。
テレビ観ていると当たり前な気がしちゃうけど、この編集作業ってものすごい労力かかってるよね。
今回映画化されたおかげで、わたしのようなファンにとっては初めて二宮和也以外の嵐コンの景色を、とっても容易に知ることができた。一瞬ずつの見どころを選んで繋いでくれた堤幸彦監督には心から感謝を送りたい。おかげでわたしも、ニノちゃん関係以外で「キャー!!!」ってファンたちが湧いていたポイントの理由を知ることができました。
目にやさしすぎる『ARASHI 5×20 FILM』を、素直にそのまま受け取れなかったわたしの目
そのまま、監督が選んでくださったカットを素直に受け取り続ける、というのが、今回の映画をもっとも楽しめる見方のはず。それは十分に分かっている。
が、それができないのがDNAレベルで二宮和也が好きだと思う所以でもある。
映画のなかでコンサートが始まり、パフォーマンスが2曲目、3曲目、4曲目と進んでいくうちになんとわたしの目は、3秒ほどで切り替えられていく映像のすべてで二宮和也にピントを合わせようとし始めたのだ。
嵐では大野智くんが「リーダー」と呼ばれているが、ほかのアイドルグループにあるような立ち位置のようなものは決まっていない。曲によって、またその中のパートによって、5人のメンバーにほぼ同じ数くらいずつの見せ場のシーンがある。
だから、映画のなかでも嵐を映すカットは主に、
・嵐全員が映るような引き
・1人ずつのアップ
・その間で、2人だけ・3人だけが映る
というようなものの組み合わせだった。
映像が切り替わるごとに、映る人数も、映るメンバーも、画角も変わる。
その中でわたしの目ったら、
・ニノちゃんが画面にいるかどうかを判断し、
・いた場合にはそこにガっとピントを合わせにいく
・いない場合は、その画面にいるメンバーを拝見しながら次に備える
ということをし始めた。自動で、しかも反射的に。
画面のなかにニノちゃんが分かりやすく映っていればそれでいいが、ときには相葉くんメインのカットに左半身だけ見切れているとか、櫻井くんのアップ映像の後ろにピントボケボケのニノちゃんがいるとか、そういうことも起こる。
そんなときにもわたしの目は、すばやくニノちゃんを検知し、見切れていようがボケボケだろうが一瞬でピントを調整していた。
思考には、「速い思考」と「遅い思考」というのがあるらしい。
「システム1」と呼ばれている速い思考は、自動的に、無意識で行われる判断。たとえば人を一目だけ見て、「なんか好き!」「あの人怒ってる」みたいに印象をもてるのは、システム1のおかげだ。
わたしのシステム1はきっと、二宮和也をどんな状況でも探し出せるように進化していた。
ファンを何年もしていると、脳や目などの感覚器官も鍛えられ、環境に適応できるように進化していくんだろう。すごいなぁ。
さらなる事件が起きたのは、コンサート中盤からだった。
実はこの映画には、わたしがこれだけ好きすぎる二宮和也さんよりも、さらに好きな人が出演している。ジャニーズJr.として嵐先輩を支えていた江田 剛くんだ。
5×20というコンサートは、過去の嵐コンと比べてJr.の出番がかなり少ないのが特徴。嵐の20周年を記念する公演であるため、5人でのパフォーマンスが多くなるように演出担当である潤が構成したのだと思う。
それに伴って、ジャニーズJr.が映画の中ではじめて登場するのも映画の中盤からだった。
このコンサートをドームやライブビューイングで観ているとはいえ、1年以上前のことなのですべてを記憶しているわけでもない。どの曲で、どのタイミングで、どの立ち位置にうちの子がつくのかだって忘れている。
それでも、相変わらず数秒ごとに切り替わるカメラの映像のなかにジャニーズJr.らしき人影が見つかったら、わたしのなかのスイッチがバチっと切り替わる。
あれだけ目が置いてきた二宮和也さんさえ、焦点がまったく合わなくなる。たとえニノちゃんのどアップだろうが、わたしの目はその後ろに小さーーく映っている人の集団しか映らなくなってしまうんだ。
えだくんはJr.のなかでも嵐の一番弟子的なポジションにいたので、嵐の真後ろで踊る曲などはにこにこしているお顔が数秒、はっきり見られるところもある。ありがたい。
が、映っているシーンのほとんどは、「あそこに人いるなー」くらいに小さくJr.の集団がいるくらいにしか見えない。その中でもわたしの目は、確実にえだくんを探し出してくるんだから自分でもびっくりする。
ダンス中の腕の伸ばし方や、ターンの癖とか。そういう、ほんっのちょっとしたことで「あっこれだ!」と見つけられた瞬間の喜びったらない。何ならお顔が見えるときより、めちゃくちゃ引きの映像でJr.なんてありんこくらいにしか見えないときの方がはやく見つけられたりするもんね。目、すごすぎよ。
とにかく、特殊能力と言ってもいいのではと思える自分でも説明できない力を使って彼を見つけ出し、Jr.が出演している曲だってニノちゃんの30分の1も映っていないのを何とか探しては、「わぁーやっぱりそのダンスすき」「その表情が、最高だよぉ」などと思いながら一瞬ずつの動きに息を呑むんだ。
DNAに組み込まれているレベルで好きの塊であるニノちゃんを、こんなに軽々こえてくる人がいることも、それを見つけ出せることも、わたしの知識では説明することは不可能だ。
ただ分かったことは、好きが過ぎるファンは、映画を観に行ったって考え抜かれたスクリーンに映し出される画角をそのまま楽しむことはできない。編集してくださった映像を、さらに自分好みに編集しながら観てしまうということだった。
人間、好きなもののためだと超能力的な力も身に付けてしまうんだろう。
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