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テレスクリーン監視社会と教育のICT化との関連性

ジョージ・オーウェル著 『1984』から未来の教育について考える

みなさん今年のGWはどのように過ごされましたでしょうか。昨年の10連休とはうって変わって、今年は5連休で短く、また外出自粛もあって移動に関しては制限されていたかと思います。私はもっぱら近くを少し散歩したり、家で読書したり、そんなのんびりとした生活を過ごしていました。趣味であるキャンプに早く行きたい思いです。

そんなGWを過ごす中で、ジョージ・オーウェルの「1984」をこのタイミングで読みました。高校1年の時に一度英語版で読んでいるのですが、改めて今読むと違う思いや感情が出てくるのではないかと思い、今度は日本語版で再読しました。

改めて、ジョージ・オーウェルが1949年に出版したことに衝撃を受けましたし、この近未来感は2020年となった今でも非常に考えさせられる内容だと思いました。当時は、社会主義的な国家システムになりつつあるなか、全体主義的な思想に対するアンチテーゼを唱えた書籍であったとは思いますが、現代社会においても民主主義社会と謳いながらも、社会主義的なシステムというのは存在しているのも事実です。

今回は、そんな名著「1984」を「未来の教育のあり方」の観点からまとめていきたいと思います。まずは、書籍内でのざっくりとしたあらすじから始めます。

時代は、1984年で、この社会は、「ビッグ・ブラザー」という指揮官の下、テレスクリーンという大きなスクリーンがいたるところにあり、全国民の動きが政府によって監視されている社会です。"Big brother is watching you" というフレーズは有名ですよね。主人公のウィンストン・スミスは真理省という役所で働いています。どんなことをしているかというと、歴史の改ざんをしている役所です。今までの政府の誤りや事実とは異なる事象に関しては、全て過去の書物を書き換えることにより、それを真実とすることがこの役所の職務になります。普通の人は、政府の言っていることが絶対的ですので、誰一人として逆らう人もいませんし、そもそも何が真実かどうかさえわからない状況まで陥っています。そのようなディストピアな社会で、主人公は違和感をもちながら、こっそりと日記を始めます。

興味を持った方は、ネタバレになるので、その先については詳しくは述べませんが、いくつか衝撃的な考え方をピックアップしたいと思います。その上で、教育に置き換えるとどのようなリスクが考えられるかを述べていきます。もちろんこれは教育ではなく社会全体として考えるべきトピックですが、やはり個人としては"教育"というテーマに絞って論点を書いていこうと思います。

テレスクリーンの監視社会と教育のICT化

教育にもオンライン化の流れが加速し、LMS(Learning Management System)と呼ばれる学習管理のツールの利用が増えてきています。これは、今まで可視化しづらかった生徒の学習進捗情報を確認することができたりします。どういうことかというと、今まで以上に生徒の細かい学習状況を「監視」することができます。しかし、「監視」と表現をするととてもネガティブな印象をもちます。

そもそも「監視」とはどのような理由でする必要があるのか。書籍の1984の中では、"反政府的な考えや行動をしていないか”という理由で監視をしています。言い換えると、政府の意向に民衆が完全に沿った社会の実現を目指しているということです。人々の行動を抑圧する、制御するためです。

これを学習に置き換えると、宿題を先生の意図通りにやっているかどうかを監視しているのかどうか、ということになります。しかし、果たしてそれがLMSを運用する上で監視が一番の目的でしょうか。おそらく監視的な側面はあるものの、あくまで一部でしかないと考えます。

どちらかというと、「より良い指導を実現するため」にLMSが活用されるべきではないかと思います。具体的には、いかが考えられるのではないでしょうか。

・傾向を分析する
・生徒のつまづきポイントを理解する
・ヘルスチェックをする

生徒の習熟度や学習状況を正確に個別に把握することで、一人一人の生徒の気持ちや状況に合わせた指導が実現できる、という意味合いで活用するのが望ましいのではないかと考えています。つまり、全員が次に繋がる学びが実現できることがLMSがもたらす価値なのではないでしょうか。

ただ単に先生が指示した内容のみをチェックするのは、確かに業務の効率化には繋がるものの、それは確認=監視でしかなく、言い方を考えずに表現すると先生個人が必要だと感じるからや管理だけのためにやっているから、となってしまう可能性があります。そもそも課題を出すにしても、意図があると思います。生徒の学習に寄与するための課題であるはずです。その意図がICTを使うことによってさらに学習にとって発展的な意味をもつことになっていなければいけません。

これが実現できなければ、ひたすらICTによって生徒の一挙一動をくまなく監視するだけのツールとなってしまいます。

「二重思考」という考え方

次に二重思考という考え方です。これはどういうことかというと、本書では、

2+2=4という事実をわかっていながら、政府が2+2=5であるとするならば、それもまた真実になる。

ということです。つまり、「常識的な事実」「政府が提唱する事実」の両方を事実と捉えることが二重思考です。

この考え方は現代社会も多くあるなと本当に思います。普通こうだろ。と思うことが、メディア操作や言動によって、なぜか知らないけど事実がねじ曲がった形で進んでしまうこと。

では、教育ではどのようなことに置き換えられるか、というと「やるべきこと」と「やらないべきこと」に関して二重思考が存在していると思います。

どういうことかというと、この記事でも書きましたが、先生にしかできないこと。ICTにしかできないこと。を明確に線引きした上で、学習を進めていくことが重要だ、ということです。

デジタルネイティブ・スマホネイティブな現代の生徒にとって、「これはスマホで勉強した方がよくね?」「動画見えればよくね?」というのはすぐにわかってしまいます。その中で、先生が理解せずに授業をしてしまうことによって、二重思考は発生するのかなと思います。生徒は、本来このような学習をした方が効率的だ。と考える一方で、学校はこういうものだから、それを事実として受け入れて学習をする。この考え方はまさに二重思考です。

もちろん環境面やインフラ面等が整っていない場合は仕方がないことかもしれません。ただし仕方ない、で済ましてしまうことはディストピアな世界を作り出してしまう可能性を秘めていると思います。外出自粛環境下において、「自宅だからこそできること」、「課題だからこそできること」、「先生だからこそできること」「学校だからできること」をそれぞれの役割として果たさなければなりません。

そのような意味ではGIGA構想により、まずは環境面においてしっかりと先生にしかできないことにフォーカスできる世界を作ってあげることは急務です。

ニュースピークと思考停止

最後に、「ニュースピーク」という新しい言語が本書では登場します。

ニュースピークとは、現代の言葉をさらに簡略化した言語で、動詞や形容詞などを限定的にすることで、複雑な思考を持たないようにし、反政府的な思考に至らないようにする言語です。

ここで、言葉がもたらすパワーについてジョージ・オーウェルは説いています。言葉を駆使することによって、あらゆる考えをし、そして表現ができます。私がこのようにnoteに考察を書けるのも、あらゆる単語や言葉を使うことができるからです。

話は変わりますが、ここで思い出されたのは、筒井廉隆著の『残像に口紅を』です。読み進めていくごとに使う言葉が限定的になる小説です。

例えば、「あ」が消えれば、「あい」や「あなた」もいなくなる。といったように。(ぜひこの本も読んでみてください!)

少々脱線しましたが、つまり表現することは、新しい知識システムを構築し、一つの知識からまた新しい知識を修得するためにとても重要です。

言語の偉大さを感じます。私は英語も話すことができますが、やはり日本語の繊細さや活字がとても好きです。

教育に関していうと、Youtuberや映像授業がかなり普及している中、視覚からの情報として、わかった気になっています。ところがこれだけに留めるのは、極めて危険な状況だなと感じています。映像により、活字よりも鮮明な情報が手に入る一方で、自分で想像したり、自分で違和感を感じたりする機会が減っています。また、有名人が使う言葉、流行りの言葉を使ってLINEやTwitter等で限られた言語で会話をする風潮が目立っています。全員が同じ返し方、略語を使って効率的なコミュニケーションに走ってしまうことは創造性の欠落に繋がる可能性もあります。

また、本書では、「思考警察」たるものも存在します。反政府的な考えやアイデンティティについて考えたりしただけで、思考警察によって逮捕され、監獄で強制的にそのような思考を持てないようなリハビリを行わせられます。

世界は、ITの発展により、非常に便利になっています。一方で、何も苦労をしなくても、何も考えなくても何不自由なく生きていくことができるような世界になっています。この状況は簡単に民衆を権力者がコントロールできてしまう世の中になっているということでもあると思います。

そのような時代であるからこそ、「批判的思考力」や「表現する力」というのは重要です。物事を鵜呑みにせず、自ら考え、自分ならどう感じるか。そして果たして与えられた情報は正しいのか否か。しっかりとエビデンスベースで判断しなければなりません。思考停止状況こそが、今後の日本の未来を危険に晒すことになってしまいます。

最後に

いかがでしたでしょうか。ジョージ・オーウェルが描くディストピアな世界は改めて読むと衝撃的でした。そして、様々な物事がデジタル化されている現状において、少なからず1984にあるような状況になりかねないリスクがあると感じています。自分の意思や考えをしっかりともち、アウトプットをしながら、議論を深めていく。考えを表現していく。そして、ポジティブな未来を構築していくことが必要だなと感じました。

皆さんも1984を読んだことない方がいらっしゃればぜひ手にとってみてください。また、近未来SFでディストピアな世界を描いている著書としては、ジョージ・オーウェルの「動物農場」やオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」があります。こちらも一度読んだことはありますが、これを機に改めて読んでみようと思います。

より良い未来に向かって一緒にディスカッションできたらと思います。

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