見出し画像

東京に住む龍 第二話 龍の恋人

宮前小手毬は思った、私の人生は第三希望だ。第三希望になっても不幸でも不運でないのは、運の強さと日ごろの勉学の努力のせいなのか、悲劇も不幸にもならないが、思わぬ展開そして幸運が来た。自分はこういう人生を送るのか、半端呆気に取られてる。

 子供にとって、はじめての人生選択は高校受験だ。小手毬は小さな機械メーカーを経営している父の血を引いているからか、理系希望だった。ちゃっかり就職に困らないように、調剤薬局が町で勃興しているのを見て、薬学部を希望していた。

 受験の頃は東京都西部に住んでいた。高校は都立の進学校で、理系に強い所く、家から近い所を希望した。中学教師も塾の講師も成績の折り紙を付けたが、第一志望の都立、第二志望の元男子校の私立の進学校と立て続けに落ちてしまった。あわや中学浪人かと思った時、水道橋駅から十分程の都立高校の補欠試験があり、かなりの進学校なので無理かと思ったが、試験に塾の予想問題とたまたま同じ問題が出て、余裕で合格した。中学で小手毬より成績上位者をぶっちぎって、有名高校に進学出来たのだ。しかも水道橋の隣のお茶の水から地下鉄に乗って数駅先に、子供の時小手毬が住んでいた町がある。今も祖父母が住んでいて、大喜びしてくれた。

 西東京から、学校が遠いとぶーぶー言いながら、小手毬の高校生活がはじまった。友人と遅くまでファーストフードの店でおしゃべりは出来ないが、クラブは入らず、現役で薬学部入学を目指し、勉学に励んだ。

 高校生活に慣れた頃、両親の間で離婚問題が起こった。元々他の家よりラブラブ度が低い夫婦だと子供ながら思っていた。子供の頃は近所の神社の男の子に、不安になってお嫁さんにしてと、言ってしまうほど、精神が不安定だった。随分あの男の子は、小手毬のことを気にしてくれて、神社のお祭りで稚児にしてくれたこともあった。名前は水神辰麿。

 高校二年生の春の両親の離婚騒動は、本当に離婚となった。親からは、何処に行くかは選べるというので、第一希望母親、第二希望父親、第三希望祖父母と、選んだ。が、しかし母の家を希望した第一希望は通らなかった。うっかり知らなかったが、母は新しい男と暮らすのだという、しかもその男は、父の会社の共同経営者で、小手毬も知っている人で、この離婚は母が不倫相手と一緒になることだと知らされたのだった。父は家族と住んでいたマンションを処分して、経営する会社の傍に移るという。父にとって、私生活どころか会社経営の新規巻直しもすることになってしまった。会社の経営に集中するため、そこには小手毬の部屋はなかった。結局、第三志望の祖父母の家に、高校も近いし、七歳までは同居していたということで、行くことになった。

 母親から拒絶されたことは、少し衝撃だったが、高校を出たら自立してもよいし、それまでは父から月数万円の金を貰い、衣食と進学塾の金は自立して遣り繰りすることになった。祖父母の元で半分自立出来るのは、大人として信頼されて嬉しかった。

 高校二年の七月の初めに、水神辰麿=青龍のいる龍神社の町に、青龍の龍珠で許嫁、宮前小手毬は戻って来たのだった。

 夏休みになってから、引っ越しをするのかと思っていたら、父にマンションが急に売れたと言われ、七月の初めの土曜日に西東京の町を後にした。子供部屋の家具は、ベビー用の箪笥を不便を言いながら使っているほど、子供ぽっかった。この子供向けのファンシーな家具調度はマンションの住人が譲って欲しいとうので、置いていき、荷物だけ段ボールにまとめ、運送会社の単身パックで引っ越した。

 祖父母は優しく迎えてくれた。昔家族で住んでいた部屋を用意してくれた。祖父母にとって小手毬はたった一人の孫だった。段ボールから、学校に通う必要な品物を諸々出して、祖母が持ってきたハンガーラックに制服と当面着るものを掛けた。昔住んでいた時のベッドも置かれていたので、一式持ってきた寝具を。段ボールから引き出し、ベッドの上に丸めて置いた。漫画で見た昭和の侘しいアパート暮らしのように見えた。明日は父に貰った十万で、家具屋に行って好みの机と本棚とカーテンを買おう、子供じゃないんだから、少しお姉さんぽいのがいいな、ガーリーでクールにしたい。

 手早く部屋の整理を三時前に終わらせた小手毬は、近所を回ってみることにした。行先は龍神社になりそうな気がした。久しぶりにあの神社どうなっているのかな。引っ越してからはじめて行くのかな。七歳のときに引っ越ししてから、父の実家のある町ということで、母は小手毬を連れて来たがらなかった。数度しかこの町に来ていないし、来ても地下鉄の駅から祖父の家までしか来ていない。

 小手毬は家を出ると。駅と反対方向に向かった。民家と戦前から残る古い寺ばかりの、東京でも落ち着いた住宅街だった。それでも七歳の小手毬が知っていた住宅が残っていたが、ぽつぽつと新築のモダンな建築が交ざっている。少し残念だったのは神社への道の途中にあった、老婆のやっていた駄菓子屋が無くなっていたことだ、その家は残されていたが、改装されて入り口のガラス引き戸は壁となっていた。

 子供の時見た風景が、成長したので小さく見える。あの頃は童話みたいなことが起こった。神社の辰麿・龍君のお家にいったら、狐や狸やら馬がしゃべって、遊んでくれた。ろくろ首と、のっぺらぼうの女性がいて、お菓子をくれた。

 龍君の家は神社の後ろの竹藪の中にあって、ふたりで、竹藪の中に建っていた離れから、東京の町を眺めたことがあった。さらさらと音がするので、「なあに」と聞と、「竹藪に風が通る音だと」辰麿が答えた。頭の良いお兄ちゃんだった。

 そういえば神社で稚児をやった時の写真が残っている。あの後直ぐ、父の仕事の都合で、東京都下に引っ越したので、七歳だったのか、辰麿とふたり、頭に金の飾りが一杯ついた冠をかぶり、平安時代の王子様とお姫様の格好をして、大きなお座敷で、宴会を開いた思い出があった。脚付きのお膳が幾つも出て来て、大層な歓待をして貰い。沢山の氏子さんにお祝いされた。あの後直ぐこの街を去ったので、皆どうしているのだろうか。

 記憶の中でよく分らないことがあった。辰麿と口付けをしたのだ。小手毬が覚えているのは唇と唇を直接合わすにではなく。お互い向かい合わせで、口を開けたら、辰麿の口から、オーロラ色に光る真珠の珠のような、綺麗な球体が出てきて、それが小手毬の口の中に吸い込まれるように入り、珠は口腔で消えた。それから今度は小手毬の口から、大玉の真珠のような球体が吐き出され、辰麿の口の中に吸い込まれた。鮮明に覚えている。

「りゅずのこうかん」

と辰麿が言ったような気がした。

「小手毬は僕の『たま』になったんだ」 

 とも言われた気がした。何だったんだ。私はたまなの、猫か。神社に行けばきっと辰麿がいるから、聞けばいいんだ、と楽観的に考えた。後で日本国政府を巻き込んだ、辰麿の我儘の犠牲となってしまった。

 道は龍神社の前に出た。社殿も社務所も相変わらずだった。境内は子供の遊び場にいつでも成るように、平らで草が抜かれている。これも同じだった。身体が大きくなったせいで、七歳のとき広大に見えた境内は、思ったより小さく、何処の町にでもある、至って普通な神社に見えた。

 鳥居をくぐり真っ先に見に行ったのは、社殿と社務所の間にある、竹藪だった。金網の塀越しに竹林を子細に眺めた。 

 竹藪は思ったより小さく奥行もなかった。向こう側の高台の下の東京の街が透けて見える。そして竹藪の中にはお屋敷の影も形もなかった。あの宴会はなかったのか。辰麿と竹の葉がそよぐ音を聞いた、露台は何処にあるのだ。そんな疑念が小手毬に沸いた。

 まずはお社にお参りしなくちゃと、気を取り直し、社殿のある左手を向いた。そこに青年に成長した、水神辰麿が立っていた。白い着物に水色の袴の神官の格好をしていた、身長が思ったより低い、きょろとした目、イケメンではないが、色白で少しぬっぺりとした、普通の容姿だ、そして不自然に伸ばしたぼさぼさの長髪は、肩までかかっていた。

「小手毬、小手毬じゃないか」

「龍君、辰麿。逢いたかったよ、龍君」

 いぶかしがることもなく、小手毬は青龍に抱きついた。

 いきなりおふざけモードで、小手毬は辰麿の後ろの長髪をめくり上げた。青龍の人間体には、頭髪の延長上に龍の証である鬣《たてがみ》が、背中の真ん中に連なるように生えていて、尻まで続いている。それを見つけた小手毬に、青龍はからかわれた。

「龍君、相変わらず、ここの毛を隠してるんだ。剃っちゃいなさいよ」

 青龍の着物の衿から下を覗いた、小手毬に十年前別れる前と同じに、鬣のことをからかわれる。お互いに時間が戻り、すぐ馴れ馴れしくなる。幼馴染なんだと小手毬は思った。

 普通に社殿の方に向かった、小手毬が拝もうと向拝の屋根の下に行くと、辰麿がどうしても祝詞を上げたいと言い出した、財布にコンビニでおやつを買うくらいのお金しかないので。祈願料は払えないと固辞した。辰麿は、特別に祝詞を上げたい。短いのにすると言い張った。

「小手毬がこの街に戻って来たのを、寿《ことほ》ぎたいんだ」

 青龍に促されて、社殿の階を昇り、扉の中に小手毬は青龍の後に続き入った。子供の時さんざん遊んだ社殿はそのままで、日頃の掃除が行き届いているのか、塵一つ落ちていない。子供の時と違う物は、祭壇の装飾の燭台が蝋燭からLEDに変わり、座布団が変わった位だった。

 青龍は家庭用ライターで蝋燭のお灯明に火をつけてから、祭壇の前に坐って深々と礼をした。祝詞を上げたのだが、小手毬の今日から住む祖父母の家の住所と、小手毬の生年月日を、青龍がするする述べた事を、彼女が聞き咎めていたら、運命は違っていたのだろうが、龍に恋された少女は運命を変えることは、叶わないのだった。

 本当に短い祝詞の後で、分厚い昔ながらの座布団に坐って、二人はお喋りした。

「龍君って國學院大学に行っているの」

 お互いの近況を話し合った。青龍は結構偏差値の高い理系の大学の、地学部天文学科の学生で、四年生。卒業後は神主になるため、國學院の神主養成所に入ることになっている。小手毬もざっくり、高校のこと、両親の離婚のことから引越に至った経緯について話した。

 事の次いでに、この近くで、家具の買える店はないのか聞いてみた。久々に不忍通りをタクシーで通って、昔馴染みの店が無くなっていたので、試しに聞いてみたのだが、明日の日曜日に一緒に見に行くことになった。

 翌日の朝、予定の時間に辰麿は迎えに来た。大人びた和服姿だった。羽織を着ているので、小手毬でも、イタリアンでも行くデートモードだと分かった。祖母に案内されて青龍が茶の間に入って来た時には、小手毬は慌てた。何せ日暮里か上野にニトリを探しに行くつもりだったから、デニムパンツに半袖ティーシャツ、パンツはダメージ加工していないオーソドックスなもの、シャツも白い無地で清潔感を出していたが、青龍の恰好とは釣り合わない、祖母に言われるまま、自室の段ボールから、袖なしの水色のワンピースと、コットンのニットの黒いカーディガンを取り出した。メイクとアクセサリーを付けなかったのは、これはデートじゃないという意思表示だ。

 タクシーを拾い、辰麿は六本木に向かわせた。

「龍君、二十一歳だから免許取らないの」

「取らないね、いらないから」

 青龍は答えた、東京都心で車の免許は不要といえば不要だ。小手毬はこの男の正体は龍で、その身を龍にすれば、世界中どころか天国も地獄も宇宙空間ですら、飛んで行けることを知らない。

 タクシーは六本木通り沿いの、輸入家具店に止まった。店内は小手毬の好きな猫脚の白い家具が並んでいた。値札見てびっくり、小ぶりのチェスト一つで五十万円。「ガリーでクールにしたい」と言ったのでこの店にしたのか、見ていて楽しいけれど。金額が一桁いやその何倍も高くて、買えない。店員に付きまとわれる前に、退散するに越したことはない。

 小声で、予算オーバーになると言ったところ、「じゃ、買ってあげる」と返されて、慌てて青龍を店の外に引っ張り出した。休み明けの月曜日に、家の辺りにうじゃうじゃ住んでいるクラスメイトに聞けば良かったと、後悔したのだった。

 六本木に来たのが小手毬は初めてで、大学生の青龍は遊びに来るのかなと思ったのであった。店の斜め前にアークスヒルズがあり、青龍がそこでお昼を食べようと提案した。日曜日のアークスヒルズは空いていて、高級そうなレストランに入られそうな様子だったが、二階のサントリーホール前のカラヤン広場のベーカリーカフェにする。表の席を確保して、食事は想定外だったので青龍に奢ってもらう。ちゃっかりデニシュパン他に、コーヒーとケーキも頂いた。

 小手毬は、予算十万円で、机と本棚と大きくないチェストとカーテンがいるので、安売りのニトリかイケアに行きたいと、きちんと話した。食事をしながらスマホで検索した。イケアは立川か船橋にしかなく、近場のニトリと思ったが、ふと思い付き青山のフランフランにする。場所が不案内なので青龍に移動方法を聞くと、タクシーとのこと。

 食事をしながら青龍に聞くと、あの店の高級家具をプレゼントしてもよかったそうだ。幼馴染といえ、祈祷代をお賽銭で支払うのも、大歓待だが、恋人でもないのに高級家具をくれるなど、可笑しいと抗議した。

 大学生と高校生が、六本木のお洒落な店で食事をしている段階で、デートになっているのか。青龍が和服なのは、子供の時から神職をしていて、着物が習い性になって、大学に通うとき以外、着物で通しているからなどだそう。羽織姿に合わせてワンピースを着ているところで、尚更デートにしか見えない。

「龍神社はね、全国の龍をお祀りしている、神社仏閣のお賽銭の何割か、入ってくることになっているんだ。だから気にしないで」

と腑抜けたことを言いやがった。これが事実と知ったのは、辰麿と結婚して奴の正体が地球に五柱しかいない龍だと知ってからだ。

青山では家具屋を何軒か冷やかしてから、フランフランで家具とカーテンを買った。こういう時は辰麿と話が合う。波長が合うのか、幼馴染のせいなのか。モダンで乙女ぽいのが買えた。ニトリより高く数千円しか残らなかった。神宮前の交差点のスターバックスで、また辰麿に奢って貰い青山通りを渋谷方面にぶらぶら歩く、表参道駅から日比谷線に乗って帰るためだ。テークアウトのカフェフラペーチーノを辰麿と一緒に飲みながら辰麿に聞かれた。  

「小手毬ー、どうして僕のこと、龍君と呼ぶの」

 現世で日本人として生きる、青龍こと水神辰麿の正体を知っているのは、首相と官房長官と内閣官房の官僚の笠原だけである。最近は野守の差し金で、息子のアルバイト大学生、曼珠沙華こと寺田曼珠も加わったが奴は角こそ生えていないが、地獄の鬼である。龍の本能が、他に正体が龍と知り、嗅ぎ周る人間はいないと告げる。

 だが、小手毬は子供のときから青龍を「龍君」と呼ぶ。神社に遊びに来る多くの少女の中から、龍珠になる小手毬を見つけて、そう時間が経ってない時から、「龍君」と呼ばれるようになった。釣られて何人かの子供からそう呼ばれたが定着しなかった。いったい何があって小手毬は自分のことを「龍君」と呼ぶのだろうか。愛らしくて幽世に連れて行ったことはあるが、龍の身体は見せたことはない。

「龍君っていうのは、龍神神社の宮司さんの略なの。ところで今日はデートのつもりなの」

  青龍はほっとした。自分の正体が、不用意に人間に知られると、自分にも龍珠でもある小手毬にも危険が及ぶ場合がある。そうなれば人類を滅ぼさなければならない。

「勿論、デートだよ」

 青龍は安心したので、素っ頓狂な笑い声で答えた。

「デート何んだ。龍君は彼じゃないから」

「ええー、小手毬は僕の…」

 小手毬とは作日再会したばかりだ。まさか龍体となって毎日見守っていたなんて、言えない。零から一歩ずつなのかと青龍は思った。他の男に取られるくらいなら、術をかけるさ。

 西東京から高校の割と近くな祖父の家に移って、小手毬の生活は変わった。今まで放課後は部活もやらず、授業が終わると直ぐ校門を出た、真直ぐ家に帰るか新宿の予備校に通っていて、同級生と放課後ライフを送るなんてしなかった。勉強一筋の生活から放課後に余裕が出来た。引っ越したことは直ぐクラス中に知れ渡った。特に男子の反応が強かった。その週のうちに仲良くしている女子と、放課後ファーストフード店でお喋りもした。

それから二日と開けずに、龍神社で辰麿に逢うようになった。小手毬が辰麿のことが好きでしているのか、龍の術が掛けられてしまったのか、定かではない。

 

珍しいことに御祈祷の依頼があった。辰麿は神主の養成所には来春大学の天文学科を卒業してから行く予定であるが、中学生の頃から水神辰麿の仮の保護者で、叔父設定となっている地方の神主から教わったという体で、神事を行ってきた。今日もさも一人前の顔をして、家内安全を祈願してきた氏子に祝詞を上げた。

 辰麿は、いつもと違い水色の雲立枠に龍丸の狩衣に、烏帽子を付けていた。祈祷後お札と授与品を氏子に渡して、お帰り頂いたところでへろへろになってしまった。座布団を片したとき、時計が四時過ぎていることに気が付いた。

「そろそろだ」

 と独り言をいうと、何処か人目に付かず落ち着ける場所はと本殿の中を見回し、祭壇の後ろに回った。古い木の扉に大きな海老錠が付いた扉を背にして座り込んだ。扉の向こうには、御神体と宝物を安置していることになっている。

 座り込んだ辰麿は目をつむり瞑想した。人間体の身体を地上におき、思念となって青龍の龍体は飛んだ。目を閉じると、瞬間に外の音が聞こえなくなり、夕刻で気温が下がった外気を感じなくなる。感覚が龍神社の社殿から昇る龍と同期した。ほぼ毎日龍として日本上空を飛ぶ青龍は自ら龍となって飛ぶ日も、思念で飛ぶ日もあった。感覚はほぼ同じだ。龍神社を一瞬だけ下に感じると眼下に東京が見え、日本列島が見えた。最近青龍は天に上がると、東に向かい太平洋をアメリカ西海岸まで行ってみることが多い。人が住んでいるところが青龍は気になるので、ハワイとかタヒチを回る。もっと南のフィリピンやインドネシアは紅龍のテリトリーだ。

 上空に黄龍がいる気配がして、直ぐに上昇した。人類が地上に現れる前から龍だけが使う、中国語に似た古語で話す。

「黄龍、ごきげんよう」

 声をかけると、鹿のように枝分かれした角を持つ雄龍の黄龍が答える。

「恋人が出来たんだって」

「たっはー」

「龍珠にするなんて、大胆なことをするね」

「運命だよ、黄龍。この子を見た瞬間、龍珠だと分かったんだ」

「おじさんには、分らん。恋人は恋人で、龍珠には出来ないよ」

「黄龍は恋人が沢山いるからか」

「白龍のように、悪い奴に喰われちまう心配の方を、俺はするな」

「あっこれから彼女が来るんだ」

「困ったもんだね、じゃ行くよ」

 青龍は黄龍と別れると東京上空に戻った。いつも最後は、小手毬を探す。龍珠の探査能力は絶大だ。青龍十二歳小手毬が七歳で別れてから、小手毬のことをずーと見守って来た。今どきストーカーだなんて言われそうだが、龍珠とはそういうものだ。

 青龍は『小手毬』と心の中で唱えると、小手毬を本能で探索した。龍神社の境内だった、今日は予備校がない日だと思い出す間もなく、あっ近いという感覚がした。

「龍君、何でこんなところに坐っているの、御神体じゃないんだから、皆に拝まれちゃうよ」

 目の前に学校帰りの制服姿の小手毬の顔があった。向かい合って坐っている。

「ぼーとしないで、起きて起きて」

「急に疲れちゃったんだ。御神体。大丈夫だよ」  

 龍神社の御神体は辰麿=青龍で、辰麿は神主であり御神体だった。さらに日本で龍を祀っている神社仏閣からは、お賽銭の何割かが天照大神の運命管理センター経由でから送金されてくる、水神辰麿こそ日本の龍そのものだった。

「龍君は時々ぼーとしてるね。阿保ぽく見えるので注意した方がいいよ」

「小手毬、僕だって色々と頑張っているんだ」

「どこが」

 きょうも辰麿に突っ込む、小手毬であった。小手毬は夏休みになってからも、ほぼ毎日辰麿に逢っている。暑い昼間に社務所のクーラーのかかった座敷で辰麿と話し込んだり、週に何回かお茶の水の予備校に補講に出かけるが、その帰り何故か家の前を通り過ぎ龍神社に行って涼しくなった境内で辰麿に逢っていた。

「何か音楽とか、楽器がやりたいんだけど、何がいいのかな。」

「高校のクラブに入れば、吹奏楽部なら小手毬の高校にもあるんじゃない」

 小手毬は辰麿に相談した。未だ二年生なのに、受験勉強一色なのは残念だった。

「今更、吹奏楽部には入れないわ、それに興味があるのが、三味線とか和楽器なのよ、何処の先生がいいのかな、受験もあるのでクラブ活動じゃなくて、勉強の邪魔にならない、お稽古がいいな」

「雅楽はどお、神主の伝手で宮内庁の雅楽師さんを紹介できるかも」

「雅楽、それオーケストラみたいで、色々楽器にチャレンジ出来そう。お琴も太鼓もやりたい」

「雅楽が出来ると、女性だと十二単衣を着て五節の舞が出来るようなるんだ。いつかうちの神社に奉納して欲しいな」

「へえー踊りも教えてくれるんだ。十二単衣なんてお姫様にもなれるのね」

 青龍は狙った方に、小手毬を誘導したのだった。神主や僧侶に雅楽を個人教授する、元宮内庁の楽師を紹介した。八月に入ってから、小手毬は篳篥との稽古をはじめた。楽器は神社に古いのがあったからと、辰麿から譲って貰えた。おじいさん先生だけれど、お稽古は一緒に稽古する小母様達と和気あいあいと楽しく。目白の住宅街にある稽古所に週一度通いはじめたのだった。

 八月のお盆明けの日曜日は、龍神社の祭礼だが、お祭りには行かず、一泊二日で別れた母の新しい家族と、伊豆の温泉に行った。家族といっても以前父と一緒に開発研究をしていた共同研究者だった。新しい男と三人だが、顔見知りといっても気まずい。二日目は別行動で史跡巡りをしたら、二人に案外と喜ばれ昼食前に合流した時に、多目のお小遣いを貰って別れて、電車で一人で帰って来た。間違っても母と旅行することは今後無い気がした。別れの温泉旅行だったのだろう。

 小手毬の夏休みは、予備校と、雅楽の稽古と龍神社に入り浸ることで終わった。 

 夏休み明け、学校に行くと、何処からか神社の神主と付き合っているという噂が、回っていたが、小手毬は気にしない。奴は幼馴染で、大学生をしながら神主という、目立ちやすい恰好をしているだけだ。彼氏でない理由は百でも言える。クラスの男子からからかわれたら、即反論したくらいだ。

 受験のために通っていた新宿の予備校の本校がお茶の水にあったので、夏休みからお茶の水校に変えた。お茶の水の予備校に行くと、高校で顔見知りの生徒たちが随分いる。目的は同じ大学受験の所為もあって、学校でだらしなく制服を着ている男子生徒が、ここでは精悍に見えた。それに比べると大学に入学して、ぽやんと暮らしている辰麿の阿保面なことよ。

 予備校で同じクラスの男子岡野君と仲良くなった。高校のクラスも理系進学コースだったので、ここでも国立の理系のクラスに入った。その男子とは地下鉄の新御茶ノ水駅駅から帰りも同じで、車内で話が弾んだ。その上学園祭のクラスの模擬店でもっと親密になり、映画を観に行く約束も取り付けた。

 辰麿と違って身長百八十センチの、細面の美形で女子の人気があるので、クラスメートを出し抜いて小躍りした程だった。

 十二月の初め、予備校での夜の授業中、急に大雨が降りだした。その日の天気予報では雨の予想はなかった。気温も寒くなってきてダウンジャケットを持参して正解だと思う初冬だ。講義が終わり、岡野君と並んで予備校のビルを出ようとしたとき、身長の低い男が、自分を待っているのを見つけた。

 デニムパンツに、格子柄のシャツの上にグレーのよれよれのダウンのベストの辰麿が、黒い蝙蝠傘をさして番傘を手に持ち待っていたのだった。

 辰麿は身長が百六十六センチしかない。結婚してやってあげた後の、大学四年の健康診断で、辰麿の身長を抜いたときはこれをねたにしてからかったくらいだ。この時は知らなかったが、奴の正体は人類がまだ猿でもなかった頃に生まれた、龍だ。夏に再会して知ったが、抜刀術とか格闘技を習っていて、人間の体は身長は低いが筋肉質で肩幅もある。昭和な男の体型なのだ。

 鞄の中に折り畳みの傘があったら、無視して駅に行ったのだが、いつも持っているはずの折りたたみ傘が鞄の中に無かった。一昨日の雨のせいだ。水煙を上げて激しく降る雨で、周囲ではため息と、覚悟を決めお茶の水駅へ走る生徒と、スマホで家族に迎えを頼む生徒と交々だ。辰麿と目が合った、にやりと笑いながら、岡野君と小手毬の前に立った。

「小手毬、迎えに来たよ」

 辰麿が舌足らずな声で、自分の名を呼ぶ。
「どうしてここにいるの」

「急に雨が降ってきて、困っているんじゃないかと思って、ほら僕、飯田橋の大学に通っているから、大学の帰りだよ」

 と言った奴の手には、龍神社と書かれた番傘があった。大学帰りらしく手持ちのトートバックの中にノートパソコンと、分厚い専門書が入っているのが見える。変と言えば変だが、神主で大学生だから変ではないとも言える。

「誰なんですか、宮前さん」

 岡野君の質問に、近所に住んでいる幼馴染と答える前に、辰麿から 

「僕と小手毬は付き合っています。結婚も考えている仲です」

 小手毬の「ちょっと待って、龍君」という声は雨にかき消された。

「大学生ともなると、結婚も視野に入るのですか、大人ですね」

 岡野君には感心された。三人で新御茶ノ水駅から地下鉄に乗り、岡野と辰麿は大学の理系学部について話していた。岡野君は工学部志望だが、基礎学問への興味もあり迷っているようだった。先に小手毬達は降りたが、岡野君に辰麿の黒い蝙蝠傘を貸した。

 番傘で相合傘となって家まで送ってもらう。辰麿に、    

「さっきは御免。でも結婚のことは考えているんだ。強制はしない、小手毬は自由だ。でも僕は神主だから、将来結婚しなければならないんだ。正直今だったら、小手毬と結婚したい」

 そう謝られても、岡野君とはこれでお終いなんだということの方が、小手毬にはずしんと来た。土砂降りの中迎えに来てもらったのには感謝するが、明日から学校で、神主と婚約したという噂が立つのであろう。

 あと年末年始にお守り売り場の巫女のアルバイトも頼まれた。受験勉強の気晴らしにもなるし、母に逢うことも回避できるので、受けたのだった。後で小手毬はどうかしていたと悔やんだ。

 年明け上級生の受験に纏わる交々話を横目で聞きながら、期末試験と来年の自分達の受験勉強に邁進した。そんな中週に一度の雅楽の稽古は、気分転換にもなった。稽古場に集う中高年の婦人方や、時々一緒になる女子音大生と話すのは楽しかった。大学生活を色々妄想できて、辰麿以外のボーイフレンドは絶対に欲しい。

 四月になり、高校三年生に上がった。学校で辰麿と婚約している噂が出ても、一蹴しているが、学校が休みの日は必ず、平日は夜遅くまで予備校がない日は放課後、龍神社に行って辰麿と逢っている。兄弟の居ない自分には辰麿と話すと安心するのだ。だが龍神社の近所には高校の同級生が多く住んでいて、同じクラスで一番話の合う男子馬場君の家は、数少ない龍神社の氏子だった。後に結婚式で世話役をしてくれて、人間の区役所に婚姻届けを提出する大役をしてくれた。

 大学の天文学科を卒業した辰麿は予定通り、神主の養成所に入った。

 龍神社は明治元年に寺から、諸々面倒臭いので神社になった。前身の寺はここにあった旗本屋敷にあった、プライベートな持仏堂だった。表には決して出せない面倒なことで、青龍の保護者が徳川政権から明治政府の宮内庁に変わって、神社に建て替えさせられたのだった。神社になったところで、地域の鎮守になるわけでもなく、元あった武家屋敷内の龍眼寺という小さなお堂が廃仏毀釈で神社になったので、プライベート神社の体で、政府の管理外の神社となり、今もって神社本庁に属していない。水神辰麿は神主の叔父に教わっているということで、神主の仕事を人間体が中学生の時からしていた。養成所に行くのは現世で生活するためのアリバイみたいなものだった。

 青龍こと辰麿の元に、内閣官房の笠原と人間に化けた鬼、野守の息子の寺田曼珠が逢いに来た。こいつは女神とのハイブリッドで角は生えていない鬼だ。社務所の座敷で、定期的な面談だった。お守り売り場の後ろの土間に続く、十畳程の広い畳敷きの和室に通す。部屋の中央にある、やたらと彫刻の多い座卓を挟んで話す。二人は恐れ多くも神獣様の煎れた茶を頂いた。スーパーで買った安い煎茶である。

 青龍が

「教授に誘われたので、ハワイの天文台見学に行くから、パスポート頂戴」

「水神様、パスポートはマイナンバーカードがありますので、パスポートセンターで普通に手続きをとって大丈夫です。龍なのでご自分で飛べばよろしいでしょう」

「そんなことしたら、教授が驚くんで飛行機に乗って行くよ」  

「水神様の花嫁、宮前様はお元気ですか。薬学部へ進学とのことで、先日の模擬試験では国立大学を希望されていました。どうされますか」

 相変わらずこの笠原というノンキャリアの官僚は不愉快な、品がないというのか。僕の担当になることは、特別待遇を受けられるって、分っているのかな。小手毬に何かしたら、野守さんに言って、地獄行きにするよ。

「代々木の予備校の模試のこと、先週だよね、相変わらずよく調べて来るんだ。小手毬が何処の大学に行くかは自由なんだ」

 この二人と入れ違いに、小手毬が社務所に遊びに来た。出ていく笠原の姿を見て何処かで遭った気がした。

「龍君、また遊びに来ちゃった。夏休みは補講ばっかりになりそう」

 神獣様自ら、煎茶を煎れて差し上げる。彼女は生贄なので、茶葉を変え丁寧に煎れる。

「あら美味しい。龍君がお茶を煎れてくれるなんて珍しい。」   

「小手毬、薬学部に落ちたらお嫁さんにしてあげる」

「ありがとう龍君。ちょっと大学に落ちたらどうなるのかなと思って、少し凹んでいたの、

 ちゃんと勉強して、国立の薬学部に入るわ。今晩も勉強を頑張ろっと」

「ちゃんと付き合おうよ、小手毬」

 辰麿の結婚という言葉を、ぶった切って小手毬が反論する。

「何で私が辰麿の嫁にならんといけないの。もう神社に来ないから」

 小手毬にとって辰麿は、心やすい幼馴染だ、付き合うとか恋愛、ましてや結婚を考える男ではない。小さな神社の冴えない神主なのだ。薬学部に入学して、イケメンの彼氏と付き合うのだ。十八歳でそこそこの美人の私なら、いける。

「撤回するから、また神社に遊びに来てよね」

「また来て上げるから、絶対にこういうことは、言わないようにしてね」

 辰麿は時々、自分の事を恋人婚約者と人前で言う、子供の時ならいざ知らず、高校生ともなると冗談ではない。あと数年で結婚適齢期だ、事実でもないのに、止めてくれと小手毬は思った。こういうやり取りは、何十回もしたが、結局水神辰麿の妻になってしまうのだった。

 昼下がりの日比谷公園、寺田曼珠は父の野守と待ち合わせをしている。明るい春の日差しが花壇の花々を鮮やかに照らす。天国の花園と同じくらい鮮やかなチューリップだな、この時期だけだけど天国そっくりだ、お母さんはこういうの好きだよなと、曼珠沙華は思った。

 寺田曼珠こと曼珠沙華は現在、十六歳の地獄の高校生でありながら、東大法学部とダブルスクールをして、さらに内閣官房のアルバイトをしている。傍目にはスーツを着ているのか若い官僚にしか見えなかった。

 木々の茂る森のような場所は、冥界=あの世に通じ、特に地獄と通じている。現世に来る時には、龍神社の裏の竹林のような幽世を通る妖怪も多いが、現世で亡者の捕獲や、十王庁での裁判の調査のため現世に頻繁に行く鬼は、人目につかぬ深い木陰を利用していた。

 人間とすると長身な体に黒い着物、何処の織なのか矢鱈と光る黒い羽織を纏った野守が現れた。羽織紐はごつく瑕のついた翡翠の管玉を数個連ねたもので、現世では見かけない。野守は細面の女顏で一見細身に見えるが騙される、近くで見ると、大柄で筋肉質だ。獄卒として亡者を責めることは無くなったが、拷問の腕は地獄一と囁かれている。顏は不老不死故に若くも見えるし壮年にも見え、立ち姿が何処か冷たい艶のある男だ。鬼も龍程ではないが術が使える、不審がられないように、術で額の一本角と指の鉤爪を隠していた。

 欠伸をするサラリーマンがいるベンチの隣で、曼珠沙華に風呂敷包みを渡しながら、

「これお母さんから、野菜の地獄煮と脳吸鶏の唐揚げ」

「土曜日になったら直ぐ帰るのに」

「お母さんは心配しているんだよ」

 親が一人暮らしを心配するのは、人間も鬼も同ようだ。

「例のお嬢さんの様子はどうだ」

「宮前小手毬のこと、あの子頑張り屋さんだ。受験勉強で予備校に通ってる。この間の代々木の予備校の模試で、国立の薬学部の合格ラインを超えていたよ。これ極秘に情報を出させたやつでさ。高校もきちんと通っているし、目白の雅楽師さんの元にも週一で稽古している。真面目でメンタルが強いそうな子だ」

「男関係はどうだ」

「高校の男子に人気がある。さっぱりした性格で、少々男前でそこそこ美人何で、狙っている男子は多いと思う。

 可哀そうに悉く青龍に邪魔されているのになー。当人は龍神社にほぼ毎日青龍に逢いに行っているが、青龍に口説かれても抵抗している。本心は青龍とは付き合いたくないようだよ」

「ほほう、それは面白い。術に掛けられてるとも知らずに、お嬢さんも大変だ。八千年前奴は身体を子供に戻す前は、人間でいうところの二十代の、イケメンでヤリチンだったのだ。美青年といわれ女が山のように寄って来て、やりたい放題だったのだ。再度大人になったら今度は大した容姿ではなくなっていたとは、面白いものだ。奴のセルフイメージが昔と変わらないのは、滑稽だな」 

「口説いても口説いても、振られる青龍はなかなかのものです。私なら諦めるなー。時間的には後二年あるので、如何にかする積り何でしょう」

「龍は秘密主義で何を考えているかは、口を割らないので分からん。龍珠と言われる配偶者の実態は皆目分からない。ただ個体数が少ないながら、その神の身体での生活を見ると、我々神・妖と差して変わりはないのだが」

 二人は総理大臣官邸に向かって、歩き出す。矢鱈と艶っぽい和服姿の野守を見て、道行く人が不審と感じないのは、術を掛けているからだ。 

「お父さん現世の大学、詰まらないよー。お父さんの作った地獄の高校の方が、レベルが高くて刺激的だよ。この間のグループ学習の叫喚地獄運営は、大変だったけれど実践が出来て良い授業だった。地獄省獄立の一般レベルの高校と比べると、人間の最高学府って、刺激的じゃないというか、学べるものがないよ」

 空恐ろしい話をしながら、親子は官邸近くで別れた。近くの公園の木陰より野守は地獄に戻って行った。

 学校が終わった夕方、いつものように小手毬が社務所にやって来た。座敷で寛ぎながら話し込む。

「龍君は昔は賢そうだったのに、今は馬鹿っぽいよ。特に私の名前を呼ぶとき、舌足らずで馬鹿に見えるよ」

「小手毬、どこが馬鹿っぽいの」

「それ」

「話ていることも幼い、本当に五つ年上なのかな」

 そのことについては辰麿は分っている。話せないことが多いのだ。龍は他人に説明したり理解されたりすることに、価値を置かない。龍は本能が多く占める神獣だ、同族の龍以外に共感されなくても、事を成せるからだ。

 昨年の卒論作成で、馬鹿っぽく見えるせいなのか、研究室で院生や助手に、内容が飛び過ぎていて纏められるかと、ぼこぼこにされていた。秋の卒論発表会で形になりそうだと解わかった時に、周囲の目が変わった。まあ中学も高校もそんな様なものだった。

 小手毬の彼氏になれないのも分る、小手毬は身長百八十センチ台の長身スレンダーが好き、辰麿の身長は百七十センチに達していない。今現在は並ぶと小手毬の方が身長は低いが、超えてしまうかも知れない。そういうときのための和装だ神主だ。流行りじゃないけど二枚歯の高下駄を履こう。顏もお公家さん顔で、男性アイドルでも野生的なのが好みの小手毬のお気に召さない。今の基準ではイケメンじゃないのも知っている。以前神の身体を大人にしていた時も今と同じ容姿だったが、瓜実顔が、高雅で美青年と云われていた。

 今でも青龍は美男子だと思っている。素直で劣等感がない、いい性格だと辰麿は感じている。

 制服姿で座敷に転がっている小手毬が、鞄から写真を取り出した。

「お稚児さんの行事って、今年もやるの」

「お稚児さんって。何んのこと」

「狐とかろくろ首とか馬に変身する、コスプレも祭りも龍神社でやってなかった」

「えー、うちの神社は八月のお祭りの他は、そんな行事はないよ」

 辰麿は小手毬が何を言っているのか分からなかった。取り出した写真には幼い辰麿と小手毬が、金襴の煌びやかな水干を纏い、ところどころ宝石が埋め込まれた瓔珞を長く垂らした金の冠をかぶった写真だった。

「これお祭りで、お稚児さんになったときの写真でしょう、私が引っ越しちゃう前くらいのときの」

 辰麿は写真を嘗め回すようにじっくり見てから、

「大事にしてくれてありがとう。僕と小手毬が婚約した時の写真だよ。この後僕の仲間たちと盛大な宴会をしたんだよ」

「婚約。何なのそれ」

 水神辰麿と婚約していること知り、小手毬は絶句した。何か特別な神社のお祭りだと思っていた、幼い思い出が実は婚約式だったという。

「私、覚えてないよ」

「いつも『お兄ちゃんのお嫁さんになりたい』って小手毬は言っていたじゃないか」

「えーそんなこと、あー言っていたかも。うちは両親が不仲で、不安な気持ちになって龍君のお嫁さんになりたいって言ったんだと思う。小さい子供のいうことを真に受けるなんて。第一お父さんお母さん保護者の許可は取っていたの。どうかしてるよ龍君」

「僕が十二歳、小手毬が七歳で、合意の上で婚約したんだよ。お引越しするんで別れたくないというので正式に婚約したんだ。君の気持を無視して無理矢理じゃないんだ。

 いいかい、僕のお嫁さんになることは特別なこと何だ」

 と言と辰麿は小手毬の手を取って目くらましをかけた。社務所の裏手に出たと小手毬が感じると、すぐ大きなお屋敷の大広間に連れて行かれた。

 畳を一枚一枚数えてもパッと数えきれない、おそらく百畳以上はありそうな大きな座敷だった、座敷にはこれは見たことがないくらい幅のある板敷きの縁側が付き、その庭に向けて開け放たれた開口部の先は、広い竹庭になっていた。縁側まで出て庭を見ると、生い茂る竹で昼なお暗い庭には、明かりのついた古風な行灯や石塔が所々見える。竹林には藁葺き屋根の田舎風の家や、洒落た武家屋敷と江戸時代風の家が散らぱって見えた、中には大正時代風の洋館もあった。

 室内に目を向けると、天井が格天井で。板に龍の絵が描かれている。この龍はよく古い絵で見る鹿の角をしてお爺さんのような皺々な顔ではなく、角は枝分かれしていない真っ直ぐな長い角で、顔には皺がない若い龍だった。欄間の彫刻も凝ったもので、高校生の小手毬でも、京都の有名寺院のような上品で高価な建材で造られた座敷だと分った。庭と反対側を向くと一段高い座敷がその上にあるようだったが、金襴の模様のついた布を貼り回した簾、神社にある御簾というものが下ろされて中が見えないようになっていた。古文の授業で習う平安文学で身分の高い人がいる場所のようだ。

「ここは何処なの」

「龍屋御殿といって、僕の住まい。結婚すると小手毬が住むお屋敷だよ」

 龍神社の裏手は崖の筈だった。どうしてこんな大名屋敷が建てられているのか、小手毬は混乱して理解できなかった。御簾の内側を覗こうとしたら辰麿に、

「この中はプライベート空間で、結婚したらこの奥の部屋に住むんだよ」

「悪い冗談でしょう、私、辰麿と結婚しないわ」

「駄目だよ小手毬ー」

 振り向いて竹庭をみると、小手毬は小走りに縁側の端まで行った。あれは何、もしかして、龍君と一緒に東京の街を眺めた東屋なの、背伸びをした。竹の庭の向こうの方に、瓦葺の古風な建物があった。日本の伝統工法で建てられた床の高い一階建ての建物だった。奇妙な建築で、神社の神楽殿のように高欄を回し、一四方に柱があるばかりで、扉も引き戸もなく舞台のように外から中が良く見える造りだった。神楽殿と違うのは三方から見えても、神楽殿には松羽目が描かれた壁が何処か一方につくのに、これには壁がなく四方から中が見える舞台の様な建物だった。

 はじめて見た建物のはずなのに、既視感があった。竹を揺らすさらさらとした音がする。竹藪の向こうに東京の街、スカイツリーも見えた。

「あそこに行ったことがある」

 小手毬はよく見ようとして、縁側で爪先立った。

「覚えていたんだね、小手毬は僕のことをお兄ちゃんと呼んで、慕っていたんだ。ある日愛おしくて愛おしくて、幽世に連れて来てしまった。

 君は竹の葉が風になびく音を、『なあに』と聞いたんだ」

「何か覚えている。ふわりという感じがして目を開けると、あそこで二人だけで坐っていて、崖の下の街を見ていたの、しんみりしたかなー。あの頃の龍君は頭も良くて頼りになるお兄ちゃんだった。今の辰麿は只の馬鹿だもの。

 この座敷も来たことがある気がしてきた」

「ここで婚約の宴を開いたんだよ」

 お姫さんと王子様になって、多くの氏子さん達に祝福されたのは、婚約したからだというのだ。あの綺麗な着物を着せられたことは鮮明に覚えている、飛び切り可愛いピンクの着物の上に赤い金襴の水干を纏った。その模様が三角の連続模様、鱗型に吉祥紋が織られた金襴だった。龍君は丸紋の少し大人びた青い水干だった。今でも鱗型模様が好きだ。頭には辰麿とお揃いの金冠を被った。お能で使われる金冠にもっと長い瓔珞を付けたもので、金冠には、龍君は青と緑の宝石が埋め込まれて、私のは赤とピンクと緑とレモン色だった。辰麿と御簾の前の席に坐ってお祝いしてもらっのだが、今思うと和風結婚式の披露宴みたいなことになっていた。

 婚約祝いの宴と辰麿に言われると、引っ越しで別れる前に、辰麿との絆を求めたのは、七歳の自分自身だった。あー納得、すとんと腑に落ちた。

 よく思い出すと、娘の祝いの席に、両親も祖父母も来ていない。小手毬は強烈な思い出だったが、そのことについて家族の話題に載ることもなかった。もしや辰麿が家族に内緒でやったことなのか。内の親も知らないことか。それと参加者は氏子さんと思っていたけれど、そもそも龍神社にはそんなに氏子がいるのか。

 龍君が氏子が少ないと話している、がしかし、思い出ではこの広い座敷一杯に客が来ていたのだ。

 男は紋付き袴が多かった、直衣に烏帽子姿もちらほらいた。女性は黒い江戸褄か振袖に、平安装束の唐織の打ち掛け姿。皆おはしょりをしないで、裾を引いていた。打ち掛けの奥女中のような女性には親切にしてもらい、お菓子ももらった。その人はのっぺらぼうだった。その他にもろくろっ首の女性に色々聞かれた気もした。日本髪を結った芸者さんかなと思った三人組の女性は、日本舞踊を踊っている最中に、狐に化けたのだった。

「龍君、見間違えかも知れないけれど、宴会に来ていた人が、妖怪に変身したのですけれど、誰なの」

「僕の眷属達」

「眷属って何に」

「眷属は僕が使役する。いや僕の家来で、楽しいことは一緒にするんだ」

「あそこにいた人たちは、妖怪だったの。龍君ももしや妖怪なの」

 自分でも何を言っているか分らなくなってしまったなと、思いながら辰麿に質問した。

「僕は龍だよ、名前は青龍、伝説の東の青い龍は僕の事だよ。神々と妖怪の世界では最も位が高い、神獣なんだ。

 小手毬は龍のお嫁さんになる運命なんだよ。それは君が望み、僕が決めたことだ、小手毬は僕の可愛い龍珠なんだ」

 小手毬の隣に立っていた水神辰麿は、一瞬にして青い龍に身を変えた。広い座敷一杯に器用にとぐろ巻いた龍は鱗が青い宝石の様だった。群青・瑠璃・藍・水色・藤紫・青紫・・あらゆる青系統の色が煌めく鱗に覆われた青龍に、小手毬は口から

「綺麗―」

と、言葉が自然に溢れ出た。それと同時にどう受け止めたらよいか 彼女は戸惑ったのだ。一体身体が何メートルあるか見当はつかないが、頭は4メートル位あり、口は丸呑みされそうに大きい。あの辰麿の正体である、絵画の中の皺皺な老人貌の龍とは大分印象が違う。瓜実顔で目が大きい。黒い瞳がフライパンぐらいある。人間の辰麿と同じように瞳を動かしていて、人間同様愛嬌がある。

本当に辰麿何だとそれで妙に納得もしながら、理系進学クラスにいて理系人間になる自分が、現実として受け止めていいのか、それより辰麿自身も理系大学にいるのに自身が妖怪であることに矛盾を感じないのか。現代人がそもそも人間に化ける龍を信じられるのか、人間の作りだした科学の英知すら超えた事象なのか、小手毬は理論的には絶対に信じられないが、妙に納得している自分にも驚いた。

「ジーと見詰めて、僕のこと好きなんだ」

「不思議なものを見ると観察するのが、人間でしょう」

 冷たく突き放してみた。辰麿は幼馴染できついことを少々言っても、関係は壊れない友人で兄のような存在だった。今の辰麿は小手毬の事を女として見ている。それは大迷惑だ。

 

 

 龍なのに選挙権持っています。前回の参院選は、区役所に期日前投票に行き、区役所ご自慢の展望台に上りました。



前話 第一話 僕結婚します
https://note.com/edomurasaki/n/n3156eec3308e

つづき 第三話 龍が動き出すとき神々も動き出す 
https://note.com/edomurasaki/n/ne68d5b0193b2

東京に住む龍 マガジン
https://note.com/edomurasaki/m/m093f79cabba5
  

一話 

鎌倉巡り 着物と歴史を少し
  江戸紫公子 運営サイト 鎌倉情報・美術館・着物などなど

画像1

作品の紹介

 青龍は日本に住んでいた。日本政府は龍のお世話係で、あの世の支配下にあった。人類は龍君のお嫁さんを可愛くするためだけに進化した。
 青龍は思った
『1億歳の誕生日に結婚しよう。そう20歳のあの子一緒になるんだ。』
 そんなはた迷惑な龍の物語である。

 龍は世界に五柱しかいなかった。そのうちの一柱である青龍こと水神辰麿は、人間の姿の時は東京都内の神社の神主で天文学部の大学生だった。青龍は最上位の神獣なので、日本国政府の内閣官房と、天照大神の重臣で地獄の最高権力者の美形鬼神の長官、野守に保護されていた。
 龍は秘密主義で自分たちのことは語らない、龍の研究者でもある野守により、地球存亡に関わっているのでないかまで、解明されて龍学会でも定説となっていた。野守は龍が生命の起源に関わるのではないかと仮説を立て、官僚職の激務の傍ら妻の胡蝶と共に研究していた。
 突然、青龍が一億歳の誕生日に、日本人女性と結婚したいと言い出したのだった。お相手の小手毬は地頭も成績も優秀で、気が強い女子高生だった。薬学部目指して猛勉強!恋の行方と小手毬のキャリアはどうなるのか。
 龍が動き出すとき、神々も動き出す。青龍に恋人が出来るのは、人類滅亡?地球存亡?
 超法規的我満龍、青龍君のおかげで、現世も、天国も、地獄も、大騒ぎ。神様もどたばたです。



 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?