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東京に住む龍 第八話 白龍②

 神社の裏手の竹藪に小手毬以外の人間が絶対に迷い込めない結界がしてあり、幽世《かくりよ》となっていた。そこに何百年も前から建っている大層な大名屋敷に、小手毬と辰麿は住んでいた。龍御殿の神社の反対側は広い座敷があり雨戸の開けたてや掃除に眷属の手を借りている。神社側の窓から現世の境内が見える部屋はプライベートな部屋が続く、生活に便利なように至って現代的な部屋になっていた、ダイニングキッチンなど、現世の日本人のそれと寸分違わなかった。

 和琴はヨーロッパの小貴族くらいのクオリティの、赤いダマスカスの壁にイタリア製の白い家具の置かれた、小手毬の自室へ辰麿と鈴木さんが運び入れてくれた。鈴木さんは、大きくて丈夫そうだからといって、ダンボールと、梱包材を持ち帰った。床の上に引き延べられた、結婚後知ったのだが想定価格の二桁高いペルシャ絨毯の上に、和琴を置くと、キッチンにおやつを食べに行った。

 キッチンで打掛の裾を引くのっぺらぼうの山吹さんに、森永のクッキーとインスタントコーヒーを用意してもらっていた。おやつを食べて、さっさと自室に戻ると和琴を弾き始めた。練習に熱が入る音を聞いた奥女中は、冷蔵庫とエコバックの中の小手毬が買ってきた食材を改め、夕食の支度をはじめたのだった。幽世から響く小手毬の和琴の音を、辰麿は社務所で聞きながら目を細めた。

 最近、専科内でもひと目置かれる程上達したのは、地道に毎日数時間、篳篥をはじめとする雅楽の楽器練習を義務付けてきた成果であった。

 雅楽は趣味以上のものではなかった。高校生の小手毬は辰麿にいつか五節の舞を奉納したいと語った。そのいつかは十年くらい先のことだった。人前で演奏できるのは何年も先で、雅楽は一生できる趣味でしかなかった。中学から国立の薬学部を目指したにもかかわらず、記念受験、ほんのお遊びで受けた東京藝大の雅楽専攻にしか受からなくて、入学後同じ専攻どころか邦楽科の学生の中にあって、演奏が学年最下位と言っていい程下手だった。薬学科への再受験も頭をよぎらなかったわけではなかった。一年の前期には一般企業への就職を考えて、英語とプログラミングの勉強をしようとしていた程だった。

 学内でプロの演奏家になろうと頑張る学生達と接するようになり、無理矢理辰麿と婚約させられた頃からだろうか、小手毬の中で練習量を上げたらどの位上達するか、やってやろうかとう気持ちが、むくむくと起き上がってきたのだった。帰宅後も時には朝も雅楽楽器の練習に費やすようになった。すでに大学の専攻の篳篥の他に、龍笛。笙の三管と楽琴は所有して練習するようになっている。いずれ楽琵琶も習得したいと考えていた。

 奥女中に呼ばれてダイニングキッチンに夕食を摂りに行く。辰磨がいつもと同じく先に豚カツを貪り食っている。龍のくせに栄養のバランスも考えてか、皿に山盛りの千切りキャベツを、ソースもマヨネーズも何も付けないで食べる。

「辰麿、和琴を買ってくれてありがとう」

「小手毬。どうして僕のこと龍君って呼んでくれないの」

 そう言われると、婚約以来奴のことを龍君と言っていない。奴のことは許してないのだ。

「今日の小手毬ご機嫌だね。やっぱりお琴を買って良かった」

「和琴も嬉しいけど、大学で篳篥の個人レッスンがあったの、教授に褒められちゃった。もしかしたら私、卒業演奏会に出られるかも」

「小手毬は僕のお嫁さんだから、才能あるもの、当然だね」

「折角のわくわくが減っちゃた。私がここまで来るには、大変だったんだよ。私は薬剤師になりたかったの、誰かさんのせいで藝大に行ってるんだから」

 達磨がきょとんとした。勝手に私の運命を変えて、何よ馬鹿龍。睨みつけてから小手毬は豚カツにレモンを絞ってソースをかけた。

 言葉を封じられているので、余計に態度で辰麿への不快感を示すようになっている。辰麿に明確に分からせる様に、時にはきつくしている。龍馬さんや露芝さんは、龍の子供を望んでいるので、不仲は見せられない。奴と二人だけの時に不機嫌さを爆発させるようにしている。

 だが奴は龍だ、人間とは思考回路が違うことが往々に多い。この後の流れは、自室に籠って練習をしていると、突然やって来て抱きつき、口吸いをする。そのまま寝所で営みになる。四年生で妊娠して、卒業演奏会が飛ぶかも知れない。それは避けたい。気力で十ヶ月の大腹でもステージに立ってやる。

 不老不死の妖怪には、いいこともあると最近知った。何千何万年、奴のような何億も生き、その間婚姻関係を続けている、神・妖が多い。自分たちは離婚自由何て言っているが、別れる気配のない夫婦の割合も高い。

 その理由は、体臭がないからだ、見かけが老人だろうがクリチャーのような醜悪であろうが、臭わないのだ。

 レッスン時に密着してくる、人間の中年の男性講師の体臭に辟易していたので、辰麿はその分好きだ。体臭が無いだけで、あの世は生きやすいとまで小手毬は思いはじめていた。
 

前話 第八話 白龍①
https://note.com/edomurasaki/n/nee03bd6f3272

つづき 第八話 白龍③

https://note.com/edomurasaki/n/nd9ac68f85282

東京に住む龍 マガジン
https://note.com/edomurasaki/m/m093f79cabba5

第一話 僕結婚します
https://note.com/edomurasaki/n/n3156eec3308e

この小説について

 青龍は現世日本の東京二十三区内に住んでいた。日本国政府は龍のお世話係で、あの世の支配下にあった。人類は龍君のお嫁さんを可愛くするためだけに進化したのだった。
 青龍は思った。
「一億歳の誕生日に結婚しよう。そう二十歳のあの子と一緒になるんだ」
 そんなはた迷惑な龍の物語である。

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2年前の冬に、数秒間で思いついたのがこの小説です。異世界トリップ物が世の中に沢山あります。異世界に行った切りより、行ったり来たりの方が面白いじゃない。天国と地獄と現世を行きたい放題ってどうかな。そして龍の龍珠はパートナーだったらどうか。で瞬間に設定とストーリーを思いつきました。

 高校生で文学全集を読破して、小説らしきものは若い頃には少し書きましたが、書くのが遅い、文体が重たい、文章を書くのは実は苦手。長く書くのはもっともっと苦手。でも折角思いついたお話ですから、きちんと世の中に送り出したいと書いております。


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