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江戸の教育文化とこれからのビジネス - 【識字率世界一:その12】


日本初の育児書『小児必用養育草』


日本最初の育児書とされる『小児必用養育草』は、1703年、香月牛山という人が48歳の時に著したもので、1714年に刊行されました。

牛山は、若い頃同郷の益軒に儒学を学び、後に医学を修めて筑前(福岡県)で開業、さらに京都に出て、貴人の病気を治して一躍有名になりました。

益軒についてはこちらの記事にまとめています。

牛山の兄、香月秀房の序文によれば、本書は人々の小児教育がおろそかなことを嘆いた牛山が、出産から10歳までの子どもの養育や養生の心得を、誰もが読める仮名書きで記したものでした。

全6巻からなり、各巻の内容は以下のようになっています。

第1巻:誕生から乳児養育までの心得や、出産直後の薬剤やへその緒の断ち方、産湯・湯浴み、乳つけ、乳母、小児衣類・産衣等について
第2巻は産髪・宮参り・髪置き、飲食・食い初め、小児諸病等
第3巻は小児諸病の説明
第4、5巻は和漢の痘瘡(天然痘)に関する諸説
第6巻は小児の遊戯や教誡について

というように、医者としての学識を踏まえつつ、幅広い内容を論じた著書になっています。

冒頭では「男性10人の病気を直すよりも女性1人の病気を治す方が難しい。しかし、女性10人の病気を治すよりも、子ども1人の病気を治すことはさらに難しい」と述べられており、一生の幸福が幼児期の養育で決まることを力説しました。

そして、上記のように子育てをめぐる諸知識や心得を、中国の医書に照らしながら以下のように詳述しています。

赤ん坊は、生まれてから約60日たつと瞳が定まり人の表情がわかるようになる。
この頃に赤ん坊が笑ったり何か話そうとしたら、乳母やそばにいる大人も話しかけるが良い。
そうすれば早く話すようになり、人見知りもせず、客忤(極度の人見知りでひきつけを起こす病気)にもかからない。

というように具体的かつ丁寧に説明がなされていますが、そこには中国の説を鵜呑みにするのではなく、実際に自分が試みて効果があったものを紹介し、俗説や民間医療の誤りを正すという態度が貫かれていました。


牛山の年代別教育法

そして牛山は、『小児必用養育草』の最終巻で5、6歳以後の年代別教育論を展開しており、特に10歳以降の教育について、次のように述べています。

・人の人たる所以は教育の有無による。子育ては「先入主」が重要で、幼時に見聞きしたことが一生の徳義となるから、良い師・良い友を選んで教えよ。
・手習いは、朝10回、昼30回、夜10回習う。手本一冊を15日と定めて、5日に一度清書をさせ、3度目は暗書(手本なしで書く)させよ。学習方法は手習師匠の流儀に従え。
・礼儀作法を習わせよ。小笠原家では8歳の時から「素礼百返(それいひゃっぺん)」と定めて毎日習わせる。諸礼に自然と慣れれば大人になってから人前でも落ち着いた立ち居振る舞いができるようになる。
・算用は10歳から習うべきである。昨今の生物知り武士などは「算用は商人の業で、武士たる者のすべきではない」というが、誤りだ。人の将たらん者は、算用を知らなければ軍旅(軍勢)を調えることもできず、天文・地理の学問にもすべて算用が不可欠である。士農工商ともに算用を知らずに、物事を成就することはできない。
・しかしながら、子どもの算盤が早く、人前で算用・金銀・利得・売買の事をいうのは見苦しい事であり、従って、算用をはじめ一切の芸能は「知りて知らぬ」というように芸を隠して、必用な時に取り出して使うべきである。

最後に「いかに傍若無人の振る舞いをなす『地下がかり(田舎びた)』子どもでも、よく教えれば善良になるのであり、子どもが善良でないのはすべて父母の教育の結果である」と結んでいます。

教育論

日本の教育文化

日米の比較から日本の教育文化を考察した『日本人のしつけと教育』という著書によれば、アメリカが『教え込み型』、すなわち教師と学習者の役割が明快で、言語を媒介として計画的、組織的に教授を行うのが良いとする教育方法論をとるのに対し、日本では『滲み込み型』すなわち模倣や環境のもつ教育作用を重視し、環境が整っていて良いモデル(模範)があれば、子どもは自然に学ぶという前提に立った教育方法論をとる傾向が強いとのことです。

江戸の教育は基本的に『滲み込み型』が前提にありました。例えば、屋敷奉公を経験した女師匠がもてはやされたのは、上流社会での経験が諸芸・諸礼への習熟、言葉づかいや振る舞いににじみ出る品性を想起させ、その好影響が期待されたからに違いありません。

このように『滲み込み型』教育は、師匠との共生を通じて物事を身につけ、それを生きる知恵や力にしていくポテンシャルを持っていました。親もまた、家業や家庭生活、地域との交流などあらゆる面で子どもの手本となりえたのだと思います。江戸時代は『滲み込み型』教育がうまく機能する条件が揃っていたと考えるのが自然でしょう。

現代では、親の職業を受け継ぐことは稀であり、働く親の姿を目にすることもほとんどありません。親子が共有する時間も乏しく、一方で世の中の変化はめざましく、子どもが直面する現実に親の理解が追いつかない場面が多々見られます。

学校教育のカリキュラムは欧米式である一方、教師の精神性は『滲み込み型』という矛盾もあるのかもしれません。もう一度現代の『教育論』に関し歴史的な変遷から前提を整理するタイミングを迎えているのかもしれませんね。


まとめ-ビジネスとして仕掛けようと思っていること

ここ数日、江戸の教育制度について纏めてきました。

そこで感じたもっとも重要なポイントはやはり『アウトプットをする人が多い』ということと『アウトプットの質が高い』ということでした。

7,000種類を越す往来物、5万校を越す寺子屋の数、これら『数の力』が子どもたちを育て、江戸の社会を世界有数の高い教育レベルに押し上げたのだと感じました。

このエッセンスを現代社会でなんとか形作れないかと考えた時に『往来物の動画化』をキーワードとしてビジネス化出来ないかと考えました。つまり、教科書の刷新と言い換えてもいいかもしれません。

分野やジャンルは問わず、その道の知見を持っている方にお声がけをし、薄い知識や個別化された知識ではなく、知識を体系化し一つの『道』として表現できるまで質を高め、それを動画講座としてアウトプットする取り組みをやっていきたいと思います。

また、その中では日本が『滲み込み型』の教育を得意とすることを忘れずに臨みたいと思っています。子どもの親世代に対し、子どもに滲み込ませるに値する知識を届けるのか、それとも滲み込ませる側、つまり江戸時代でいう手習師匠の選択肢を広く提供するサービスとするのか、これからの考慮項目ですが、形にしながら考えながら走っていきたいと思います。

アウトプットに批判的な現代の日本社会の中で進めていくには数多くの困難が予想されますが、沈みゆくこの国の教育レベルを幾分でも高める活動につながれば良いなと思います。

本日はこの辺で。

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