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「戦争は他人事」だった私が特攻隊の本を手にしたわけ

恥ずかしい話だが、私は戦争について教科書に載っているような知識しか持っていない。いや、知識とは言えない。私が知っているのは、大学受験“戦争”を突破するために詰め込んだ「用語」に過ぎない。誠に恥じるべき話だが、さらにいうと受験から15年以上経った今、あのとき詰め込んだ用語の半分も頭の中に残っていない。

戦争について詳しいことを知らない。その自覚ゆえか、毎年8月6日に「広島 原爆の日」と大きく印字された新聞の見出しが目に入ると、次の瞬間に何も知らない自分を後ろめたく思う。続く8月9日、15日にも紙面を一通り読み、きまって「もっと知っておかなくては」と焦り、自らを急かす。

その後、私は毎年の恒例行事のごとく紙面で紹介されている戦争に関する書籍のタイトルを何冊か頭に入れ、Amazonで検索する。しかしその後、購入ボタンを押さずにラップトップを閉じてしまう。どういうわけか、娯楽用の小説やエッセイ、新書なら、少しでも気になったもの、心に響きそうなものは金額も冊数も気にせず買ってしまうたちなのに。戦争の書籍となると一気に手が重くなるのだ。

この本でいいかな。こっちの本のほうが勉強になるか? 東京大空襲、いや広島、それとも沖縄について知らなくてはならないか……などとグルグル頭の中で考えていると時は過ぎていく。

そっとラップトップを閉じた後、しばらくは「購入すればよかった。今からでも」などと思うのだが…。蝉の声がだんだんと小さくなり、夏の終わりを感じるとともに「戦争を知らなくては」という考えは薄れていく。代わりに、日々生きていく上で直接的に関係あることだけに意識が向いていく。イヤイヤ期の息子にどう向き合うか、あ〜原稿の納期が迫っている、今年の収支どうかな、あっ、そんなことより今日の晩ご飯何にしようなど……日常の細々したことで頭の中は埋め尽くされる。

月日は進む。そして次の年の8月に、今年も何ひとつ戦争の知識を得ず、戦争について深く考えずに過ごした自分にうんざりする。どうしたものか。戦争に関する書籍を目の前にすると、かしこまり、直前で知ることを放棄するのである。

今年も気付けばもう4月。話はずれるが、本当なら今頃は夫の駐在する中国に私も息子も引っ越しているはずだった。コロナウイルスの影響で行けず、今は実家がある埼玉に居候中だ。26歳で埼玉を出てから「もう二度と住むことはあるまい」と思っていた片田舎に8年ぶりに住んでいる。都心に出るまで2時間以上もかかるこの地は、東京と違ってアクティビティが圧倒的に少ない、子どもの数も少ない。高齢者だけは多い。過疎化が進む「限界ニュータウン」だ。

毎晩コロナの報道を見ながら「こんな退屈なところに滞在し続けるしかなく、いつになったら中国に行けるのやら」と気分は沈みがち。しかしコロナウイルスの勢いは増すばかりだからしょうがない。どうやら今年の夏はここで過ごすことになりそうだ。

今年も自分にうんざりする夏が来るのか。いや、今年は自分を責めずに済みそうだ。退屈で面白くないと思っていたここで出会った「友人」が、戦争と私を繋げるきっかけを作ってくれたのだ。

その友人は、昭和5年生まれ、89歳のおばあちゃん。宮崎で長らく一人暮らしをしていたが、2年前に息子さんのいる埼玉に越してきたそうだ。「宮崎のおばあちゃん」と私が呼ぶのを息子が聞き間違えて「ムラサキのおばあちゃん」と呼ぶ。だから愛称はムラサキおばあちゃん。

私と息子は雨の日以外は欠かさず近所の公園に行く。過疎っている限界ニュータウンの公園には他の子どもはいない。やって来るのはムラサキおばあちゃんだけだ。

毎日顔を合わせれば挨拶をする。そのうち身の上話が始まる。自然と距離は近くなり、時々会えない日があると残念に思うほど。私とは55才差、息子とはなんと87才差の友人だ。目上の方を友人と呼ぶことに対して失礼と思われるかもしれないが、私は正真正銘の友人だと思ってる。毎日顔を会わせ、肩の力を抜いておしゃべりをし、会えなかった日には何だか寂しい。そういう人を友人と呼んで問題ないと思う。

ムラサキおばあちゃんから戦争の話が聞きたい。そう思うようになったが、唐突に戦争の話を切り出すのは憚られる。おばあちゃんが戦争の話を口にしたくないと思っているとしたら、おばあちゃんの心の中を無理にこじ開けることになる。それだけは避けたい。今日もおばあちゃんを前に「戦争のときは、どうされていたんですか」の一言を言葉にできない。「どうしよう」と考えあぐねていた矢先、幸いにも会話の流れでおばあちゃんが戦争の話をしてくれた。

おばあちゃんの故郷は鹿児島だったらしい。鹿児島は特攻隊の基地があったのでアメリカの標的となり、地方都市にもかかわらず何度も空襲を受けたという。大きな空襲が町を襲った夜、たった15歳の少女だったおばあちゃんは家族や近所の人たちと裏山へ逃げて一夜を過ごした。その空襲で家が焼け落ち、家族全員で宮崎に越してから、故郷に戻ったことは一度もないそうだ。

15歳か。私が15歳の頃は、衣食住なに1つ不自由なく過ごし、部活と勉強を頑張れば褒めてもらえた。普通に生活し、普通に友達とつるみ笑い合い、普通に恋をしていた。15歳だった頃のおばあちゃんと私を比べてみると、あらためて平和ボケしきった自分が浮き彫りになる。

戦争について、もっと知りたい。報道に急かされる形ではなく、生まれて初めて自分の中から純粋に欲が湧いてきた。特攻隊の基地が鹿児島にあったことすら私は知らなかった。まずは、特攻隊について知ろうとAmazonの購入ボタンをようやく押した。『今日われ生きてあり:知覧特別攻撃隊員たちの軌跡』(新潮文庫)という本だ。

この本は、私が普段読むような軽いエッセイや小説とは違い、一話一話が重すぎて思うようにページが進まない。

結婚式間近に特攻隊として旅立った隊員の遺書

桜吹雪と体当たりする自分を重ね合わせた歌を両親に遺して旅立った17歳の少年の話

胸がしめつけられながら重いページをめくっているところだ。一方で、読みながら他の欲も湧いてくる。本書にはアメリカ軍の被害については書かれていないが、そちらの一面も知りたいし、本書で少し触れられているニューギニアの戦いについても詳しく知りたい。そして、特攻隊が体当たりした先に広がる沖縄の地で繰り広げられた戦いのことも。

----------------------------------------------------------過去と現在は1本の線で繋がっているはずなのに。本来なら昔起こった戦争と現在の生活も地続きになっているはずなのに。これまでの人生で私は戦争とのつながりを自ら作ってこなかった。この春、ムラサキおばあちゃんのおかげで戦争と自分との接点が少し見えてきた気がする。

ありがとう、ムラサキおばあちゃん。





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