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コーヒーが私と繋いでいるもの

「スターバックスってすごい教育されてるんだよね」
「何が?」
「だって、働いてるひとみんな優しいじゃん」

働き始めた頃こんなことをよく言われるようになったのだけれど、正直そんなことは知らなかった。ただ、何となくすれてなくて治安の良さそうな職場だなとは思っていて、正直なところサービスは普通レベルだ。
ただ、働いている側の「普通」のレベル感が異常に高いのかもしれない。
だから、教育は「普通」なのだ。

常連さまのことは誰もが覚えているし、どのポジションにいても手を振ったり会釈をしたりする。そんなことは当たり前で、その前にいらっしゃった時に交わした会話も、注文されたドリンクも当然覚えている。



私が仲のよかった通称「しゃちょう」はおそらくどこぞの社長さまで、数十分車を走らせてやって来て、そして時々お土産をくれる。
いつも難しい顔をしていたので若いパートナー(従業員)たちは怯えていたのだけれど、私たちベテラン勢は時に一緒に席に付くこともあって、この空気感がとても好きだった。

「しゃちょう」がどこの誰だろうがどうでもよかった。
いつもダブルのスーツを着て、胸ポケットには臙脂のチーフを飾り、いつもクラッチバッグを脇に抱えてやってくる。
「ん」と言いながらスターバックスカードを差し出しては若い子たちを困らせてはいたけれど、「本日のコーヒー」を待ちながら難しい顔をして、喋りかけられるのを実は待っている。

そんな「しゃちょう」がみんな好きだった。
彼がどんなに偉い人であろうとも、コーヒーと私たちを好きなことに変わりはなくて、繋いでいるものはそれだけで十分だった。


パートナーはみんなそうだ。名前も知らない、そんな相手と言葉を交わし、時には誰にも話せないような話をしたりする関係に胸を震わせ、誰かの支えになっているかもしれないことを誇りに思って働いている。
仲良くなれそうもないなと思った方とコーヒーで繋がることの出来る瞬間は、何とも言えない感動を連れてくるのだからやめられない。

コーヒーが好きなのは当たり前なのだけれど、ただ、誰かと繋がるということがそれ以上に愛おしくてたまらない。

そしてそんな話に目を潤ませてしまうほど、人との繋がりを尊いと感じているみんなが、この世にも優しい文化を作っていくのだ。


私が辞める前、しばらく「しゃちょう」とは会うことが出来ずお別れを伝えられず仕舞いだったのだけれど、時々思い出すことがある。
彼はきっと今もコーヒーを毎日飲んでいるのだろう。

難しい顔をしながら実はちょっと寂しがり屋な胸の内を、誰かに話せていることを信じている。

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