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The Summer Solstice 〜島からの便り〜

自然遺産に登録されて以来、メディアで目にする機会が確実に多くなった、沖縄と奄美の島々。
大空へ枝葉を伸ばすヒカゲヘゴの、おどろおどろしい鱗のような樹皮、ひたむきな母性が胸を打つアマミノクロウサギ、美しいイシカワガエル、危なっかしいほどのんびり屋のヤマシギ……

マリンシューズに木綿のTシャツでレンタカーのハンドルを代わるがわる握り、「さっきの角を曲がるんだったのにー」などと時に諍いながら、通りかかったビーチの碧に吸い込まれるように車を停め、「あっち向いてて!」と大急ぎで水着に着替え海へ駆け出した日を思い出す。

二人力を合わせて漕がないとたどり着けないビーチ

アスファルトに寝転んで見上げた、手を伸ばせば届きそうな満天の星空も(注:これはハブのいない島で、です)
カヤックのひどい筋肉痛と日焼けのせいで無言で焼いたバーベキューと冷えたビールのおいしさも
たくさんのヤドカリと友だちになって得意になったことも
燃えるような夕焼けも
何と愛おしい日々だったことだろう。

太陽を乞うように夏至の日に旅立った伴侶の存在は、二年というまるで信じられない歳月を経て、忘却の彼方へと運ばれてゆくどころかそこかしこの近くに感じられる。
雲を抜けてやわらかに届くモーヴの光に彼の気配を懐かしむ。出会った身近な生きもののこと、美しかった景色のこと、心打たれた本や映画、けんの様子を、語りかけない日はない。
底知れぬ寂しさも悔やみきれない気持ちも、そこから自由になりたいとは思えない。それらはいつの間にか、生きてゆく私という人間の一部となって、あるいは血液のように内部を流れているような気がする。

そして今、再び巡り来た紫陽花の季節の匂いに包まれ思うことは
彼を喪った悲しみの果てしなさや絶望に打ちのめされても、それでもなお
この世界の数多ある生命の中で、あの日曜日偶々 Macの Performaを開いていたお互いが出会い
泣いて笑って、よく失敗もしながら同じ年月を重ねた。
僕たちはいい時代を生きたねと迷いなく語り合い、美しいものごとにともにたたずみ心動かされ、戯れ合っては笑い合った。
そのことの奇跡には、幸いには勝らないのだと。

金髪先生時代

ねこたちをおでこから首回り、背中と順にブラッシングした仕上げにはいつも、(平九郎と剣之助はすれ違いの兄弟でしたけれど)
「エプロン」と声をかけながら胸元を優しく梳いてあげていた。
原も居合わせた時には一緒になって、「仕上げはエプロン」、「おりこうさん!」と褒めてあげた。
毎朝、背中を梳いてから仕上げに入り、「おりこうだね。けんはえらいねって、大さん見ているよ?」と話しかけるとまっすぐに写真の大さんを見つめる剣之助も
小さなお胸にあれからどれほどの思いを抱えてきたのだろうか。

ぼく上手にできるようになったよ!

テレビの画面にふと目をやると、西表島で洞窟を探検するけったいな人(失礼)がいた。
島の南部と紹介された、背の高い茂みを分け入った先に現れたのは、どこまでも続く砂浜と真っ青な海。

見覚えがある。踏みしめた砂の感触がよみがえる。

がんの治療をひと通り辛うじて終えた原が、まだひょろひょろのフラフラだった夏。初めてやって来た西表。

妻よりずっと軽かった

見渡す限り自分たちしかいない、天国のようなパノラマにしばし無言で立ちつくした後で
原はおもむろに砂を掘り始め、首から下を埋めてほしいとせがんだ。西表の海の、大地のエネルギーをもらうんだ、と。それは気持ちよさそうに汗をかいた。

いつかきっと南の島で暮らそうと夢見ていた。
だから、貼りつくような潮の香りを、圧倒的な大自然の息吹を、私だけが味わうこと…… 海遊びも、何なら伊豆よりも西へ自分だけで向かうことさえあれからは辛すぎて怖い。
けれど、今ではあなたは自由な翼を得て、お水をグビグビ飲みながら大好きな海や森を夢中で巡っているのかも知れないね。そうだといいなと思う。

一服しては、生きものの観察にまた夢中になった

こよなく愛した島の生きものたち、豊かな文化や風土の記述はいくつかの書きものに残されていて、続きを書いているのかなと想像している。

早起きして見せていただいた、龍郷のショチョガマ
厳かな平瀬マンカイ

さもないことごとから日々思い出される幸せな記憶ばかりを書き留めたノートは、いつしか2冊めになった。

栞の代わりに挟んであるのは、一緒に暮らし始めてすぐの夏、フランスに行った彼がディジョンからくれた絵葉書。
ずいぶんと時が経ってから、文箱の隅にひょっこりと顔を出したものだった。
どんなに悲しい日も、冒頭のくせのある懐かしい字を見るとホッとして笑みがこぼれる。

”ちかへ
元気ですか?こっちは元気でやっていますので心配しないで下さい” と。

……と、月半ばからここまで少しずつ書きためていたある日。
俄かに信じがたいできごとがあった。

私が自然番組の仕事で長年お世話になっている上司のOさん。
今月初めに仕事で奄美に行った際の書類の整理をしていたところ
行きの便の搭乗控えがなぜか2枚出てきて(自分の分以外あるはずがない)その余分の1枚の名前にギョッとしたと、コーフンして電話をくれた。

No way!

「えーっ!どうして???」
「いやいや。私がききたいよ!」
生前には一緒に楽しいお酒を飲んだり、原もお世話になった人だ。

「これ、行きの分しかないから、まだ向こうにいるのかも?」とOさんは笑う。

あまりのことに、去年の5月、へなちょこだった私とけんの奄美行きにつき合ってくれた親友にもすぐに連絡した。

「帰って来てないのかな?来週法事なのに」
と思いつくままを口にした私に
「また正論言うと機嫌損ねるよ(笑)」

……そうだね。
大好きな島を駆け回っているといいなぁって、ずっと切なく思っていたから
「こっちは元気でやっています」って教えてくれたに違いないもの。
大きな大きな、優しい生命の環に合流して。


夏至の朝に

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