grace mill

Just another cat lover. 書肆水月と申します。

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I Drive My Car

 年老いた父を郷里に訪ねた帰り道。旅の相棒、ねこ息子のためのちゅーる休憩を含め、およそ4時間半の道のりを走った。途中、車窓を過ぎてゆく田畑のほとりに、そして橋を渡る度目の前に広がるいくつもの川堤に、満開の桜と揺れる菜の花が春の訪れを告げている。  『ドライブ・マイ・カー』を観た後で、ハンドルを握る思いは、前日とは違っていた。  夫を昨年の夏、突然に亡くした。  私たちは旅を愛し、多忙な日常を束の間離れた車内での、何気ない語らいを愛した。  数年前に東京を出て、田舎の、普

    • みちのく一人旅 part 2 〜常磐線舞台芸術祭 2023 夏〜

      人の温かさ、文化の香り、豊かな緑にふれ、東北はやっぱりいいなぁと心満たされた気仙沼、仙台の旅。 それから一月後、私にはもう一つとっておきの予定がありました。 小社刊行の『ラプサンスーチョンと島とねこ』にすてきな詩をお寄せ下さった管啓次郎さんは、東日本大震災の翌年からこれまで、宮沢賢治の不朽の名作『銀河鉄道の夜』を小説家の古川日出男さんが朗読劇として書き下ろしたお芝居を、東北を中心とする各地でお仲間とともに上演してこられました。 公演ごとに新たなオリジナル脚本を生み出す古

      • みちのく一人旅 〜仙台 2023 夏〜

        ゆっくりと手を振る Kさんに見送られ 一路仙台を目指します。 間もなくという手前で、「松島」の表示を目にして ああ。名高い松島は、いつか行きたいねぇと話していた松島はここなのかー。 吸い込まれるように駐車場へ。 あいにくの曇り空の下ではあったけれど、しばし湾の景色を眺めながら辺りを歩き、利久でお土産も求めました。 この歳(半世紀超)にして、仙台を訪ねるのはほぼ初めてです。 ドナルドダックのようなおむつの子が母と手をつないだセピア色の写真で、七夕に家族旅行をしたらしいことを

        • みちのく一人旅 〜気仙沼 2023 夏〜

          気仙沼に行きたい。Kさんに会いたいなぁ。 15年ともに暮らしたねこ息子の平九郎、たいせつな母、最愛のオット、そして大好きだった上司までが相次いで他界してしまった、伊豆暮らしの数年間。 心にぽっかりと大きな穴を開けたままの私に、電話口でいつもほん〜わかと優しい、静かなKさんにまた会いたい。 一時期健康を害されたという年賀状を受け取って以来、その思いはいよいよ強くなっていて 昨年栃木の父のもとに越し、東北が近くなってからは、この夏にきっと行こうと決めていました。 車で行こう、

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        I Drive My Car

          友を訪ねて 〜気仙沼 2014〜

          (*2014年にSNSに書いた日記に少しだけ手を加えたものです。) 大船渡線にゴトゴト揺られながら、これを書いています。 ちょっと長い日記になります。 オットが出張で珍しく別行動の週末、ふらりとみちのく一人旅に出ました。 目的は、ある方にお会いすること。 震災から何ヶ月も経過し、新たな厳しい寒さに向かう頃 気仙沼の避難所で毛布が足りていないとの募集をTwitterで見かけ、簡素な毛布を1枚求めて送りました。 やがて、私の毛布と手紙を受け取って下さった方から 避難所からよ

          友を訪ねて 〜気仙沼 2014〜

          The Summer Solstice 〜島からの便り〜

          自然遺産に登録されて以来、メディアで目にする機会が確実に多くなった、沖縄と奄美の島々。 大空へ枝葉を伸ばすヒカゲヘゴの、おどろおどろしい鱗のような樹皮、ひたむきな母性が胸を打つアマミノクロウサギ、美しいイシカワガエル、危なっかしいほどのんびり屋のヤマシギ…… マリンシューズに木綿のTシャツでレンタカーのハンドルを代わるがわる握り、「さっきの角を曲がるんだったのにー」などと時に諍いながら、通りかかったビーチの碧に吸い込まれるように車を停め、「あっち向いてて!」と大急ぎで水着に

          The Summer Solstice 〜島からの便り〜

          唐澤克之先生のこと

          思いつくまま、つれづれなるままもよいところ。今日はとてもたいせつな方を偲び、思い出を綴ります。 代表作である『バブル文化論』のあとがきにも自ら記しているように、2004年の秋、原宏之は35歳の若さにして上咽頭がんステージ4と診断されました。 一軒めの入院先で、当初は楽観的な見立てであったものの、精密なMRI検査の後、医師から私に告げられた言葉は、「ここまで進行してしまうと治療する医師はいません。もって3か月。残念ですがご自宅に帰って思い出を作って下さい」というものでした。

          唐澤克之先生のこと

          『ラプサンスーチョンと島とねこ』ができるまで

           刊行にいたる過程について、書いておこうと思う。  そもそもの動機といえば、「私の愛したふたりを知って下さい」という、ごく個人的なものなのだった。  冒頭の、というか本書のおおかたを占めることになる「愛猫へいくろう君の訃報」は、私たち夫婦の最愛のねこ息子、平九郎の旅立ちの後で、原が溢れる思いを書きつけたさよならの手紙。一昨年の夏、今度はその原をも突然に喪った私にとって、へいくろうに宛てられたその手紙は、書き手であったはずの原に私自身が語りかけている心情そのもので、果てしない

          『ラプサンスーチョンと島とねこ』ができるまで