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『ラプサンスーチョンと島とねこ』ができるまで

 刊行にいたる過程について、書いておこうと思う。
 そもそもの動機といえば、「私の愛したふたりを知って下さい」という、ごく個人的なものなのだった。

 冒頭の、というか本書のおおかたを占めることになる「愛猫へいくろう君の訃報」は、私たち夫婦の最愛のねこ息子、平九郎の旅立ちの後で、原が溢れる思いを書きつけたさよならの手紙。一昨年の夏、今度はその原をも突然に喪った私にとって、へいくろうに宛てられたその手紙は、書き手であったはずの原に私自身が語りかけている心情そのもので、果てしない悲しみをいく度となくなぞりながら本に編むという作業に自分は耐え得るのだろうか?そもそも本にすべきなのか……リソースも限られたなか、逡巡していた。

 つかまえようのない薄い雲のような虚しさのなかで、何気なく眺めていたSNSのタイムラインにほわっと流れてきたのが、杉本さなえさんの一枚の絵だった。
 おどけたような可愛らしい丸顔のねこさんと、軽やかに戯れるひと。初めて目にした瞬間の衝撃は忘れることができない。それは、ちょっとくせっ毛で大きな大きな身体をいつも持て余していた「大さん」と、おはちの広いまん丸茶トラのへいちゃんにしか見えなかった。

 カバー絵は決まった、と直感した。そして、洗練された独特の色使いや繊細な線の表現が織りなす幻想的な作品が人気を博し、大きなお仕事をいくつも手がけていらっしゃる杉本さんに、おそるおそる(ほんとうにドキドキしながら)お願いのメールをしたためたところ、お人柄の伝わる優しいお言葉で快諾下さり、ああ、この美しい絵の本をきっと作ろうと心に決めた。

 意味のある偶然に縋りたい者の思い込みだと思われてもよい。たぶんそうなのかも知れない。
 へいちゃんが旅立って早4年、原は間もなく2年という月日が流れたけれど、お空のふたりからは時々、とりわけこちらが悲しみに暮れているような時には、確たる意志をもったメッセージが降りて来る。

 書店発売を、2月22日のねこの日と定め、手持ちのJANコードの空き番号を割り振らねばと台帳を繰っていた午後。
 978-4-9911402。ここまでが小社、書肆水月の背番号である。それ以降の2ケタが各々の書籍の番号となるのだが……
 2-8……「にゃああ!」
 いつだってのーんびりとしていたへいちゃんの可愛らしい甘え声が、はっきりと脳裏に響いたのだ。
 「中さん、いいと思うにゃあ!」
 うんうん。ありがとう。大さんと一緒にいるのね!?へいちゃんと大さんの、優しい優しいご本作ろうね?私は思わず、ぼろぼろと涙していた。

ひみつのおしゃべり

 メインとなる追悼文「愛猫へいくろう君の訃報」の他には、宮古島のおばあさんとのある夏の邂逅を綴ったエッセイを収めること。そして『ラプサンスーチョンと島とねこ』というタイトルも、映画のように色を変える空を見上げながら、キース・ジャレットのピアノを流し聴きしながら……そんな瞬間にふと、自然に降りて来たものだった。
 原のパソコンのサブスクリプションのパスワードがどうにもわからず困った時も、答えは不意に「○○○だよ!」と降りて来た。
 近しい方がたに形見となるものを受け取っていただけたらと思いを巡らせていた時、しかし何もわかっていない身でご専門の先生がたに本をお送りするなど失礼極まりないではないかと躊躇っていると、一つひとつの本や身の回り品のそばを通りかかる度に、「○○君にはこれをもらってもらったら?」、「○○先生にはこれが似合うよ」、「最近この作家に興味があるはずだよ?」と、聞き慣れた声が教えてくれた。愛用のマフラーやネクタイや研究書は、不思議なほどにたどり着くべき宛先へと届けられ、その作業に打ち込む時間が私を救った。

管啓次郎さんの本を手にする平九郎

 管啓次郎さんに寄稿をお願いするというおよそ僭越なプランも、ねこの日発売のねこの本でいくと決めた時に、今回は自称“犬猫混成部隊”の管先生しかないと確信した。ご多忙を極めていらっしゃるさなかにもかかわらず、当方の不器用な取り立てに、「頭が猫になったら書けるにちがいないにゃーご!」と、用意した行数かっきりのお茶目で優しく美しい旅の情景に、「みねこたまねこ仮説」という、斬新でありながら納得の仮説まで盛り込んで下さったことは特筆に値する。
 いく度もいく度も温かい言葉をかけて慰めて下さったこと。原が亡くなったその年の瀬の集まりには、ギター片手に(フルーティストを伴って♡)駆けつけて下さったこと。ご恩は数え切れない。
 あとがきに記した、『文學界』編集長 丹羽健介さんの原についての描写も、私を深く慰めてくれたいくつものまごころの一つである。書き出したら止まらず規定から必ず溢れてしまう原の筆を、きちんとまとめて下さっていた。

 造本の相談は、本づくりの何たるたるかも覚束ない私のお尻を1冊めからぴしぴしと叩きながら刊行まで導いて下さった神保町の師、精興社の小山さんとのもっとも胸躍る時間。古今の神保町あれこれに耳を傾けつつ、高価なファンシーペーパーにため息をつきつつ、いよいよ本になるんだと実感が湧いてくる時だ。
 私などにはハナから手が出ない逸品でも、贅沢に趣向を凝らした装幀をいくつも惜しげなく見せて下さり、インスピレーションを与えて下さる。そして、あと○万円は下げたいという小声の相談には、「この部分を○頁つめてここだけ4Cにして、帯の紙を風合いの似たこれにすれば○万円」と瞬時に答えを下さる。頼もしい頼もしい助け舟であった。

 カバーには一目惚れした杉本さんの絵を大きく配し、ごくごくシンプルな額装としたい。額縁のゴールドは金箔ではなく(予算上 笑)CMYKのグラデーションで金に似せた。予算上(笑)帯は特色1Cとし、小山さんとの相談で「古染」といういかにも原が気に入りそうな名前の、杉本さんの絵のベージュにやや寄せた紙に、ニュアンスグレーの特色にした。地味な帯を補う形で野の花の壁紙を貼るように置き、平行するゴールドとターコイズのラインを引いた。ターコイズは、今でも「奄美」と言葉にするだけで胸がつぶれそうになるほど、ずっとふたりで夢見た島の海である。

 小さな本の誕生の過程を記しておきたいと思った。
 終わりに、本編にも登場する石川町のねこたちの思い出に触れたい。
 あの追悼文の、仕事終わりに坂を上り、母さんへいくろうと出会って、ああ、お帰り、お帰り、久しぶりだにゃあという場面で私は毎回泣いてしまう。それこそが、私の愛した原の素顔だからだ。
 まだ若く、ささやかな希望を温め暮らしていたあの頃、石川町の古家の周りにはほんとうにたくさんの個性豊かなねこたちがいた。お転婆なカンパチ。その妹分でひどく恥ずかしがり屋の、原が抱き上げたらおひざでおもらししてしまった男爵。長いボサボサの毛にひょうきんなしぐさで現れる田吾作くん……
 なかでも私が思い出す度ほくそ笑んでしまうのは、うめというまだ子ねこの黒猫のこと。
 ある日、家の前でニーニー鳴いていたうめを見つけ、小さなお皿にミルクを入れてあげた。ピチャピチャと、時々顔を上げながら嬉しそうに飲んでいる姿が何とも愛らしかった。
 次の日、何やら気配を感じてドアを開けると、ねこたちが何匹もお座りして待っている。びっくりして目を見合わせた私たちだけれど、すぐにある光景が浮かんだ。
 うめは黒いお顔にお口の周りだけまぁるく白くミルクをつけたまま、いい匂いをさせて集会所に戻って行ったのだろう。
 「お前おいしそうなもの顔につけてるニャ」
 「どこでミルクなんかもらったんだよう?」
 「あのね、あそこのおうち……」
 私たちがつかの間暮らしたその界隈は、原も書いているように狭い急坂で車が入らず、どこの家にも少しずつごはんが置いてあるような、ねこたちに優しい一角だった。

 昨夏、大好きな佐藤元状さんご夫妻と食事をした日本橋で、私は20年ぶりにうめと再会した。

 溢れそうになる涙をごくりと飲み込んで、愛おしさでいっぱいになりながら幼いうめの姿を連れ帰った。
 その日の偶然の出会いも、『ラプサンスーチョンと島とねこ』の制作に、まだまだ鈍く心塞ぎがちだった私を向かわせてくれたのかなと今は思える。

気の早い梅の実が揺れる、晩春に

えらそうなニャルソック

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