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I Drive My Car

 年老いた父を郷里に訪ねた帰り道。旅の相棒、ねこ息子のためのちゅーる休憩を含め、およそ4時間半の道のりを走った。途中、車窓を過ぎてゆく田畑のほとりに、そして橋を渡る度目の前に広がるいくつもの川堤に、満開の桜と揺れる菜の花が春の訪れを告げている。

 『ドライブ・マイ・カー』を観た後で、ハンドルを握る思いは、前日とは違っていた。

 夫を昨年の夏、突然に亡くした。
 私たちは旅を愛し、多忙な日常を束の間離れた車内での、何気ない語らいを愛した。

 数年前に東京を出て、田舎の、普段の生活にも車が欠かせない森の家に生活の場を移したのを機に、私はようやく運転を始めた。それまでにも南の島の、車線変更など滅多に必要ない一本道や、旅程の一部の高速道路などでは運転を代わっていたけれど、経験不足でまだまだ心もとない。教官は夫だ。
 同乗者をハラハラさせる場面なども時にはあったものの、夫の運転はうまかった。そして、自分だったら勇気が要るなぁと感じる練習生の助手席に、内心はハラハラしていたのかも知れないが、実に穏やかに、落ち着いて乗ってくれていた。

 夫が旅立って、どれくらい経った頃だろうか。或る人が、たいせつな人を亡くし長い間心を閉ざした後で初めて聴いたアルバムだとSNSで紹介していたのが、トム・ウェイツの「Closing Time」だった。
 1曲めの「Ol’ 55」。鍵盤に指が落ちる瞬間の、あれほど美しいイントロを私は知らない。そう感じさせるほどに、優しく語りかけるトムの低音は凍りついていた私の心を溶かした。
 アルバムとしての統一感に優れた進行。秋の宵には「Grapefruit Moon」。何度も何度も、カセットテープならば擦り切れるほど、父の家との往復にそれを聴いた。
 夫が好きだったダイアー・ストレイツ、ブラッド・メルドーやキース・ジャレット…… 思い出の旋律や車窓からの風景に、時に不意の悲しみに襲われ、時にはほっと和まされながら、けっこうな長い距離を、東へ、西へ、私は走った。そして季節は巡った。

 『ドライブ・マイ・カー』は、原作と映画の境目がよくわからないと村上春樹本人がインタビューで語っていたように、原作とともに収められた他の短編からも要素をうまく選び取り、映画独自の設定もかなり大きく載せた上で、観る者に実に「村上春樹的」だと感じさせる良作だと思う。

 みさきの生まれ故郷、北海道への旅路の果てに、家福はおそらく何年も秘めていたのであろう亡き妻、音への哀惜、自らを赦すことのできない苦しみを、まるで水が容れものからこぼれ出すように、涙とともに語り始める。
 村上作品における、主人公と女性を語る上で欠かせない要素ではあるものの個人的好みとして距離を置いて眺めてしまう言語でのセックス描写や(おそらくその点と、概ね古い時代の作品をより好むことで夫とは一致していたように思う)、喪が中心的テーマであることに観る前から無意識に身構えていたせいだと思うが、私の堤防はそこで決壊せずに済んだ。

 「後悔はこの世で最も苦しい地獄だ」とは、Netflixの人気ドラマの主人公、ヴィンチェンツォの語るところである。「あの日もっと早く帰宅していれば……」家福の脳裏をぐるぐると巡る思いと同じように、「願いがただ一つだけ叶うならば……」と自分を悔い、涙しない日はまだ一日もない。もう二度と会えないのだと認めなくてはならないのならば、明日のことさえ、半日先のことさえ思い描くことなどできない。私は「さようなら」も「お別れ」も、頑なに口にしてはいない。「またね」としか。
 どのような形であれその地獄を生きてゆくことは、残された者の宿命であるのだろう。

 それでも、底知れぬ寂しさと悲しみの後に、夫は慌てて私を慰めようと、たくさんのサインを送ってくる。
 無理やりこじつけているのかも知れないし、おかしいと心配されても一向に構わない。メッセージは届くので、忘れないよう、ノートに書き留めている。
 それはたいてい、すっかり忘れていたけれど思わずぷっと噴き出してしまうようなできごとにつながるキーワードで、「あの時は楽しかったね」、「僕たちはほんとうに幸せだったよ。だいじょうぶ」と語りかけてくるのだ。

 昨日もひとしきり悲しみに沈んだすぐ後で、私たちの初めての、ディーラーさんに想いを伝えてやれやれと値引きしてもらい、それでも当時はうんと奮発した愛車とまったく同じ型、同じ色の車(車種も今では滅多に見かけないがシートとの色の取り合わせこそ珍しい。キャンセルが入ったので大幅に安くしてもらえた1台だったから)が、突如視界に飛び込んできて、隣の車線を長いこと並走した。
 二人して、「次のおうちでも可愛がってもらってね」と涙ながらに車体を撫でた乗り換えの日までの、めくるめく旅の思い出が駆け巡った。

 「まだまだ。高速に一人で乗るなんてとんでもない」と言いながらも、夫は「助手席っていうのはとてもいいもんだね」と、私の上達を喜び、シートを下げて寛ぎ、やたら饒舌になった。いつだって私は聴き役で大いに語る彼だったけれど、車の中でお気に入りの音楽を聴きながら、川端の日本語は美しいとか、ギュムナシオンが素晴らしいとか、楽しそうにとめどなくおしゃべりしているのだった。そしてたいていは夜、家に帰り着くと、礼儀正しく「ありがとう」と。

 車を走らせる、車で旅するという行為はどこか何かしら、死者や失われた時間との対話であり、反復により痛みを癒す大いなる力をもっている。長く漠然と共有され、過去のロードムービーも伝えていたことを、『ドライブ・マイ・カー』は明確に、新鮮な切り口で描き出して見せた。

 車内でくり返し再生される、亡き妻 音の肉声による台詞も映画だけの設定だが、阿吽の呼吸のみが為せるその習慣によって、かけがえのない夫婦の結びつきを感じさせる。

 「合流がある時は、なるべく入れてあげる」、「割り込ませてもらったら、ピカピカとお礼をするんだよ」、「ガラスが曇っちゃったら慌てずにここを押す」、「ブレーキは今より少し早めに」、「渋滞のおしりに付いたら、後ろの車に渋滞ですよと順番に教える」……長い高速道路でのオート・クルーズ・コントロールの使い方も含め、それぞれの場面で耳に蘇る教官の声。褒めるとすぐ調子に乗るからなぁとよくからかわれたものだけれど、教えは適所で的確だった。

 設定はずいぶん異なっても、乗せている人を(彼女の場合は実は切ない事情があって)どこまでもこまやかに気遣うみさきの安全運転は、私だけの教官の優しさとどこかオーバーラップして、物語全編を通して安らぎを与え、私の心を温めた。
 雪の中で、お互いと、その果てしない悲しみを抱擁し合う家福とみさきの姿には、あまりにも多くの、言葉にできない言葉が込められている。

 言葉という要素について言えば、たとえば『文學界』に掲載された佐々木敦さんの「言語の習得と運転の習熟ー濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』論」(2022年4月1日現在 noteで無料公開されている)に論じられていて、映画に携わった人びとの演劇との関わりなどにもふれ、とても興味深いものだった。

 特筆すべき点としては、多言語演劇という独特の舞台設定において、アジア各国の言葉に混じり韓国手話が取り上げられていることに感銘を受けた。 韓国手話「も」そこにはあったのではなく、劇中劇『ワーニャ伯父さん』のラストシーンが、無音の中、繊細で息を飲む手の動きと俳優の表情のみによって見事に語られる点は秀逸であった。

Grief is just love with no place to go.  by Jamie Anderson
 
 あかあかとした
 おのれを裁く 眼を閉じよ
 大切な 友の過ちを
 受け容れるように みずからを
 ゆるせ
                 若松英輔

 「原さんは、あなたのところでもうずっと、安心していられる」思いやりに溢れた友の言葉が、夕暮れ時まで稽古に励む若いうぐいすの歌が、今日も私を生かす。助手席のファブリックシートのざらっと粗い手触りは、夫の履き古したデニムを思い起こさせる。今では一人前に頼もしい旅の道連れとなった剣之助のまぁるい目を信号待ちで覗き込み宥めながら、私はそこに、人懐っこく微笑む夫を見ているのだろう。

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