叱咤、勇気、前へ。

命に相応しい喜びや愛は起こるべき時は、

いつ、どこで、どんなふうに過ごしていても、

自動的に起きてくるものであること。


命に刻まれている純粋性の喜びの記憶を生きながら、

目に映る光景が本質の喜びと一致する時間になって欲しいと

意識の奥底で主張し、願っているということ。


そして、これまでもそんな現象が

実際に生じていた場面があったこと。


そうであるならば、人間らしい主観から見た時に、

どれだけ無茶に感じたとしても、

どれだけ怖気付いたとしても、

全く理解が追い付かないとしても。


その純粋性の喜びの記憶に旅立つ選択をしないといけない。


自分にだけ影響する話ではなく、全体に影響する話で、

そのような意識の構築や確立の普及と日常化が

本質の喜びで溢れる優しい世界の時間に繋がるだろう。


もしその旅立つ選択ができないのなら、

自分の光にも、誰の光にもなれない。


大きな移動、交わる存在の総入れ替え、

日々の時間の流れの一新。


その全てと直面することくらい

軽く飛び越えないで、どうする。


そんな叱咤が心の中から届いたような気がした。


主観という殻を脱ぎ、自身に与えられた

勇気の役を思い出して、前へ。

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