J-POPにおける日本語リズムコンプレックス脱却の歴史

日本語の特徴として、モーラが等しいというのがあります。
故に英語と比べると、グルーヴにのせにくい。
それが、日本人のリズムコンプレックスに繋がり、長くポピュラーミュージック界では、「いかに日本語のリズムから脱却するか」がテーマでした。

はっぴいえんど などが日本語ロックを始め、
サザンオールスターズ が英語のリズムで日本語を歌い始め、
Flipper's GuitarやLITTLE CREATURESが日本語を諦め(のちに帰ってくる)、
m-floが英語ネイティブのリズムを使い、
中田ヤスタカさんが日本語モーラでもトラックでグルーヴを維持できることを証明した時点で、長年にわたる戦いが終わった気がしています。
一方で、マキシマム ザ ホルモンも、かつての日本語リズム脱却の終着点であるとも思います。

もう一つのコンプレックス脱却の理由が、アメリカのリズム主体である無調音楽(hip-hop)に魅力を感じられなかったからだと思います。
特に90年代後期のどれだけワルかを表現する過激なギャングスタ・ラップの流行は、日本人にとっての「憧れのアメリカ」ではなく、日本人が完全に引いてしまったきっかけだったと考えています。
並行してどこか土着的なビーイングやavexのスタイルが流行ったことで、「J-POPでいいんじゃない?」という気持ちが日本人の心に芽生えたのだと思います。ある意味、洋楽コンプレックスを脱し、自信を持ったと言えるのかもしれません。

この頃からの いきものがかり の活躍はそのことを表していると思います。
彼らの音楽に、洋楽の要素は全く感じられませんでした。

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