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請売りと言葉の価値

この上ない暑さの中、日々笑いと真剣な眼差しに包まれて生活しています。

なにを思うわけでもなく、パソコンへ向かい文字を打っております。
気になったことがあるのです。「請売り」の対義語ってなんだろう。と。
答えは出ないと思いますが、そこから派生する由無し事をそこはかとなく書き尽かん、というわけです。

世の中には、30%の思考と70%の請売りで物事を発言する輩がいます。私の周りも例外ではありません。うーん。語弊がありますかね。自分の意見とよく混ぜ合わせることなく、ふと見聞き“囓った”言葉を恰も自らのものであるかのように語る人がいるということです。
私の狭い視野の中でいえば、このような人間に限って非常に頭の回転が遅く、その割に自ら“も”短いものを巻く長いものの一部であると思っている節があるということです。
私ごとですし多少の矛盾を含みますが、私はこのような人間を心底軽蔑しています。
「お前も同じだろ」とこの文章を読んで思われた方がいらっしゃるとしたら、少し待ってください。人の話と文章は最後まで…と習ったでしょう?
私は自らを長いものとも短いものとも思っていません。孤独に自惚れている青二才です。もちろん、自分自身も軽蔑の対象ですが。

さて、請売りした言葉と熟考して足りないなりに考えた言葉との間には大いなる懸隔のあることは周知の事実ではありますね。なぜなら、足りなくとも、自ら考えた言葉にはたとえタイプされたものであっても、熱がこもっているからです。前後の文から言葉の連なりから、熱が感じられるものだと思うのです。

そんな請売り星人は、自らを長いものの一部と考えているため、自分に権力が付与されたかのように振る舞います。しかし、実際には自らのキャパシティを超えているため苦しそうな表情を浮かべるのです。振る舞い終わると、さも達成したかのように深いため息をひとつ。アドレナリン的な何かが分泌されているのでしょう。
「じゃあお前はできんのかよ」と思われた方がいらっしゃるとして、私がいつできるといいましたか?
私は自分ができないと知っていますから。無知の知ではあるということです。無知であることを知らずに生きるよりはよっぽど賢いと思っています。

世の中には留学至上主義的な考え方をする留学経験者もいますが、それはあなたのお金で行った留学ではないでしょう?と言いたいです。つまり、こういう人も、長いものの一部と自らを評価するタイプの人間だと思うのです。そういう人に限って、留学していたのに英語がままならないんです。日本人と連んでいればそうなりますね。もったいない。留学経験者でも自分で留学を勝ち取った人はそういう考えをしないんです。私の知る限り。
留学をして、アパートを借りて、家賃が払えなくて追い出されたり、野宿したり、スリにあって無一文になったり、パスポートを取られて途方にくれたり、したことはないでしょう。自分の力で勝ち取る留学は世の中の生温い留学とは違うんです。
なにもお金云々を言っているわけではありませんよ。成績でもいいし、実技・一芸でもいい。

人生は生まれてから死ぬまで、ずーっと学びだと思っています。
毎日が初めましてなわけですから、そういう気持ちで物事と向き合っていきたいんです。

さて、本題に戻りますが、
「請売り」の対義語は「熟考」かもしれませんね。
よく考えて言葉を伝える。熟考して言葉を紡ぐ。私の仕事はそういう仕事です。
自ら発した言葉が時には人生を左右するような衝撃をもたらすかもしれません。
言葉の価値っていうのはわからないものですね、なかなか。

以前、自分の価値 というタイトルで記事を書きましたが、自分の価値もわかりません。
でも、転職活動の一環として国内外での職探しやアプローチを始めました。
実際にいくつかお話もいただいています(転職エージェント内でですが)。
人に携わって生きていきたいですが、如何せん今の仕事では、自分の想定する自分の価値よりもウンと低く見積もられているので、少しでも自分を適正に見積もってくれる場所を探そうと思っています。少し恐怖と不安がありますね。青いですね。
ですが、その不安を押しのけなければ、口を糊することで手いっぱいの生活になってしまいます。儲からないんです。ちっとも。お金のために仕事をしているわけではありませんが、仕事をした分だけお金をもらえないなら、評価してくれる人を見つけるまで、ですね。
将来は、イギリスかオーストラリア、ダメならアメリカで教育に関する仕事をして過ごしたいな、とも思っているわけです。
夢のための布石ですね。


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