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向き合いすぎると見えなくなる。

生徒としっかり向き合います、
自分と向かい合う時間を大切にしています、

よく聞く言葉です。
正しい姿勢と言えるでしょう。

でも、僕は、
どこか
ひねくれたところがあるので、

向き合う「だけ」じゃ、
ダメなんじゃないかと
考えています。

むしろ、
「向き合う」を
多用しすぎる人には
違和感を覚えます。

「向き合う」ということは、
相手からすれば、
自分の正面に
立たれるわけですよね??

ということは、
自分が進む方向を
立ち塞がられているのと同じこと。

もしかしたら、
向き合うことによって、
(意図せざることですが)
その人が
本来進むべき道を塞いでいたり、
見えなくさせているかもしれません。

本来、進むべき道を見えなくさせて、
向き合っている人が、
進ませたい道へと
誘導することになったら
本末転倒です。

その進ませたい道で、
相手も、
向き合う人も
一時的には
いい思いができるのかもしれませんが、

本来進むべき道ではないので、
いずれ行き詰まります。

道がそれてしまったとき、
スタート地点に戻るためには、
時間も労力も要します。

できれば、
本人の意志と責任のもと、
自らが望む道を歩ませたいものです。

なので、僕の感覚としては、
同じ方向を見ることを意識しています。

相手が決めた道が進むべき道です。

その道を並走しながら、
あるときは、先導したり、
あるときは、後ろから背中を押したり。

ひとりひとりが歩むべき道は、
ひとりひとり固有のものです。

その道から逸れないように、
逸れても戻ってこられるように、

関わる生徒を
そんな気持ちで支えるのが

教師のひとつの役割だと
思っています。

あ、ただし、
これは補足ですが、
「向き合う」ことは、
大切だし、必要ですよ!

僕がここで指摘したかったのは
向き合う「だけ」では
ダメだということ。

全員が、その子に対して
「向き合った」ら、
その子の進みたい道を
みんなでブロックしていることに
ならないかなあ、と危惧するのです。

あるいは
向き合うばかりで
妙に物わかりがよすぎる大人も
その子のためになるかどうか…。

僕はどうも、
「正しい」という感覚に
敏感なところがあって、

「正論」ふりかざしすぎると、
すごく人を傷つけたり、
その子らしらを侵害する恐れがあることを
常に忘れないようにしたいのです。
僕個人の戒めですが。

「正しい」ことって
きっと1つじゃなくて、
たくさんあるんです。

向き合う教師もいい。
一緒の方向を向く教師もいい。
その子を傷つける教師もまた(必要悪だけど)
成長のために必要だったりもしますよね。

結論、なんでもありじゃんに
なっちゃいそうなんですけど(苦笑)、

その数ある選択肢のなかで、

「わたしはどうする?」
「あなたはどうする?」

を決然とした態度で
セレクトするのが、
これからの時代で、

僕は伴走者スタンスが好みです、

というお話でした。

みなさんはいかがですか?
どの立場を選びますか?
ぜひ、コメントしていただけると嬉しいです。

みんな違って
みんないい。

今日はここまで。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
これを読んでくださったあなたの少しでも
参考になれば嬉しいです。



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