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自己犠牲的な働き方をなぜやめられないのか?②

前回のコラムでは、
(アンパンマンのように)自己犠牲的な働き方をする人は
「自分がなんとかしなければいけない!」という思いが強い、
という内容を書きました。

教師として、
目の前の生徒が困ったり悩んだり行き詰まっているときに、
あなたが主体的に働きかけようとするのは
ごくごく自然の行為であり、
否定される要素は全くありません。
むしろ、そのような態度は
周囲からの信頼を集めます。

あなたは、やりがいや生きがいをそこに感じるでしょう。
でも、そこに1つの落とし穴があることだけは
注意をしてください。

それは、
「自分が何とかしなくてもいい」
なんだったら、
「自分はいなくてもいい」「自分がいない方がいい」
というケースがあり得る、ということです。

お腹が空いている生徒のために、
あなたは自分の頭をちぎってパンを与えます。
生徒や、保護者に感謝されます。
周囲は、あなたの行為を称賛します。
客観的に見ても正しい行為です。

だれがどうみても「正しい」サイクルですから、
あなたはそのサイクルの中で、
やりがいや充足感を感じます。
でも、ひとたび、そのサイクルからこぼれ落ちたとしたら、どうでしょう?

たとえば、あまりにも多くの生徒が
お腹が空いた!お腹が空いた!と訴えてきて、
あなた一人のパンではまかなえなくなるときだってあるはずです。
今日は、自分に元気がなくて、
ジャムおじさんに甘えたくなるときもあるでしょう。

そんなときに、いい人、優しい人ほど、
目の前の困っている生徒たちを見ると、
無視して放っておくことができません。
「自分がなんとかしなければいけない!」という強い思いが強すぎて、
なけなしのパンを与えようとし、
ジャムおじさんもいないのに、自分の頭をちぎって与えるから
自分をすり減らしてしまいます。

そんな、あなたの自己犠牲的なやさしさは、
ますます生徒や周囲から称賛されることになります。
こうして、「正しいサイクル」を抜け出すことができず、
あるとき、ふとした拍子にバーンアウト(燃え尽き)してしまうのです。

これを書いている僕自身がそうでした。

おかしいな・・・と思い始めたときに
自分が今まで回してきた「正しいサイクル」を
抜け出すのは容易ではありませんでした。

そこには
「自分がなんとかしなければ!」という強すぎる思いが
むしろ執着になって、もう一つの大切な視点を見えなくさせていたからです。

教師がもつべき、もう一つの大切な視点があります。
それが「自分はいなくてもいい」「自分がいない方がいい」なのです。

あなたがパンを与えるから、そのせいで、
その生徒は、「自らパンを焼いたり」「自ら食料を確保する」能力を
失っているのかもしれませんよ。
良かれと思ってやっているし、社会的にも正しいし、周囲も賞賛する行為だけど、
結果的に、その生徒の「生きる力」を奪っているのです、
といったら受け入れられますか?

「自分がなんとかしなければ」というマインドセットの人ほど、
「何もしない方がいい」という価値観を手に入れてください。

子どものお腹が空いても、何もしなくていいのです。
子どもが困り果てて泣きついても、あなたは何もしない方がいいのです。

想像以上に子どもの生命力は強いものです。
みずから、食料を得るために知恵をしぼったり、行動を起こすでしょう。

生徒自らが動き始める瞬間を待ってみませんか?

頭ではわかっていても、
この「なにもしない」という行為は難しいものです。
待っているばかりでは、
事態は良くならない、あるいは悪くなる一方だという
想像しかできない人もいるでしょう。

・体調を崩してしまう生徒が出てくるかもしれないですよ!!
 →そのときだって、あなたは別にいなくてもいいのです。 
  何もしなくてもいいのです。
・飢餓状態になって生徒が死んでしまうことだってありえますよ。いいんですか?
 →そうなってしまったら残念ですが、別にあなた1人の責任ではありません。
  仕方のないことだったのです。

「自分がなんとかしなけば!」という価値観で働いてきた教師にとっては、
とうてい受け入れられない考え方かもしれません。

でも、この考え方を全肯定できないまでも、否定しない態度が重要なのです。

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