『生きている』実感がない日々(離人感のお話)
こんにちは。着ぐるみです。
皆さんは「生きている」っていう実感がありますか?普通は実感があるものなんでしょうか?
皆様のお答えを教えて下さい。コメント欄にてお待ちしてます。
私はたまに不思議な感覚に陥る事がありました。
それは『自分はここにいない』感覚です。
仕事で手を動かしたり人と話したりしている活動的な時にも関わらず、
ふと現実感がなくなり
『私という動く物体の中から覗き穴で外側を眺めている』ような感覚。
まさに着ぐるみ状態です。
実際にそこにいる自分とは別の自分が中にいて、その状況をぼんやり観察しているのです。
自分で考え自分で行動し話したりしているはずで記憶がない訳でもないに
「あれ?なんでこんな所でこんな事しているんだ?」
となる瞬間があるんです。自分の言動をコントロールしようと思えば出来るのにですよ?
その時の感情は辛い訳でもなく逃げたい状況に置かれている訳でもなく、ただただ不思議な感じです。
特に現実感が薄れている時は
夢の中にいるように感じたり、
鏡で自分の姿を見てもそこに映るのは自分ではなく、成長し老化するようにプログラミングされた細胞の集まりにしか見えなくて、
目が目であり耳が耳であり口が口である事が不思議でたまらなくなったり。
実は世界は今この瞬間から始まっていて、それまでの出来事は作られた記憶なんじゃないかと思えて自分も周りの人も作り物のように感じたり。
人生なんて神様のような存在の壮大なおままごとに過ぎないんじゃないかと思ったり。
映画などで似たような描写を見る事があるので自分の他にも同じような事を感じている人がいるらしい事はなんとなく分かっていたのですが、
調べてみたら『離人症』という言葉があるようですね。今回初めて知りました。
離人症についての解説を読んでいると”着ぐるみ”という表現が出てきてドキリとしました。
うつの治療を始めてからは現実感を感じる時間が少しずつ増えて来たように思えます。
2人の私がピタリと重なる時間が増えてきました(増やせるように意識しています)。
それでも夜になって朝の事を思い出そうとすると記憶はあるのに他人事のように感じたり昨日の事のように感じる事もまだ多いです。
ましてや数年前、数十年前の事となるとさらに現実感は薄れます。
記憶が薄れると共に現実感も薄れるのは当たり前なのかもしれませんが、
人生で最も喜怒哀楽を素直に表していたであろう中学・高校時代の親友達との記憶も現実感があまりありません。
現実感のなさから来る妄想は楽しい部分もあるから困り物です。
妄想を膨らませて物語にして、その中で暮らす。世にも奇妙な物語の主人公にでもなった気分でワクワクもありました。
でもそれが進むとただの現実逃避になっていくのも自覚していました。
妄想だと思っていながら、いつかその妄想が本当になるんじゃないかと期待し始めてしまうのでした。
現実感・実感がない辛さは後からジワジワ効いて来ました。
喜怒哀楽の感情が残らないまま
気が付けば1週間が終わり、1ヶ月が終わり、1年が終わる。
鮮明に思い出せるのはダメな自分だけ。
おお、なんと虚しい事よ、、、(泣)
この原因は私がインプットされる物、アウトプットする物を『歪んだ認知』というフィルターで変換してしまっていたのかなと感じます。
そして一度取り入れた物を体内で循環させる時も繰り返しそのフィルターを通り、歪みが積み重なる。
そしていつか歪みを吸収しきれなくなって崩れる。という具合です。
これからはフィルターを正しい物に替えて行って、時にはフィルターも通さず直に感じたり表現したりできるようになりたいなぁ。