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世にも奇妙な「言葉」のお話~言葉を利用して、なりたい自分になろう

現役の国語教師として、
生徒に「言葉」を教える際、
心がけていることがあります。

それは、

言葉=思考

だということ。

そう言うと、
生徒たちだって、
初めて聞くわけではないだろうから、

そうね、そうだよね。
私たちは言葉で考えているから、
言葉って思考そのものだよね。
自分が使う言葉には気を付けないと・・。

そんな反応をします。

でも、僕が伝えたいことは、
(結論はおおむね変わらないけど)
理由付けが、
もうちょこっとだけ深いです(笑)。

そんなお話を今回のコラムでは取り上げるので、
最後までお読みくださると嬉しいです。

僕が伝えたいことは、

「言葉」による「認識」は
わたしたちの感じ方や、
世界の捉え方にまで影響を与えている、

だから、

言葉=あなたの世界そのもの

というお話です。


詳しく例を挙げて説明しますね。

たとえば、子どものとき、
「ストレス」という言葉を知らないころを
思い出してみてください。

ストレスって何それ?
という状態だったので、
イライラやムカムカがあっても、
それを「ストレス」として認識することが
できなかったはずです。

でも、大人になると
ストレス=溜まるもの
という図式ができてしまっている。

言葉と、イメージが結びついて、
イライラは溜まってしまうんだ、ということを
知ってしまったがゆえに、
ストレスが溜まる準備が完了しているのです。

不思議なもので、
ストレスという言葉を聞けば聞くほど、
ストレスを意識するようになって、
些細なことにも
「ストレスかなあ」って思ってしまうし、

その逆で、
私はストレスなんて感じない!
ストレスストレスって
日々愚痴っているような人にはなりたくない!!
と遠ざければ遠ざけるほど、
(無意識化に)ストレスが溜まって
ある日爆発するという
妙ちくりんな現象が起こります。

いずれも
「ストレス」という語彙を獲得し、
ストレスが溜まるという認識が
生じてしまったがゆえのこと。

ただし、これ、
言葉の定義を変えることで
感覚まで変わってきます。

たとえば、
僕の中でのストレスの定義は、

一時的に感じることはあっても、
発散すれば雲散霧消するもの

です。

だから、ああなんかストレスたまったなあ、
と思ったら、

料理をしたり
布団を干したり、
ランニングしたり、
サウナと水風呂で心身を整えたりして
ストレスを発散します。

もちろん、
容易に発散できないくらい辛いこともあるのだけど、
それは時間の問題であって、
いつか消失するものって程度の認識なんですね。

ずっとこの捉え方で生活してきて、
職場のストレスチェックは、
同僚に笑われるほど「ゼロ」に近いので、
まあ、そんな定義でもいいのかな、と。

要するに、
ストレスは定義次第で
コントール可能になるということです。

それからもう一つ例を挙げると、
僕は小学3年生の時、
ブランコから飛び降りるのに失敗して
右手首を骨折したことがありました。

手首が明らかに変形しているので、
明らかに「骨が折れた!」とわかりました。
慌てて保健室に行き、
養護教諭に言われたのが
「ああ、骨折ね」。

ところが、
そのとき、
僕は「骨折」という言葉を知らなかったので、

ああ、これはコッセツという症状で、
骨が折れたのとは違うんだ

むしろホッとしたことをよく覚えています。

コッセツという言葉で、
ホッと一安心できるのですよ!
すごくないですか(苦笑)??

これも、言葉による認識によって
感じ方まで影響を受ける例ですね。

事程左様に、
人間は言葉=認識による影響を受けています。


だから、(ここからが本番)

どんな「言葉」を浴び続けるか?

が決定的に重要になってきます。

この点が惰性になっている人は危険!!
なにも考えず、朝からテレビのワイドショーを見ていると、
世の中の暗いニュースを、絶望的に報道し続けていますから、
否が応でもネガティブな気持ちに陥ってしまいます。

ネガティブな人の愚痴を聴き続けるのも危ない。

辛い人を放っておけない
あなたのやさしさはわかりますが、
それであなたのエネルギーまで下がってしまうと、
今度はあなたの周りの人にまで
ネガティブな影響が起こりますから、
愚痴を聴いてあげるのもほどほどにしましょう。

ぼくは、この点、かなり意識的で、
ある頃から、僕が思い描く理想の世界の言葉、
そして理想の世界の住民の言葉だけを
注意深くセレクトするように
気を付けています。

たとえば、
自分がなりたいと思い描く
理想の人間像があって、
「この人だ!!」と決めた人の
発信だけを文字にせよ音声にせよ
浴び続けるようにするのです。

気分はイタコ。

文字媒体、
音声媒体を通じて、
お気に入りのメンターの潜在意識まで
僕に憑依させるべく、
その人の情報を吸収し続ける。

不思議なもので、
それを三日三晩続けていると、
少なくとも「その人」になりきっている自分がいます。

これは、いわゆる変性意識と呼ばれるもので、
一過性のものですから、
この段階でも、油断することなく
さらに百日、二百日、三百六十五日と
繰り返し繰り返し、
憧れの人の「言葉」を自分に取り入れます。

すると、あるとき
閾値を超えて、その人の「認識」を獲得できています。

ある出来事に対して、
その人がどのように感じて、
どのように評価するのかが、
ピンポイントで的確にわかるようになってきます。

文字よりも
音声の方がその浸透度合いは高いかもしれません。

いずれにせよ、

言葉=思考であり、

言葉=認識
言葉=その人の感じ方、考え方
言葉=世界そのもの

ですから。

自分が使う言葉も、
そして取り入れる言葉も
細心の注意を払いましょう。

食事と一緒ですね。
ジャンクじゃなくて、
栄養価の高い旬をおいしくいただく。

食べ物も言葉も、
あなたを形作る大切な要素ですからね。

そんな「国語」??のお話でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。
これを読んでくださったあなたの
少しでもお役に立てたら嬉しいです。

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