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最初で最後のキス(UN BACIO)/イヴァン・コトロネオ監督

これは青春映画
愛と憎悪に満ちた青春の映画

やべぇ映画を見た。最高の青春映画だった。こんなに悪くない青春はない。こんなにキツい青春も、やっぱりそんなにない。

最初に明らかにしておくべきだと思うのですが、これはいわゆるLGBTQに関する題材を取り扱った映画作品です。

まず、映画本編を視聴される前に知っていても、お話を楽しむうえで問題ないかなっていうところから書き始めて、途中で【ここからネタバレ】と注意を入れてから、核心的なところや私の抱いた感想みたいなものを書いて行こうと思います。
では予備知識的なところから。


街で最も運のない3人組と
それを取り巻く「ふつう」の人々

まずは主人公たちから。
メインになるキャラクターは3人、高校中からアバズレ扱いされて壮絶な嫌がらせを受けている女の子ブルーと、その高校に転校してきて壮絶な嫌がらせを受けるオープン・ゲイのロレンツォ、そして同じ学校のバスケ部のエースだけど頭がトロいと見下されているアントニオです。

物語が始まるのは、それなりに都会のトリノから舞台となる小規模の都市ウディネへ、孤児のロレンツォが新しい養父母のところに引き取られてきた日のこと。
このロレンツォの養父母であるレナートとステファニア夫妻が、この作品きっての魅力的なキャラクターで、私は大好きです。ロレンツォが「孤児院にはもっと幼くて、もっと取り扱いの簡単な子たちがいたのに、なんで16歳にもなった、しかもゲイを表明している僕を引き取ることにしたの?」と質問するくだりがあるのですが、養父レナートの不器用だけどピュアな回答がすごく温かい。
いきなり親になったレナートとステファニア夫妻が、手探りで「これどう思う?」と話し合いをしながら、背中を預け合って子育てに奮闘する姿は、たぶんラストシーンでものすごく心臓に圧力をかけてくるので、ぜひ念入りにチェックしてください。

じゃあブルーやアントニオの家族はどうかと言えば、どちらも愛情にあふれているんですけど、子どもにとってはかなりキツめブルーの母親ネット小説家志望で、なにかと問題の多い身の回りのこと(!)を書くタイプで、アントニオの一家には、亡くなった長男マッシモがぽっかりと空けていった奈落の淵で、どうにかこうにか平静に呼吸を続けようとしているような危うさがあります。

そして大量のバッフンクーロども……失礼、言葉が悪かったですね。
そして、名誉毀損や器物損壊どころではないヤバい行為に手を染めている学生諸君。それからマトモな先生とヤバい先生。まぁいろんな人がいます。
ふつうのことですよね。

こんな感じの環境下で、ブルーはロレンツォと友だちになり、ロレンツォはアントニオに恋をして、アントニオはブルーに接近します。
恋心なんて明言するまではブラックボックスのなかに収まっているものなので、まずはお友だちから。ずっと孤独だった3人は、とにかく輝かしい青春の1ページをめくったわけです。

【ここからネタバレ】



恋の発露が破局の始まり

友情を結んだ3人の生活は、眩しいくらいにハッピー。
箸が転んでもおもしろいお年頃と言いますが、えげつない加害行為をしてくる相手に、同じくらいヤベェやり方で仕返しをしたあたりなど、あまりにも3人が楽しそうにしているものだから、ロレンツォの養父母レナートとステファニアが、なにかヤクでもキメてるのかと疑って、夕食会を切り上げるほどです。まさに栄光の日々、黄金時代。

しかし、上がれば下がるもの。
幸福の絶頂になったはずの川遊びが、その転換点になってしまいます。

男性の身体を持った人間が2人に、女性が1人。
川に着いたところで、ブルーは「じゃあ着替えに行くね」と立ち去ります。
残されたのはロレンツォとアントニオ。
男の裸なんて見慣れている体育会系のアントニオがその場で脱ぎ始めるのですが、男性に恋をして、男性に愛欲を抱くロレンツォが、つい「いい雰囲気」でアントニオのお腹に手を伸ばしてしまいます。ロレンツォにとってはいい雰囲気だったとしても、アントニオにしてみたらそんなことありません。混乱して立ち去ったアントニオに、ロレンツォは翌日から気持ちを隠さなくなるのですが、アントニオはロレンツォを拒絶します。

3人が上手くいかなくなったところで、なんとブルーがアバズレ扱いされるようになった原因である先輩が、進学先らしいミラノから一時帰郷。
幸せいっぱいのブルーがいそいそと先輩に会いに行ったのと同じ夜、ロレンツォはアントニオに誕生日プレゼントを渡すため、バスケ部が練習中の夜の体育館に向かうことになります。


ふたつの恋とふたつの犯罪

この夜、映画の観客の前で2つの事件が行わます。
ひとつの事件の被害者はブルーで、加害者はブルーが年上の恋人として扱っている先輩と、その友人達。
もうひとつの被害者はロレンツォで、その加害者はアントニオです。

まずはブルー。
そもそもブルーがアバズレと呼ばれるようになったのは、彼女が複数人の男性と一度にセックスに及んだという話が広まったからで、その出どころはブルーが恋人として扱っている先輩とその友人達。つまりその事件に登場する複数人の男性に当たる人物たちです。
この日、愛しい恋人が帰ってくるとあって、ブルーは美容室に飛び込んだりドレスアップしたりと、気もそぞろに用意をしたうえで会いに行き、親密な時間を過ごします。もともとロレンツォに堂々と「複数人と一度にセックスしたの」と言い放つようなブルーなので、その手の描写があっても別に驚くことはないと思います。
ですが、恋人が再生し始めた「あの日のビデオ」を目にした途端、ブルーの虚勢は痛々しく剥がれはじめ、ブルーが自分も楽しんだセックスだったと思い込んでいた行為が、レイプであったことが明らかになります。

次にロレンツォ、もしくはアントニオ
もう好意を隠さなくなっているロレンツォは、ほかのチームメイトたちもいるなかからアントニオを呼び出して、誕生日プレゼントを贈ろうとするのですが、逆上したアントニオから殴る蹴るなどの暴行を受けます。帰宅したロレンツォは傷だらけ。養母ステファニアは学校に断固とした措置を求めると宣言しますが、ロレンツォは誤魔化してそれを拒みます。
その理由はたぶん、恋をしているから。
階下にアントニオが謝りに来れば、嬉しくなってキスしてしまうし、それに対してなんらかの反応があったと感じれば、キスを返してくれたと確信してブルーに報告しちゃうくらい、恋をしているから。
たとえキスのあとにアントニオが走って逃げたとしても。

そして翌朝、ブルーは母親とともに警察署へ被害を届けに赴き、ロレンツォは教室でアントニオに銃で撃たれて死亡します。
暴力を伴う2つの恋は幕を閉じます。


恋愛の成立に不可欠な同意の欠如

この顛末を受けてなにを考えるのかは、観客ひとりひとりの置かれた環境や人生経験によって違うと思いますが、私がまず考えたのは「愛するのも恋するのも自由だけど、相互的な恋愛がしたいなら合意が要るよな」っていうことでした。たぶんブルーとロレンツォは恋をしていたけれど、相互的な恋愛はできていなかった。人間的に、または性的に、愛する相手から愛されていないことを理解できていなかった。
そんな相手に心や身体を託しちゃいけないよって、なんとかして傷つく前に遡って止めてあげられたらいいのに。そんな風に止めてあげられる人が、ブルーの周りにいたらよかったのに。殴られた跡を「友だち同士の喧嘩だよ」って誤魔化したロレンツォに、ステファニアが言った「友だちはこんな風に殴らないのよ」っていう言葉が、麻痺した理性に届くほど大きく響くだけの余裕が、彼の心にあったらよかったのに。もう数年だけでも早く、彼らが巡り合って、ゆっくり時間をかけて「あなたを一番に大事にしてくれなきゃ、あなたを大事に想ってるこっちまで傷つくんだよ」って言い合えるような仲を育めていたらよかったのに。

あの子たちがもっと上手く言葉をつかえていたらよかったのに。

最後のくだりで、この映画は幸福なIFを提示します。
その分岐点になるのは川遊びの日、お腹を触られたアントニオが「そういうのはやめて欲しい」と、ロレンツォにNOを提示できるかどうか、そしてロレンツォがそのNOを受け入れることができるかどうかで表現されていました。

ロレンツォ:(アントニオの腹部に手を伸ばす)
アントニオ:ロレンツォ、それは俺の望んでることじゃないんだ。少なくとも今は。
ロレンツォ:今、なにが起きるの?
アントニオ:川遊びするんだよ、言ってたじゃないか。
ブルー:ふたりとも、だいじょうぶ?
ロレンツォ:だいじょうぶ、すごくだいじょうぶ。時間はあるしね。

言葉によるコミュニケーションの成功/不成功が運命の分かれ道だったのだとしたら、ここで問題になっているのは最近なにかと話題の性的合意の有無ということになります。

幸福なIFへの導入部で、ブルーは〈私たちはもっと賢く強くあることができたはず〉と独白するのですが、強さの方は足りていたんじゃないかと、私は思います。ただ、その強さを上手く発揮できなかった。

アントニオに拒絶されたあと、更衣室で落ち込んでいるサボりのロレンツォに、体育教師は「(こんな環境で生きるのは大変だろうけど、)きみは他のやつらよりも強くなくちゃならない」と言って励ましました。それを受けて、ロレンツォは「僕はあいつらより強いよ、心配しないで」と復活を果たし、ブルーと励まし合ってそれぞれの愛する人のところに赴きます。

でも、それって求められていた強さなのでしょうか。
だってアントニオは「やめてくれ」って言っているのに、そこへ迫り続けることは、愛に基づく強さの表れだったとは思えません。アントニオの拒絶を受け入れて、まずは川遊びができる距離感に戻ろうとすることや、それに耐えきれないなら他の道を、他の幸せを探すことも、ひとつの強さの表れだと思います。
場面は前後しますが、やはりアントニオに拒絶されて落ち込んでいるロレンツォと、養母ステファニアとの間にこんな会話がありました。

Lorenzo: Me la caverò.
ロレンツォ:(失恋したけど)なんとかやっていけるよね。
Stefania: No, non te la caverai. Sarai felice.
ステファニア:なんとかやっていけるんじゃないの、幸せになるの。

ステファニアはある恋を諦めて、夫であるレナートと巡り合いました。
私は、こちらの〈賢く強く〉ある姿を好みます。


だれがアントニオに拳銃を握らせたのか

ロレンツォは空回りしていました。
でも、絶対に殺されるべきではなかった。

結果として、アントニオは同性であるロレンツォからの慕情を受け入れることができずにヘイトクライムに走りましたが、私はアントニオその人のなかにあるホモフォビアックな面というのは、ごく薄かったのではないかと思っています。
死んだ兄の幻覚が「ブルーは好きだけど、ロレンツォは嫌いだ」と発言したとき、アントニオは「でも俺の友だちだ」と話を打ち切りましたし、謝罪のためロレンツォに会いに来てキスをされたときにも、自分の攻撃性を抑えることに成功していました。バスケのチームメイトとも上手く話せなかった口下手のアントニオが、ロレンツォやブルーとは冗談を言い合ってずっと笑っていられたのは、アントニオが本当に彼らを人格を愛し、彼らと友人関係を築けると信じたからでしょう。

ロレンツォと対話することができるはずのアントニオが、上手く「やめてくれ」と言えなかったとしたら、そこには理由があるはずです。
たとえば恐れとか。
恐怖は脳を麻痺させて、舌を縛ります。
そういえば、幸福なIFに繋がるシーンにも〈持っている恐怖がもっと少なければ〉というブルーの独白がありました。

その恐怖のカタチは、死んだ兄の口を通して「おまえがゲイであることを、学校中が知っているぞ」と語られています。
そりゃね、怖いでしょう。
ロレンツォがどんなことをされてきたのか見てきたアントニオは、同性愛者がどんな扱いを受けるのかをよく知っているんですから。
しかも彼にはブルーが「正反対だった」と証言する死んだ兄と、兄のことを惜しみ続け、兄と重ねながら彼をコントロールしようとする家族の存在があります。自慢の息子を失った両親のために、いい子でいなくてはいけないアントニオが集団の規範に背くのは、たとえ身に危険が迫るということがなかったとしても、難しいでしょう。

ロレンツォの愛が自分に向いていることを認め、理解ある友人として向き合えば、もしかすると自分の性的指向に、周囲が《弱点》として攻撃や失望の理由にするであろう一面が見つかってしまうかも知れない。
その可能性を隠滅するために証人を殺してしまったのだとすれば、アントニオに拳銃を握らせたのは、ロレンツォを攻撃していた《その他大勢》のヘイトです。

そしてブルーが言うように〈賢く強く〉在らなくてはいけないのは、今日も誰かの人生の《その他大勢》のひとりを演じている、私たち観客です。


この映画を見て欲しい
この子たちの輝く日々を見て欲しい

じゃ、内容も分かったので……なんて、このまま帰ってもらっちゃあ困ります。その目で観て、物語を追っていただかなきゃ。だって私の書いた感想文なんて読んでも、あの子たちの笑顔は見えないですもん。

俳優さんの情報とかは、この下に張り付けるリンクから公式ホームページに飛んで確認してください。
【公式HPへのリンク】最初で最後のキス(2020/06時点)

映画の背骨になっている事件だけを追ってきましたが、この映画の魅力はむしろその周囲にあると思っています。彼らがどんな日々を過ごしたのかを、街の景色や聴いていた音楽やヤンチャの数々を通して目撃して、そのうえでどんなに残酷なことが起きたのかを感じて欲しいんです。

ちょっとインタビューを齧ったくらいで、分かったようなことを言いたくはないのですが、この物語はアメリカで実際に起きた事件を受けて、監督が書いたものなのだそうです。ホモフォビアを持つように育てられた少年が、彼に愛を告げた少年を殺害するという事件なのだそうです。
少なくとも10人に1人くらいの割合でLGBTの人間が暮らしている、私たちの生きるこの世界で、こんなことが起こりうる。この子たちの物語を観れば、もうそのことを忘れられない。私がこのことを肝に銘じていれば、私という人間の眼差しが届く広さだけ、ロレンツォみたいな人にとっての安全地域が広がるはずです。


北イタリアの小さな街
ウディネのこと

最後にイタリアが好きだという話なのですが、こちらの映画は全編イタリア語です。音楽は英語も多いかな。ロレンツォが音楽好きみたいなので、かなり力が入っているので、もっと英語ができたら歌詞とかもスラスラと頭に入ってきて楽しかったのかなぁと惜しい気持ちです。
ちなみにロレンツォはレディ・ガガ推し

舞台になっているウディネという街は、ヴェネツィアの北東に位置します。
街からはアルプス山脈を仰ぎ見ることができるのだとか。
ちょっとだけウディネの女の子とランゲージエクスチェンジをしていたことがあるのですが、その子もレナートとステファニアがトリノからやって来たロレンツォに言ったみたいに、田舎だよって言っていました。ずっと「なんもない」「ミラノに出たい」「まじで遊びに来たいの?なんで?」って。いかにも若者っぽくって、微笑ましかったです。
でも、そんなのめっちゃ行きたいに決まってるじゃないですか。街が美しいじゃないですか。ぜったいに美味しいお店もあるだろうし、イタリアで訪ねて面白くなかった街なんてひとつもなかったから、絶対にウディネも楽しい。ついでにトリエステとアクイレイアにも寄りたいな。死ぬまでに一度でいいからアクイレイアのモザイクを見てみたいです。可能なら複数回。

ウディネのあるフリウリ=ベネツィア・ジュリア州は、オーストリア帝国の支配を受けていた時代の名残が色濃くて、かなりエキゾチック。トリエステに泊まったとき、地元の人に「なにが美味しいの?」って訊いたら「ドイツ料理」って返事があって、ちょっと笑いました。輪っかのカタチになったアップルパイのようなお菓子シュトゥルーデル(ドイツ語)は、確かにめちゃくちゃ美味しかったです。
ブルーとアントニオは小さい頃から食べてたのかな。レナートとステファニアは、ロレンツォのために買ってきたりしたんじゃないかな。

いつか、あの3人が笑っていた場所に足を運べたらいいなって思います。
まだイタリアに行ったことのない皆さまも、まずはローマヴェネツィアなどから始めて、文化や風土が性に合いそうだなって思ったら、ぜひ大都市の周りに点在している小都市の探索に乗り出していただけたらと思います。
イタリアの都市ってかなり個性が豊かなので、人によって惚れ込んでしまう場所もそれぞれなところがあり、イタリア好きの仲間と話していると、いつも新しい推しポイントが発見できるので、すごく楽しいんですよね。推し都市を引っ提げてプレゼン合戦に参戦してくださる同好の士を、いつでもお待ちしております。

イタリア観光局の公式ホームページへのリンク

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