自分らしさは、自分に向き合っても見つからない
自分らしさってなんだろう?
私は10代の頃から
「自分らしさ=他者と違う特別感」
という感覚が強くありました。
だから、
成績は上位でいたかったし
クラス合唱ではピアノ伴奏の役割がほしかったし
学級委員や部長をやることは
嫌いではありませんでした。
ただ、そんな中学までは優等生だった私も
進学校に入学したらみんな優秀で
いっきに自分らしさがわからなくなったんですよね。
そこで手を出したのがダイエット。
他の人とは違う特別感が欲しくて
できるだけ痩せよう…とした結果
拒食症になり、入退院を繰り返し、
留年を2回…中退…という
悲劇を生んでしまったのですが。
オリジナルは自分一人では存在し得ない
では、自分らしさって
どうやったら見つかるのでしょうか?
先日、遥洋子著「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」を読んでいたところ、オリジナリティについての記述がありました。
上野千鶴子さんは「オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない。オリジナルは自分一人では存在し得ない。少しでも多くの情報を知ることで、その違いで自分らしさが誕生する。そこでしか、自分は存在し得ない」と話されています。
つまり、「自分らしさは、
自分1人では生まれない。
オリジナリティ(自分らしさ)
を知るためには、
いろんな情報や本を読みなさい」
という内容でした。
確かに、他人の生き様を知ることは、
まるで鏡を見るようなものです。
その人の考え方、価値観、生き方を通して、
私たちは自分自身を客観的に見つめることができます。
そして、その人との違いの中に
自分だけのユニークな特徴を発見できんですよね。
どうしても、自分らしさを知ろうとすると
「自分と向き合う」
というイメージが強かったので、
「周りを知ることが、自分を知ることにつながる」
という考え方を知って、
私はとても救われました。
だって、自分らしさがわからないのは
まだ世界をしらないってことだから。
世界は無限の可能性があるのであれば、
自分にも無限の可能性があると感じたんだよね。
生身の人間以外が教えてくれること
自分らしさを知るためには、
いろんな情報、特に人に触れることが必要です。
ただ、それは生身の人間に
会うだけではないと思います。
小説や映画、自伝、インタビュー記事で
いろんな人の生き様にふれることだっていい。
誰かを知ると、
その誰かからの差で
自分というものをしる。
また、小説の主人公の葛藤に共感したり
映画の中の登場人物の言葉に心を打たれたりすることで
私たち自身の心の奥底にある感情と結びつくことがあります。
その時に感じる共感や感動は
自分という存在を深く理解するための
重要な手がかりとなりますよね。
学校や社会とのつながりが「自分」を育む
私は心理士という仕事柄、
不登校や引きこもりの人と
話す機会が多いです。
摂食障害の性質上、
食事ってコミュニケーション手段でもあるので
みなさん社会とのつながりで
非常に苦労されます。
私自身も、不登校、引きこもりを経験しました。
そこで、なぜ学校に行くことが必要なのか
社会に繋がることが必要なのか
という話題になることもあります。
知識を得たり、
社会の一員として生きていくため。
自立して生活していくため。
人とのつながりに安心するため。
いろんな答えが出てくるでしょう。
ただ、今回自分1人では、自分らしさを獲得できない話を読んでから、
学校や社会に出る意味とは、
きっと「自分を自覚するため」になのだと思いました。
学校や社会という場で、
私たちは様々な人と出会い、協力し、競い合うことを経験します。
その中で、私たちは自分の強みや弱みを認識します。
劣等感や優越感に揺れ動くこともあると思いますが、
まわりとの差で、やっと自分らしさを感じていくんだよね。
※ただ、「ありのままの自分を認める」ためには、
他者との比較をやめることも大切なんだよね。
ただ、それは比較しても、
その差をダメだと評価しないことが大切という意味が強いかな。
またこれは、別の機会に語ります。
摂食障害も、社会との繋がりの中で回復した
私はオリジナリティが欲しくて
超低体重を目指してしまったのだけど、
そこからなぜ回復できたかを考えると、
それは「広い世界を知っていった」という経験が
一番大きいと思います。
初めのうちは引きこもりで
家族としか会えませんでしたが
バイト、予備校、大学、会社…など
行動範囲を広げることで
たくさんの人に出会うことができました。
また、私は本を読んだり
ドラマを見たりすることが好きですが、
そこでもたくさんの登場人物に出会いました。
また、海外旅行も好きで
30カ国60都市をめぐって
知らない世界にたくさん出会いました。
たくさんの人に出会い、
広い世界を見たことで
何が良かったのか。
それは、自分の当たり前がぶっこわされたこと。
自分の当たり前だと信じていたことが、
他の場所や人にとってはどうでもいいことであると知って、
自分自身の価値観が
どんどん広がっていったことが一番よかった。
私は、私の家族の生き方が当たり前だと思っていたけど、
それ以外の生き方だっていい。
学歴や容姿、キャリア、体重、運動、食事…
いいも悪いも、正しいも正しくないもなくて、
自分がいいと思ったものは、
それが自分らしさであって、
それでいいんだって思えるようになったんだよね。
自分らしさは、アップデートされる
「自分らしさ」は、
一度見つけたら終わりではなく
常に変化し続けるものです。
だって、私たちは日々
新しい経験や、新しい人に出会っているから。
そうしているうちに、
新しい自分にも気づき、
自分自身がアップデートされているんですよね。
だから、括弧たる自分らしさなんて
見つけなくていいし、
見つかったとしても、
それはある一部を切り取った
一瞬の枠組みの話であって、
自分らしさなんてうつろいやすいものなのだと知ったら、
少し気が楽になりませんか?
私はなりました。
「自分らしさ」を探求する旅は、
決して終わりがありません。
私たちは、常に新しい自分に出会うことができる。
そう思うと、
自分の可能性に希望が持てました。