見出し画像

モバイルオーダーの賛否
モバイルオーダーが急速に発展しているようです。あのマ〇〇ナルドも導入したようですね。まぁ時代の流れでもあるでしょう、導入費用?初期費用や研修等が掛かったとしても、人件費の削減コスト等にはメリットは大きいと思えます。

コミュニケーションについてはどうでしょうか。コラムでも書いて来たように、企業の大半の雇用(リクルート=採用)に求めるスキルは数十年来も断トツで「コミュニケーション」能力である。ファーストフード業界であっても、このコミュニケーション能力を独自のスキルモデルとして構築して来た企業にとっては、時代の潮流に反して注力することも無くなるのだろうか。。。

私含め?デジタルが苦手な人種にとっては、その店に入ってからの「雰囲気」(店舗や受付の人など)によって、選ぶ商品を決めることもあり、人によっては味覚をくすぐる「臭い」によって食べたいモノが決まることもある。うなぎ屋さんや焼き鳥屋さんなどは、わざわざ「煙」を出して人を惹きつけているのである。

何よりもシャッター街で育った私なんかは、買う事が出来ない小銭(値段に満たない)を握りしめて、睨めっこしてたくらいだ。おじちゃんおばちゃん(お兄さん、お姉さん)の顔を見て、大粒の涙をいっぱいためてガマンしていた時代だ。半分に切ったコロッケなんて、どうせ売れないだろうし、今から考えればわかることだろうけど良く売ってくれたものだ。(人情劇場である)。遅い時間に行けば売れ残り(今でいう食品ロスか)の、丸々のコロッケを売ってくれるが、こちらは一般の大人も平等なので売り切れの時もある。。。

今では見掛けない光景だが、私の幼少期時代というのはサザエさんの「カツオ」の時代である。一年中坊主頭で冬でも半ズボンで、まともな靴も履いていないのである。もちろんお小遣いなんてのは、なにか何でも良いから家の手伝いなどして働かない限りはもらえないし、もらったとしても雀の涙で、コロッケ1個買うのに一週間も十日もかかったものである。ビール瓶を集めたり、その蓋(王冠)を売ったりして稼いだものだ。。。

買い物をするのに「楽しみ」があった。おじちゃんやおばちゃんに合うのが、お兄さんお姉さんの店員さんに合う「楽しみ」があった。注文〜支払いまで以外の対話があり会話があった。このことも「コミュニケーション」と言わないのだろうか。。。スマホなどで注文して、スマホで精算して、お店の雰囲気や店員さんとの対話も無い会話も無い、いそいそと入店から退店して何が「楽しい」のだろうか。その内に「いらっしゃいませ」も「ありがとうございます」も聞こえなくなるのだろうか。お店の人に合う「楽しみ」は無くなるのだろうか。。。

私は関西出身かどうかはおいといて、お店で「並ぶ」ことが嫌いだ。いくら前評判が高いお店でも「並ぶ」のなら、空いているお店で別のモノを頼んだ方が時間を無駄にするよりは便益だと思うのだが。。。。。仮に美味しくない(すみません。私の口に合わないというか、好き嫌いが)料理でも、それこそが話題にもなると思うのだが、、、お店に入る前に(入り口で)スマホと睨めっこしても、会話も無いしね。。。

お祭りのテキヤで売っている焼きそばやたこ焼きはどうだろうか。。。「お祭り」というシチュエーションがあるからこそのドラマがあるのだろう。大きなポリバケツで材料を仕込んでいても、どう見ても衛生的ではない容姿の調理姿で作った料理が「美味しい」のである。家で食べたら絶対に美味しいとは思わないだろう。(お土産とは別)

便利だと言ってしまえば終わりかも知れない。そういう「時代」だという事だ。ビジネスを考える上では、とても重要なことなんだろう。。。「電話」も同じことなんだろう。
メール含めSNS等で「会話」していると「文字」しか無いのである。電話の声も進化している。デジタルが進化しているからこそ、電話の「声」の声門がハッキリしているのである。息遣いもそうだが、相手がイメージできるはずである。(妄想ではないよ...。)

つい最近、社内外で久しぶりに若い「女の子」と電話で会話した。ちょうどお昼くらいだったと思うが、たまたま外の空気を満喫したくて近所の大きな公園にいた時であった。11月とは思えないくらいの快晴の陽射しで、半袖短パンで散歩(又はウォーキング)している人達が多くいた。これらのシチュエーションがあったからかも知れないが、素直にとっても嬉しかった。ついこの間、久々に逢ったばかりにも関わらず。。。

コミュニケーションを「必要」としない「商売」は好きでは無い。。。

「豪雨」でも「台風」でもない。地震でも火事などの災害でも無い。単に風が強かっただけ。雨が強かっただけ。急な寒波で寒かっただけである。それでも「荒天見舞い」という「気遣い」のメールを見かけた。この「気遣い」が大事なのである。決して返答も返事もなく、こういう気遣いも「コミュニケーション」と呼んで良いだろう。ちょっとした「気遣い」が「感激」を生み、「感謝」を育て、「感動」を味わうのである。こういう気遣いがある「商売」は伸びるでしょうね。